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【特集:本と出合う】
谷口忠大:生成AI時代のビブリオバトル── 本を通して、人「であること」を知る

2023/08/08

  • 谷口 忠大(たにぐち ただひろ)

    立命館大学情報理工学部教授、一般社団法人ビブリオバトル協会代表理事

ビブリオバトルは誰でも簡単にできる本の紹介コミュニケーションゲームだ。2007年に筆者が発案し、有志により2010年にはビブリオバトル普及委員会が組織され、様々な愛好家が生まれつづけ、日本全国へと広まっていった。「人を通して本を知る。本を通して人を知る」というキャッチコピーと共に。現在、読売新聞社が主管する大学生の全国大会である「全国大学ビブリオバトル」は、(コロナ禍での中止を挟みながら)10年以上続いている。とはいえビブリオバトルのメインはこのような大会ではなく、街のカフェや学校の教室で開催される小さなコミュニケーション場としてのビブリオバトルだ。

ビブリオバトルのルールは簡単だ。それは以下で定義される。

1.発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる。

2. 順番に1人5分間で本を紹介する。

3.それぞれの発表の後に、参加者全員でその発表に関するディスカッションを2〜3分間行う。

4.全ての発表が終了した後に、「どの本が一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員が1人1票で行い、最多票を集めた本をチャンプ本とする。

このルールに沿わないものは逆に「ビブリオバトル」とは呼ばれない。ゲームというものはルールで規定されるものである。「手を使って良い」としたサッカーがすでにサッカーではないのと同じ話だ。

ビブリオバトルは読書推進の手法だと認識されることもあるが、本質的には「本と出合う場作り」の手法であり、「知識共有」のためのメカニズムだ。この辺りについては語るには字数が足りないので、拙著『ビブリオバトル 本を知り人を知る書評ゲーム』(文藝春秋)、『賀茂川コミュニケーション塾――ビブリオバトルから人工知能まで』(世界思想社)、『コミュニケーション場のメカニズムデザイン』(慶應義塾大学出版会)などを参照いただければ幸いである。

さて時代は変わる。2022年末にChatGPTがリリースされてから、生成AIの大ブームがまき起こっている。それはビブリオバトルが近接する読書推進の分野にも影響を与えている。昔からビブリオバトルと対比されることの多かった読書感想文などはこの影響の直撃を受けている。「生徒が読書感想文をChatGPTに書かせた」という類の話だ。

早速、小中高校生の読書感想文コンクールを主催する全国学校図書館協議会は2023年3月に生成AIの禁止を発表した。書籍に書かれた内容を読解し、書き言葉としての要約や感想にしてテキスト化し、見えない誰かへと提出する「読書感想文」はむしろChatGPT の得意とするところなのだ。

ビブリオバトルはどうだろうか。読書感想文とビブリオバトルは違う。ビブリオバトルでは発表者の生成するテキストがゴールではない。あくまでそこで本を推薦し、読んでもらったり、共感しあったり、お互いのことを知ったりするコミュニケーション場のダイナミクスにその本質がある。だからビブリオバトルは現状、ChatGPTを含んだ生成AIの使用を禁止していない。

ビブリオバトルでチャンプ本を決める投票は、その場にいるみんなが「読みたくなったかどうか」の主観で決まる。発表者自身が読んだ上で語る自分の言葉でないと意味がないし、届かない。自分が思ってもいない感想で、生成AIが生み出した言葉を語った発話者は、周囲の人間からの信用を失う。

10年ほど前にビブリオバトルの「本の推薦システム」としての性質を明らかにするために「内容ベース推薦や協調フィルタリングといった情報推薦の手法との比較実験を行う」という研究を行った。この研究を通して既存の情報推薦システムとビブリオバトルの根本的な違いをあらためて認識した。それは多くの情報推薦システムがこれまでの読書履歴や購買履歴を参照しながら「あなたはこれが好きでしょ?」と当てるように推薦するのに対し、ビブリオバトルでは「私はこれが好きだ。面白いから、きっとあなたも好きになる」と発表者――その「人」自身の「愛」に従って推薦がなされるのだ。

生成AIは未だ道具の域を出ない。便利であるし優秀ではあるが、人という主体にはなりきれない。生成AIは書籍の情報から感想文を生成できる。その次元にあってしまった読書感想文という制度を、生成AIは破壊した。しかしビブリオバトルは人と人が知識を共有する相互作用のダイナミクスを生み出すコミュニケーション場のメカニズムであり、それゆえに生成AIに破壊される次元には存在しない。

生成AIは私たちの知能や人としてのあり方を激しく問い直している。その時代にあっても、ビブリオバトルは人が「人を通して本を知り、本を通して人を知る」ためのコミュニケーション場のメカニズムであり続ける。発案から15年が過ぎたが、その真価が問われるのはきっとまだこれからだ。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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