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【小特集:東京2020と慶應義塾】
加藤誉樹:レフェリーとして東京大会を経験して

2021/12/16

  • 加藤 誉樹(かとう たかき)

    国際バスケットボール連盟(FIBA)国際審判員、(公財)日本バスケットボール協会公認プロフェッショナルレフェリー・2011環、13健マネ修

コロナ禍で開催された東京2020大会は私にとってこれまで思い描いてきたオリンピックの華々しいイメージとは大きく異なるものでした。しかし初めてのオリンピックを終えた今、この経験は私にとってゴールではなく、むしろ今後の活動の質を高めるうえでのスタートとなりました。

多くのアスリートが人生を賭けてオリンピックへの出場を目指すように、私たちレフェリーにとってもオリンピックのコートに立つことは容易なことではありません。オリンピックの5人制バスケットボールのレフェリーは総勢30名で、前回大会以降で国際バスケットボール連盟(FIBA)の各大会を担当してきた各レフェリーの実力を勘案して、大会のタイミングでのベストなメンバーが選出されます。4年に1度、世界でわずか30名しか担当できないオリンピックのレフェリーに選出されることはそれ自体が大変貴重なことですが、その機会が自国で開催される大会であることは奇跡的な確率で、私にとってもこの上なく喜ばしいことでした。

一方で新型コロナウイルスの影響により、開催をめぐって賛否が激しく議論されていた今大会に参加することには内心、複雑な感情もありました。感染者数が増え、開催に対してネガティブな報道を目にする機会が増えたことで、私にとって喜ばしいことであったはずのオリンピックの担当にも、後ろめたさに似た感情を抱くこともありました。また中止すべきという意見が直前まで聞かれたことで、本当に開催されるのかと疑心暗鬼になることもありました。

しかし、これらの感情の有無にかかわらず、私に行うことができたこと、私が行わなければならなかったことは、無事にオリンピックが開催されて実際に試合を担当するときに、今の自分の持ちうるベストなパフォーマンスを発揮することであり、そのための準備に最善を尽くすことのみでした。

オリンピックの1カ月前にはクロアチアで行われたオリンピック最終予選を担当させていただき、そこで担当した試合での評価から改善点を見出し、帰国後にたくさんの映像を分析することで対策を練ることができました。また帰国後には2週間の自宅隔離もあり、準備には相応の難しさもありましたが、環境や感情を言い訳にせず、取り組むべき自分の改善点と真っ直ぐに向き合えたことで、オリンピック本番では初戦から良いイメージを持って試合に臨むことができました。

クロアチアでの最終予選、オリンピック本選ともに、やはり国を代表してオリンピックのメダルを目指す各国に鬼気迫るものを感じる瞬間は少なくありませんでした。また特に今大会にあたっては新型コロナウイルスの影響で代表を辞退する選手も少なくなく、各国は多かれ少なかれベストメンバーを揃えることに苦戦を強いられていました。

私たちレフェリーの笛ひとつが試合の行方を左右する重要な判定になる可能性を帯びていたことから、1プレー1プレーで笛を吹くか、吹かないかということを非常に慎重に吟味することが求められました。最終予選からこうした雰囲気を肌で感じながら、私自身のレフェリングを追求できたことはオリンピック本選に向けてはもちろんのこと、今後のレフェリーとしてのキャリアにとっても大きな財産となりました。

私は初めてのオリンピックで5試合を担当し、どの試合においても今の自分の持ちうるベストなパフォーマンスを発揮することができました。またその結果として銅メダルを賭けた女子3位決定戦を担当させていただくことができました。

一方でオリンピックを担当したかどうかに関係なく、より良い試合を提供するために私たちレフェリーは常に改善を繰り返さなければなりません。自分が完璧だと思った途端に私たちの成長は止まり、それ以上に良いパフォーマンスを発揮することはできなくなってしまいます。しかしそれは、私たちがいつか引退するその日まで絶えず改善し、成長し続けられることを意味しています。つまり奇跡的な確率で自国開催のオリンピックを担当しても、それは私にとってゴールではないということです。

世界最高峰のスポーツの祭典であるオリンピックを担当させていただいた今、考えさせられたことは特別なことではなく、むしろこれまでの他の試合と同様に、最善を尽くした結果として得られた改善点に真摯に向き合い、次の機会ではより良い試合を提供するという地道な取り組みを絶えず繰り返していくことの重要性でした。そしてこれらを再確認することができたという点で、オリンピックを担当したことは私にとって新たなスタートとなりました。

今後の取り組みの先で将来のワールドカップやオリンピックを再び担当させていただきたい気持ちはありますが、これらの大会を担当することができるかどうかによって今後の私の取り組みが変化することはありません。今回オリンピックを担当させていただいたことで驕ることなく、今後もより良い試合を提供するために日々の1試合1試合、1プレー1プレーで改善点と向き合い、成長し続けていきたいと思います。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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