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【小特集:東京2020と慶應義塾】
〈日吉での英国チーム受け入れ〉オリンピック史に刻んだホストユニバーシティとしての経験

2021/12/15

  • 石田 浩之(いしだ ひろゆき)

    慶應義塾大学スポーツ医学研究センター教授、大学院健康マネジメント研究科委員長

「2020東京に向けた英国オリンピック・パラリンピックチームの事前合宿を日吉キャンパスで受け入れることになった」。この知らせを塾長室から聞いた時、これは義塾や在校生にとって素晴らしい経験になると直感した。

私は日本オリンピック委員会や国際アイスホッケー連盟の医事委員として多くの国際大会の運営にかかわってきた。我が国ではほとんど前例がないが、海外では大学がキャンパスを提供し、大規模な国際大会運営に協力することは珍しくない。直近では冬季ユニバーシアード(2019年 ロシア・クラスノヤルスク)、冬季ユースオリンピック(2020年 スイス・ローザンヌ)において、シベリア連邦大学、ローザンヌ大学がそれぞれhost university として選手団を受け入れた。

現地では学生・スタッフ、さらには市民レベルで様々な交流が行われ、大学が国際イベントを招致することの素晴らしさを体験してきただけに、これが日吉キャンパスで展開されたなら、塾生や教職員、そして体育会団体にとってかけがえのないレガシーとなることを確信した。

とはいえ、受け入れの準備は相当大変である。単に練習場所の提供=“箱を貸す”のではなく、宿泊施設、人の輸送や機器搬入、ドーピング規定を配慮した食事提供、様々な生活支援、ボランティア学生の育成、そして医療安全や危機管理等々、ハード、ソフト両面でhost universityとして用意すべき“おもてなし”は数多い。幸い、自身のこれまでの経験から、何を具体的に準備すべきかのイメージはできていたので、これを塾長室や日吉運営サービススタッフと共有した。

その後の準備のはかどり方は素晴らしかった。「石田さん、これはとても無理ですよ」という後ろ向きの意見も多少は覚悟していたのだが、英国チームのための“can do attitude” には目を見張るものがあり、瞬く間に協力業者を含め、受け入れに必要な仕組みができあがったのである。連合三田会大会をはじめとしたイベント開催の経験が生きたのかもしれないが、慶應義塾の底力を感じた瞬間であった。

しかし、新型コロナウイルスパンデミックにより状況は一変する。オリンピック・パラリンピックも事前合宿も開催条件として動線分離が必須となり、face to face の交流は一切できなくなってしまった。残念ながらhost university の役割は“おもてなし”から“感染症対策”に切り替わったのである。

当初、オリ・パラ開催自体も危ぶまれた時期もあったが、その潮目が大きく変わったのは2020年9月に開催された全米オープンテニス(大坂なおみ選手が優勝した大会)だったと私は考える。この大会では大会中にPCR検査を繰り返すと同時に行動エリアを制限するという手法が取られた。移動は会場と宿泊施設間に限定し、宿泊先からの外出は禁止された。

選手、スタッフ、大会運営関係者は全てこの管理下に置かれ、彼らが閉じ込められた安全な空間は“Bubble”(泡)と呼ばれた(手術室における“清潔区域”と同じ考え方)。見事、大会中にクラスターは発生しなかった。選手に安全な競技環境を提供するモデルとしての実証実験が成功したのである。

さて、果たしてこのBubbleを日吉に作れるのか? ここにも過去の経験を活かすことができた。2021年4月に大阪で開催された世界フィギュアスケート国別対抗戦はBubble 方式を採用した国内初の大規模国際大会であったが、たまたまこの仕組みづくりに私と佐宗洋彦(さそう ひろひこ)君(2004総)がかかわっていた。佐宗君はスポーツイベントコンサルティング事業を展開する会社を経営し、早くから感染症対策を踏まえた大会運営のノウハウを蓄積している人物である。義塾の仲間ということを理由に佐宗君も巻き込み、日吉のスタッフと共に検討を重ね、見事なBubble 領域が構築されるに至った。

このように、紆余曲折を経て体制はなんとか間に合ったのだが、実際に受け入れが始まってみると、日々、大なり小なり何らかの事件が起き、特に医療面では毎日英国代表チーム全員に行うPCR検査の結果に翻弄された。検査は方法を変えて2段階とし、1回目の検査で陽性の場合、2回目の検査で最終確認を行うのだが、予想外に1回目の検査での偽陽性が多く、そのたびに学内には緊張が走った。

外国人であれ、国内で陽性者が発生した場合には保健所への届出が必要となり、濃厚接触者の特定と本人の隔離先が指定される。届出やオンラインでの聞き取りを含め、医療安全は小生の役割(24時間対応)だったので、英国チームが滞在中は通信用のiPad と届出用紙を常に携帯しながら、大学業務を並行して行うことになった。

陽性が確定された場合の隔離先に行政が指定したのはなんと湘南国際村。湘南国際村は葉山の丘にあり、相模湾を見下ろす風光明媚な立地であるが、選手たちは日本に保養に来たわけではない。そもそも、日吉から葉山まで移動し隔離されることへの不安にどう対処するのか。特に生活支援が必要なパラ選手へのサポート体制については行政から十分な説明がなされないまま見切り発車となった点は課題であった。

福澤先生のご加護だろうか? 幸い、選手からは1人の陽性確定者も出さずに合宿期間を終了することができた。期間中、大きな事故やクラスターもなく、無事に選手・スタッフを選手村に送り込むことができたことは慶應義塾として一定の役割を果たせたと言えるだろう。医療体制に協力いただいた医学部の先輩・後輩、そして所属先の医療機関の皆様に心より感謝申し上げる次第である。

* * *

2020東京大会には計10名の塾生・塾員が選手として参加した。一方、大会を支える側にも数多くの塾生・塾員がかかわったことが大きな特徴であった。

1966年ローマで開催された国際オリンピック委員会(IOC)総会において、当時IOC委員であった塾員の高石真五郎さんは病床から肉声の録音メッセージを送り、これが形勢不利と伝えられていた1972年札幌オリンピックの逆転誘致に大きく貢献したと聞く(本誌2019年2月号「福澤諭吉をめぐる人々」参照)。もちろん、オリンピックの主役は選手達であるが、高石さんをはじめ、大会運営をbackyard で支える立場で貢献することは義塾とオリンピックの歴史に鑑みても強い親和性があると感じる。

その意味では、今回の英国チーム事前合宿受け入れは、義塾のオリンピックレガシーのひとつとして刻まれるだろう。ただ、コロナ対応の結果、この一大イベントを学生・教職員の実体験として残せなかったことは痛恨の極みである。

冒頭に述べたように、海外では大学が国際大会を誘致することは決して珍しくない。近い将来、義塾でもスポーツをコンテンツとして様々な国際交流が企画されることを期待したい。それが実現されることによって今回の経験はノスタルジーからレガシーに昇華できるのだと私は考える。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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