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【特集:中国をどう捉えるか】
国分良成:中国共産党100年──革命党のままの執政党

2021/08/05

  • 国分 良成(こくぶん りょうせい)

    前防衛大学校長・慶應義塾大学名誉教授

中国共産党は今年の7月1日をもって創立100年を迎えた。正式には1921年7月23日、上海のフランス租界において中国共産党第1回全国代表大会が開催され、ここから歴史がスタートした。当時の全国の党員は50名余りといわれるが、党大会への参加者については12名とも13名ともいわれる。現在、党員数は約9,500万人、中国の人口14億のうち約15人に1人が共産党員だという計算になる。

中国共産党100年の歴史を時期区分すれば、それは1949年の中華人民共和国以前と以後に分かれるであろう。以前は既存権力の打倒を掲げる革命党であり、以後は国家建設段階の執政党である。しかし、こうした明確な分岐点にもかかわらず、中国共産党は100年を通してある種の一貫した体質を有しているように思える。

私は、中国共産党の歴史を貫く特徴として、次の3つのポイントを指摘できると考えている。①党内民主主義の欠如と絶えざる権力闘争、②毛沢東の圧倒的存在と負の遺産、③「中国的特色」というイデオロギーの曖昧性。

党内民主主義の欠如と絶えざる権力闘争

革命党であった時代から執政党の現在にいたるまで、中国共産党には、次期の後継指導者を決める選挙はおろか制度や内規も存在せず、つまり党内民主主義が存在せず、そのために人事と利権をめぐって絶えず権力闘争が生起した。多くの場合は前任者が後任者を決めるのだが、それに反発する指導者や集団が必ず登場し、恒例行事のように熾烈な権力闘争を招くことになる。このことを歴史的に確認してみよう。

中国共産党の創立には陳独秀と李大釗という2人の北京大学関係者が関わった。しかし陳独秀はその後「右翼日和見主義者」として失脚したため、共産党史からは消え去り、李大釗が中心人物として残った。その後、共産党は瞿秋白、李立三、王明などが指導権を掌握したが、彼らに共通するのはソ連との深い関係をもつロシア派であり、ロシア革命のように、都市労働者に重点を置いた革命スタイルを中国革命においても踏襲しようとした*1。しかし、いずれの指導者も国民党との戦いに苦戦し、しかも都市重点工作の革命路線も失敗を繰り返した。そうした経緯から、これらの最高指導者はすべてその後批判され、権力中枢と党の正統史から外されていった。

毛沢東が権力を獲得したのは1935年1月、国民党の追撃から逃れる過程、いわゆる長征途上の貴州省の遵義会議においてであった。先達の革命家たちはロシア革命方式の都市重点工作を展開したが、質量ともに都市労働者が不十分な中国では失敗を繰り返し、結局は農村革命を展開していた毛沢東に合流することになった。毛は権力獲得後、自らの指導権を確立するために整風と呼ばれる綱紀粛正運動を主導し、過去の指導者たちの負の遺産を清算した*2

毛沢東は遵義会議以後、抗日戦争と内戦を経て1949年には革命に勝利して中華人民共和国を建国し、共産党が執政党となってからも最高権力を保持し、結局は1976年の死まで終身権力の座に居座り続けた。その間、毛は1960年代には劉少奇や鄧小平を後継に据えたが、やがて彼らに政策面をはじめ強い不信感を抱き、引退によって失われた権力を奪還するために文化大革命を引き起こした。そしてこの文革中に自身の後継者として軍人の林彪を指名するが、その2年後の71年に林は毛沢東暗殺を企てたとされ、国外逃亡に使った搭乗機の墜落により死去した。毛は死ぬ間際に華国鋒を後継に指名するが、その後権力掌握した鄧小平によりあっさり失脚させられた。

鄧小平も後継者指名に2度失敗している。1人は胡耀邦であり、もう1人は趙紫陽である。胡については1980年代に中国共産党総書記となり、次代のリーダーとなったが、長老たちの引退と若手の登用を進め、民主化運動にも同情的であったことから失脚した。これを継いだ趙紫陽は、いうまでもなく天安門事件のなかで学生運動に同調したことで失脚した。2人とも鄧小平による直接の後継指名であったが、解任も彼の決断であった*3

その後、鄧小平は20世紀のリーダーとして江沢民、21世紀のリーダーとして胡錦濤を指名してこの世を去った。習近平の指名に関しては諸説あるが、江沢民派と胡錦濤派、また長老たちとの妥協の産物であったとされる。しかし、習近平は権力獲得後、江沢民派を排除し、胡錦濤派を牽制し、自らは憲法を改正して、鄧小平時代に取り決められていた1期5年で2期までの国家主席規定を廃止し、長期政権を狙いつつある。習近平体制は永遠ではない。必ず交代期が到来する。しかし次期後継を決める制度的メカニズムの存在しない中国では、いつものように激しい権力の暗闘を迎えることになる。

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