【小特集:東京2020と慶應義塾】
特別インタビュー 山縣亮太:東京2020を振り返って
2021/12/16
日本選手団主将に選ばれて
――日本選手団の主将になるという話が最初に来たときはどうでした?
山縣 いや、断ろうと思いました(笑)。もちろん、競技に差し支えがないようにいろいろ配慮してくれるとは思ったんですが、やはり背負うものも大きいので悩みました。
――それでも引き受けたのは、何か特別な気持ちがあったのですか?
山縣 自分がスポーツをやっている立場の人間だからとは思いますが、やはり僕は、今回東京でオリンピックができてよかったなと思っているんです。
コロナ禍の中で様々な意見がある中、僕は「いや、それでもやる意味がある」という結論に達したんです。そしてその意味を競技に取り組む姿勢を通して伝えたいとも思った。何かを発信したいというか。スポーツの意義を伝えるのにすごく象徴的なオリンピックだろうと思ったのですね。
結局開催という形になりましたが、どうなるかわからない中、勇気をもって進む姿勢にこそ僕はオリンピックの価値があると思ったんです。これはいろいろな犠牲の上で成り立っている話だと理解していますので、声を大にしては言えませんが。
何かを止めるのではなく、進むことに積極的でなければいけない。であれば自分がとにかく一生懸命プレーしている姿を感じてもらえたらいいなと思いました。
――そういう思いから主将を引き受けたわけですね。偶然にも前回の1964年の東京大会の時に主将を務められた小野喬(たかし)さんも塾員でした。東京で開催された2大会とも慶應関係者が主将というのは何か縁を感じますね。
山縣 ご縁を感じます。自分も先輩の後を追うことができてよかったなと思います。
結局主将をお受けしたということも、自分なりに世の中に対してスポーツを背負うというと大げさですが、やはりもっといい世の中になってほしいみたいな気持ちはありました。きっと小野先輩もそう思われていたのではないかな、なんて思ったりもします。
――開会式での選手宣誓をテレビで見て緊張している様子が窺えました。でも、緊張しないわけがないですよね(笑)。
山縣 緊張しましたね(笑)。
――観客は入っていなくてもやはりそうですか?
山縣 そうですね。ああいう時に考え事をしたら駄目ですね。全世界の人が見ているとか、天皇陛下がいらっしゃるとか、考えれば考えるほど緊張するから。でも、実はリハーサルの時よりは落ち着いていたんです。上手くいってよかったと正直思いました。
――立派な選手宣誓でした。
山縣 石川佳純さんと息を合わせるのが難しくて。前日に1回だけリハーサルがあったんです。でも、石川さんは選手村でバブルに入っていたんですが、当時僕はまだ選手村に入っていなくてバブル外の人間だったから接触できず、控室も別だったんです。
一緒に言葉を言わないといけないのですが、「せーの」とか言えないじゃないですか(笑)。少し時間が空いた時に、袖裏に行って何回か練習しました。
オリンピックの競技を振り返って
――オリンピックを振り返って自分の競技についてはどのように捉えていますか?
山縣 自分としては個人、リレーともに残念な結果に終わりました。しかし、日本選手団全体としては、メダリストも多く出たし、これまでの努力が実を結んだ瞬間の美しさや、ストーリーの盛り上がりという感じは各競技であったと思います。
そして、「すごい、メダルだ!」みたいな盛り上がり方もスポーツの魅力だと思いますが、勝者がいたらその倍以上の数の敗者が必ずそこに存在しているのは事実です。僕らは、特にリレーで「金メダルが取れるかもしれない」と、ものすごく注目されていたのだと思います。でもその中でバトンが渡らなかった瞬間というのもスポーツの一面なんです。いいところばかりが映るのではなく、そういう部分も含めてスポーツなのだろうと思っています。
期待には応えられなかったかもしれない。「すごく悔しくて泣いてしまいました」というメッセージももらって、胸にグサッと刺さるものがあった。批判的な意見もいただいた。でも、メッセージを送らざるを得ないぐらい「刺さったのだ」とも思いました。
正直僕らもできる限りの準備をしました。姿勢を見せられたからよしと言っているわけではありませんが、スポーツの魅力のある面を伝えることにはつながったのかなとは思っています。
――批判的な意見も力に変える。新しいチャレンジをしようという気持ちの推進力になりましたか?
山縣 そうですね。とにかく現役をやっている以上は何事も前向きに捉えたい。悔しさもエネルギーにして「あの経験があったから今がある」と言えるようにしていかないといけないので、気持ちを切り替えてやっていきます。
日吉から再び世界へ
――今年も国内の大会の数が絞られている状況ですが、次に向けてどう取り組んでいこうと思っていますか?
山縣 僕の大きなモチベーションは、自分自身の日々の成長、つまりわからなかったことがわかるようになったり、できなかったことができるようになるところにあると思っています。
だから、大会がなくてもできることはあります。今、僕は膝が悪くて、それを解決するために何が必要だろう、その解決した先にはどんな未来が待っているだろうかということを常に意識して練習しています。そのようにして1日、1日を大事に過ごしていきたいと思っています。
――トップアスリートの域にいる現在だけでなく、学生の頃からそういう考えでしたか?
山縣 ずっとそうですね。学生でも、もしケガをしてしまったらつらいですけど、それも含めて「楽しい」と思えたら、すごく楽になると思うんです。
結果が出ていないと前進していない、と思うのはとても窮屈だと思います。結果が出ていなくても「変化」はするじゃないですか。ケガをしたら、前にできなかった動作ができるようになったとか。僕は走れない時期は、筋トレとか、今までやってこなかったことをやって変化を楽しみます。自分は1日、1日成長できているということに目を向けていけばと思います。
――いいですね。この記事を読んだ学生は、すごく励みになると思います。日々練習をされている日吉の陸上競技場についてはどういう思いを持っていますか?
山縣 僕にとって日吉ほどアクセスしやすく、トラックや設備も含めて、利用しやすい場所はなかなかないと思っています。体育研究所で測定できるメリットもあります。
――練習が終わってすぐの変化を測定できますね。ホームグラウンドは日吉という認識でしょうか?
山縣 そうですね。NTC(ナショナルトレーニングセンター)に行こうかと考えたこともあるんですが、やっぱり僕は日吉がいいですね。
トラックも走りやすいです。下が硬いのでスピードが出るのが有り難い。やはりスピードを出すことは陸上選手にとって身体に負荷をかける、すごく大事なことです。風も割と一定方向に吹くので、それも利用して、練習強度を上げたり抑えたりできます。競走部用の筋力トレーニングの施設もあり、ここで練習するメリットはたくさんあります。現役の邪魔をしていて申し訳ないかなと思ったりもしますけど。
――でも、学生はよく見ていますよ。「山縣さん、こうやってるんだ。自分も考えよう」とか。相当いい刺激だと思いますね。
山縣 競走部の寮が蝮谷の向こう側にあるのですが、今も時々泊まらせてもらったりしています。学生と話したりしながら。そういうことも大事にしていきたいですね。
――そういう交流をされているのは素晴らしいですね。今はコンディションを整えながらしっかり膝を治して次に向けて頑張るという感じですね。
山縣 そうですね。来年、そして3年後、世界陸上とパリオリンピックがあります。あっという間なので頑張ります。
――これからの活躍を期待しています。今日は有り難うございました。
(2021年9月29日、日吉陸上競技場にて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2021年12月号
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