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【小特集:東京2020と慶應義塾】
特別インタビュー 山縣亮太:東京2020を振り返って

2021/12/16

  • 山縣 亮太(やまがた りょうた)

    陸上競技選手
    2015総

  • インタビュアー稲見 崇孝(いなみ たかゆき)

    慶應義塾大学体育研究所専任講師

パフォーマンスの測定

――今日は、山縣選手に東京2020大会を中心に、今シーズンのことを伺えればと思います。まず、コロナのために、オリンピックの開催が1年延びたことはどのように捉えていましたか?

山縣 僕自身は、ある意味チャンスをもらったのかなと捉えていました。もちろん2020年に合わせてやってきたのですが、ケガもあったので1年延期というのは準備ができる時間が増え、プラスの面もありました。

――世の中から「本当にオリンピックやるの?」みたいな雰囲気を感じながら準備をするという特殊な大会だったと思います。3大会連続のオリンピック出場でしたが、前の2大会とは、自国開催という意味でも違う感じだったのでしょうか?

山縣 だいぶ雰囲気が違いましたね。スポーツの意義ということを選手も、そして一般の方たちも、考えざるを得なかったと思います。そういう賛否がある中で行われた大会という意味では違う雰囲気を感じていました。

――これまでは大会前、1人でコンディションづくりをされていましたが、今年の2月から塾の競走部短距離コーチでもある高野大樹(だいき)コーチに就き、同時に私の研究室(スポーツサイエンスラボ)で自身の身体についてのデータをいろいろと取り始めましたね。

山縣 データを取り始めたことで、やはり客観的になれました。数字を逐一追えるという意味でよかったです。ずっと筋肉量は増やしたいと思っていたんですが、きちんと増えているかどうかが正確に見えます。筋肉量だけではなくて脂肪量などもわかります。

稲見先生に身体組成成分分析の数字の見方も教えてもらい、タンパク質量などに注目し、どうやったらその数字が上がるか、またその数字と筋肉量との相関を教えてもらい、トレーニングの負荷量を調整することができました。実際のトレーニングに生かせることがたくさんありました。

――ケガをしていなくても、大会前はやはりどこか身体に気になるところが出てきますよね。実際、妊婦さんへも使われる超音波装置を筋肉へ使って、自分の身体の中を見るのはどういう気分ですか?ちょっと疲れていると筋肉がいつもと違った色に映ったりしましたね。

山縣 以前もケガをしていた時に見ていたので、特段不思議な感覚はなかったです。問題があるところがあるなら、ちゃんとそれが映ってくれたほうが安心しますね。

日本記録の更新

――そういった今までと少し違うコンディショニングで身体をつくってきて、6月6日に日本記録(9秒95、鳥取市布勢スプリント)が出ました。10秒を切るというのはどんな感じでした?

山縣 やはり走りも変わったんです。トレーニング内容も取り組み方自体もいろいろ変わっていきました。僕は2018年に10秒00の自己記録を出してから3年間ずっと足踏みをしていたので、何か変えないといけないとずっと思っていました。しかし、具体的にどう変えていったらいいのかよくわからなかったし、ケガもありました。

でも、今年新しい取り組みができたお蔭で走り自体、すごく変わり、今までにない走りの感覚も生まれてきました。その中で3年ぶりに自己記録が出たので、記録も当然嬉しいですが、「殻を破れた」という感覚が、自分の中ですごく大きかったです。

――ブレイクスルーみたいな感じでしょうか。いい記録が出た時というのは、フィニッシュしてタイムを見てから「記録が出た」と気付くものですか? それとも走っている時から「行ける」という感じでしょうか?

山縣 前日から走っている感覚もよかったのです。なので、オリンピック参加標準記録(10秒05)は切れそうだな、という感じはありました。予選1本走った時、レースの感覚はそこまでよくなかったのに10秒01が出たので、風のアシストはあったにせよ「この感じなら決勝は9秒台行くかも」とは思いましたね。

ただ、決勝ではあまり記録のことは考え過ぎずにいきました。普段だったらもっと9秒台を意識したと思うんですが、勝負に徹したら記録が出ました。面白いですね。

――大会ではいろいろなプレッシャーがあると思います。スタートするまでに、ルーティンはあるのですか?

山縣 ルーティンはないです。ないのがルーティンぐらいに思っていて、決めずにいます。逆に決めると不安の原因になってしまうというか、もしできなかった時に動揺すると思うので、あまり考えないようにしています。

――それは紆余曲折があってそう考えるに至った?

山縣 いえ、昔からです。あまり根拠がないことが好きではなく、いつも通りの力を発揮することが大事、と思っています。

立つグラウンドも大会で違うし、かかるプレッシャーも違うのに、動作だけを同じにして、自分の気持ちが整うのかといったら、それはちょっと安易ではないかと思っています。

――なるほど。陸上は風や雨などによる環境の違いはあるけど、コンディションが良い時に結果が出やすいスポーツですか?

山縣 そうですね。ルーティンではなく、その時々の自分に合った準備さえできていれば記録は出る、ということを追求したいと思っています。

オリンピックを決めた日本選手権

――日本記録を出した後、注目が集まることは避けられなかったですよね。オリンピックの選考会を兼ねた日本選手権(6月25日、大阪)では、相当プレッシャーがかかりましたか?

山縣 意識しますよね。日本選手権は会場に入った時に調子がよくなかったんです。それでも最初は、3着は固いと思っていたのですが、いざ予選で1本走ってみたら、かなり危ない立ち位置だなと。僕より速い選手が余力を残して3人ぐらいいる感じがしたので、「もしかしたらやばい」と思い、実際かなり厳しい戦いになりました。

――でも結果として3位に入り出場が決まりましたね。その時の心境はいかがでしたか?

山縣 一番はホッとしましたね。それもこれも日本記録を6月に1回出しちゃったからですね。

でも振り返ると、オリンピックの切符を摑むこと自体、奇跡と言ったら大げさですが、チャンスに恵まれたと思います。今シーズンはものすごくタイトなスケジュールで、かなり際どい状態のところからやってきたと思いますので。

ケガもあったので、半ば出場できなくても、それを受け入れる覚悟もできていました。そのことを思えば、3着で滑り込んで代表権を取れたことはやはり有り難く、嬉しいと思わないといけないですね。正直、当日は緊張でガチガチ、という感じでしたね。

――私も何か自分の身内が走っているようでテレビ画面をあまり見られませんでした(笑)。

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