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【特集:学塾の歩みを展示する】
座談会:ストーリーで見せる 開かれた展示施設へ

2021/05/11

「検証」と「顕彰」

平野 研究教育機能と自校史教育との関わり合いに関しては、村松さん、どんな動向が指摘できますか。

村松 先ほど申し上げたように、自校史教育というのは1990年代の後半ぐらいから各大学で始まっていますが、あわせて地域との連携という中で、明治大学も創立者の生誕地に行って創立者のことを紹介するイベントを実施したり、地元の研究者の方と交流をして、その情報交換しています。

明治大学の3人の創立者のうち鳥取市は岸本辰雄という初代校長が出身。福井県の鯖江市に矢代操というもう1人の創立者、3人目は山形県天童市に宮城浩蔵という教頭を務めた人物がいるのですが、各地で学生派遣プログラム等をやりました。地元でも創立者のことはあまり知られていないので、学生に地元の方と交流してどうすれば創立者が知られるようになるかを情報収集してもらい、地元を盛り上げるイベントも実施しました。

先ほどから人物の「検証」のことばかり言っていて、褒めるほうの「顕彰」についてあまり話していないのですが、検証と顕彰、両方とも大事なことだと思っています。同志社の新島襄の研究をされている本井康博先生は、よい人物研究を行うには褒めるほうの顕彰と調べるほうの検証の両方をやらないといけないとおっしゃっています。

明治の場合、どちらかというと突き放し一方でしたが、今、村上一博センター所長が創立者の初期の論文を掘り起こして再評価する仕事をされています。明治も慶應に倣って、褒めるほうも心がけてやっていきたいと思っています。

平野 自校史教育では、塾史展示館も、例えば一貫教育校の見学ツアーのコースになるとか、あるいは学部や大学院にある義塾史関係の授業との連携なども考えていらっしゃいますか。

都倉 そうですね。一貫教育校や大学まで、機会があればぜひ活用して頂きたいです。オープン前ですが、すでに先日、横浜初等部生に見てもらいました。開館したら、今日の授業はみんなで見学、というような形でも活用して頂けるとうれしいです。全く無関係な分野と思っている人ほど、案外純粋な目で本質的な発見があると思います。

歴史を伝える場所性について

平野 展示施設が設置されている場所や建物というのも非常にメッセージ性があると思います。その展示施設自身の建っている場所、あるいは建物が持つ歴史的な意味に関してはいかがでしょうか。

井上 最初に申し上げた通り、私どもは渋沢栄一の終の棲家になった、旧飛鳥山邸がその拠点になっています。しかもそこに残る建物が2棟、今、重要文化財として元の形に復した状態で見ていただけます。庭園の一部は往時訪ねてきた人たちが渋沢栄一と歩いた景観が残っているところがあり、実際にそこに足を踏み込むと、言葉で伝わる以上のものが何かしら体感できるような雰囲気があると思っています。

また建物内で渋沢栄一が書いたものなどを展示すると、やはり伝わり方も無機質な建物の中で見る書以上に渋沢の感情みたいなものも伝わってくるところがあると思っています。

村松 場所の問題は非常に重要で、最近各大学でも展示の中で1つの柱として位置づけています。また、キャンパスの所在する場所とまちとの関係は非常に重要で、連動して考えることが必要だと思います。

例えば明治の場合、なぜ都心部にキャンパスを置かざるを得なかったかというと、端的には専任の教員を雇う余裕がなかったからです。明治法律学校として誕生した明治大学の教員の供給元は本郷の東京大学の研究者、もう1つが丸の内、司法省の法制官僚でした。

その人たちが非常勤として明治に来るので、本郷と丸の内の中間地点の御茶ノ水にキャンパスを置かざるを得なかった。それは周辺にあった法律学校である専修、法政、中央、日本の各大学も同様で、その結果、学校が集まり、神田界隈に学生街ができていくわけです。

このようにまちの来歴と大学というのは関わりが深いので、当然研究対象になりますし、まちの人たちにも協力を求めていく必要があります。今挙げた5つの法律学校を由来に持つ神田5大学で連携して、神田という場を共有する法律学校研究会という組織をつくり、科研費を取ってその時期の法律学校の教育や人物について横断的に共同研究をやっています。その中で最近、「神田学生街の記憶、5大法律学校の軌跡」という写真展示会を行いました。

1880年から中央が駿河台から多摩に移る1980年までを対象にしましたが、これが実におもしろくて、集めていくと、神田界隈の非常に大きな写真のデータベースができました。地元の方たちとも今後協力して、写真をもう少し集めてデータベース化を本格化しようと話しています。

