【特集:中国をどう捉えるか】
座談会:中国を動かすダイナミクスの受け止め方
2021/08/05
根付かない「文化相対主義」
小嶋 岩間さんのご見解はいかがでしょうか。
岩間 難しい問題ですが、中国は現在、自文化中心主義に対する批判精神が少し乏しいかなとは思っています。文化相対主義と言われる考え方で、これは日本や韓国では1980年代ぐらいからはある種の常識になっていて、学校でも教えられます。要するに、文化の価値はそれぞれ平等だから、外部から上下・優劣をつけることはできない、といった考え方ですが、まだ中国では常識的にはなっていないようです。
もう1つ、多文化主義があります。異なる民族文化を尊重して共存共栄していこうという考え方です。これは中華圏でもシンガポールや台湾では1990年代頃から定着していますが、大陸中国では、やはり少し影が薄い気がします。中国は20世紀を通して、基本的には「中華民族」という枠組みで国民国家建設をしてきた歴史があって、それが強いイデオロギーとして今も支配しており、そうした考え方が新疆のウイグル族に対する政策にも出ている。同化主義的な傾向が強いですよね。
しかし、だから中国はこれらの考え方を全然理解していないかというと、そうではなくて、中国政府は実はすごく世論に敏感で、新しい考え方も取り入れている。鄭さんがおっしゃったように、過激な世論を鎮めるという動きを中国は巧みにやってきているところがあります。
近年だと大漢民族主義が再び台頭しているんですね。大漢民族主義というのは要するに、少数民族を差別して、漢民族を中心に考えるというものです。それは毛沢東を始め、中国の指導者たちはずっと批判してきたことで、近年でもそれが肯定されることはない。例えば漢服運動という純粋な漢民族の服装を復興させようという運動が盛り上がっている。しかし、そういうものを中国政府は肯定しません。
また、広州のアフリカ系の人たちが多いような地域では「文化共融」といって、ある種の多文化主義みたいなスローガンも見られました。
なので、中国なりの多文化主義や文化相対主義が模索されているという感じも受けるんです。ただ、やはり徹底していないというか、少なくとも他の東アジアの国々に比べると認識が弱いところはある。こういった議論が深まっていくと、少し変わってくるのかなと期待しています。
小嶋 文化相対主義は、新疆や香港の人権問題に直結する価値ですが、中国で根付かないのは、社会の特質でしょうか、それとも政策によるものでしょうか。
岩間 そこは何ともわからないんですが、もしかしたら、愛国主義教育の影響もあるのかもしれません。でも、民主化しなければ文化相対主義や多文化主義が根付かないとは言えないと思うんです。シンガポールはそうですし。知識人には自文化中心的なものを批判的に考えている人は結構いるので、もう少し学校で教えるなどして、認知が広まるといいかなという気はします。
国際経済から受ける恩恵をどう考えるか
小嶋 加島さんはいかがでしょうか。
加島 現在、国際経済の中で中国の影響力は非常に大きくなっていますし、どこの国も中国との関係を無視して考えることはできないと思います。
一方で、中国の側から見ると、19世紀後半以降の中国経済の近代化や工業化の流れのなかで、中国は国際経済から多くの恩恵を受けてきましたし、特に1978年の改革開放政策以降はそうです。もちろん国際経済も中国から恩恵を受けてきた側面もあります。そのことは、中国共産党のリーダーも十分わかっていると思います。
ポイントは、共産党のリーダーが、国際経済との協調的な関係からこれまで得てきた恩恵と、対外的に強硬に出る必要性を天秤にかけ、後者に恩恵を失うほどの価値があると判断するかどうか、あるいは、どのくらいまでなら恩恵を失っても問題ないと考えるか、にあると思います。
外交の面では、昨日言っていたことと今日言っていることが変わる可能性はあります。1970年代の米中接近なんて世界の誰も想定していなかった。その直前まで中国はアメリカ帝国主義云々と批判していたわけです。
失われるメリットが非常に大きいと認識すれば、すぐにスタンスを変える柔軟性を持っているのが中国共産党で、そういったダイナミックな方針転換も可能なのが強さの1つだとも思います。
一方で、現在の中国共産党のリーダーが、国際的な経済関係から受ける恩恵が減少しても、自国の経済発展を維持していける、と考える可能性もあると思います。それが成功するかどうかはわかりませんが、動向を左右する大きな要素の1つはやはり共産党のリーダーの判断にあると思います。
コロナ禍の中の普遍性
小嶋 川島さんはいかがでしょうか。
川島 コロナ禍で現れた論点には、コロナ後に普遍的になる論点があるのではないかということですね。
政治的な面で言うと、人権、民主・自由、多様性が抑制される部分があったわけですが、それが中国においてはウイグル問題、香港問題として現れました。中国からすれば、これは従来からある国家の安全の問題で、香港にはカラー革命が、ウイグル自治区にはテロや独立運動があるかもしれないから抑えていると言う。
岩間さんがおっしゃった文化相対主義は、確かに中国には今まであまり根付かなかったのですが、他方で、中国的な意味での多様性の論理はあって、毛沢東もそれを否定していなかったはずです。それが今回のコロナ禍の中で次第に抑制されていると思われます。これは多くの国で共通の現象なのでしょう。つまり、多文化主義であれ、プルーラリズム(多元主義)であれ、文化相対主義であれ、コロナ下で世界的にやや縮小しているのではないかと思われます。
だからこそ、上手く管理ができてコロナを制圧できたから素晴らしかった、とだけ言っていいのかということがあります。それでは多様性などないほうがいい、という話になりかねない。重要なのは、どのようにして、人権や自由を可能な限り保ち、そしてこれからいかに元に戻せるかです。
経済について言えば、人の流れが止まり、デカップリングが新たな課題を投げかけています。国際分業体制がこれだけ広がり、中国もサプライチェーンで世界と結びついていたにもかかわらず、各国はコロナ禍でマスクは自分の国で作ると言い出し、国際分業体制を放棄した部分がある。加えて米中がデカップリングをやって、国際分業体制ではなく経済安全保障の論理を強く押し出しています。それでも、経済の相互依存は強いので、簡単に全面的にデカップリングなどできません。
今後、世界経済は協力協調体制をいかにして取り戻していくのか。中国も国際経済に依存し、世界も中国市場に依存しているわけですから。これは中国にとっての課題でもあり、世界の課題でもあります。世界第2の経済大国を無視できませんから、たとえ先端産業でデカップリングするにしても、決して国際関係の中で中国と一緒になっていく可能性を放棄できません。
それから、人口の問題を鄭さんがおっしゃいましたが、もはや人口ボーナスはないし、人口で稼ぐのは無理でしょう。だからこそ、中国はこのコロナ禍においても5Gなどのハイテク分野のインフラ建設を進めたわけです。中国では社会実装が急速に進められる。スマートシティなど、ハイテクな、「効率」のいい生活空間の構築が進展していくのです。
民主主義の国々では、社会実装をする際、個人情報への配慮など、様々なプロセスを経ますが、中国ではコロナ禍も追い風にしてそうしたプロセス抜きに進められます。中国には多くのデータが集まっており、そこから学ぶべきことがたくさんありますが、その結果を先進国が直接適用することもできません。新たな「適正な」社会秩序が、数字的根拠に支えられていかに構想されるべきか、これもまた大きな問いです。
中国は社会主義だから我々とは違うと決めつけず、中国の提示する、高齢化社会における無人化、自動化社会の「便利さ」を、いかに学んでいくのかということも、このコロナ禍で一層明確になった課題だと思っています。
2021年8月号
【特集:中国をどう捉えるか】
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