平野 各大学の連携という話は非常におもしろいですね。場所性ということに関して、中津はいかがでしょうか。

松岡 中津は福澤が生きていた時代の通りや街並みがかなり保全されていて当時の街並みの雰囲気を残しているところです。博物館としてVR等の体験型というのは導入が難しい状況ですが、街歩きという体験を通じて場所性を非常に重視しています。

今、私がいる新中津市学校はもともと小幡篤次郎の旧居でした。現在の小幡記念図書館も進脩館(しんしゅうかん)という、福澤は通えなかった上士の人たちが通う藩校の跡地に建てられており、文化施設が代替わりで受け継がれて、場所としての特色がそのまま残っています。

中津城も近いですし、歩いていると例えば和田豊治や中上川彦次郎の家も公園として残っています。福澤の周辺の人物の生家跡までかなり辿れるという特色ある地域です。『福翁自伝』を読んでから狭い中津の街並みを歩いてみると、ああこんなところにこの人の家がある、と感じられます。私はそういったところを細かく反映した地図をアップデートし続けています。

福澤旧居も訪れた人は家が大きいと感じられるようなので、今後は模型やVRなどを導入して、血槍屋敷(ちやりやしき)と呼ばれたほうの家を復元できれば、さらに場所性が感じられる良い展示ができるのではないかと思っています。

平野 中津全体が1つの歴史博物館みたいな感じになっているのですね。塾史展示館の建物、あるいは三田という場所性に関してはいかがでしょうか。

都倉 今年は慶應義塾の三田移転150年です。慶應は三田から動きませんでしたので、場所の連続性を意識できるのは有り難いことだと思います。図書館旧館の建物も、戦災を経ているとはいえ109年の重みを感じられます。その空間でこの学校や先人たちの歴史を語り、それを通して近代日本を生きた人々の格闘を改めて考えてもらうことができます。

場所で紐付けられることによって、この土地にまさに福澤がいて、門下生たちが学び、学生たちが住んでいたということを感じることができ、慶應関係者であるかないかにかかわらず、自分と関係のある問題として展示内容を見てもらうことができればと期待して います。

平野 展示館がある部屋はもともと図書館の閲覧室でしたし、私たちの世代だと大会議室で教授会などをやる部屋でした。あの部屋自体が1つの歴史だという感じがしますね。

展示館開設を出発点として

平野 最後にそれぞれの施設の今後に向けて、言ずついただけますでしょうか。

井上 ベースになる調査研究が、今は本当に多岐にわたり、非常に幅広い学際的な研究の中で渋沢栄一をもう一度捉え直そうとしています。その成果をもとに、より新しい展示に置き換えて皆さんにお伝えできればと思います。

一方、我々が目指しているデジタルコンテンツを活用しての情報発信の強化にもより一層努めていきたい。リアルのほうも、物をしっかり見せると同時に受け継がれている情報を、より活用できるような形で幅広く整備していきたいと思っています。

松岡 今年は慶應義塾との市民講座で「中津留別之書」という、中津の人々に宛てて福澤諭吉が書いた書物を取り上げる予定です。中津での福澤についての印象はまだ改善されていないと感じるところもありますので、それ以外にも「福澤家の人々」という形で、子孫や先祖も含めて理解を深めていく展示も企画しています。

館が令和元年にオープンして、何度か企画展をしていく中で、少しずつ中津の人から福澤諭吉に関する反応が返ってきたという手応えを感じていて、福澤諭吉や門下生の史料の寄贈等のご連絡を受けることが多くなってきました。研究的な質も担保しながら、新たな史料を用いて、より発信にも力を向けていきたいと思っています。

慶應の展示館もオープンするので是非企画展等、連携も図れればいいなと思っています。

村松 今年は明治大学が創立140周年ですが、まさに「校友山脈」という人物の企画展示を行う予定です。これを機会に明治大学の人脈の研究の展開のきっかけにしていければと思っています。

展示はコロナ禍の影響で展示室が時間制限になることもあり、来られない方のためにも、著名な卒業生のインタビューなどを中心にした映像をYouTubeに上げ、明治大学の校友山脈を実感してもらう仕掛けをつくっていきたいと思っています。

最後に大学史の連携を担当する立場から、是非日本の大学全体を牽引するリーダー格である慶應に申し上げたいことがございます。慶應は、大学の歴史をとっても福澤諭吉をとっても、それ自体が日本の近代史の一画を担っている存在です。それゆえに展示としては慶應義塾単体で、福澤諭吉単体で十分自足できてしまうと思います。

それは分かっていますが、ここは是非、価値観を同じくする大学や機関と一緒に、大きな価値や広く共感を生む展示、あるいは大学史に関する教育を共に創り出すことについても引っ張っていっていただければと思います。今後の展示の展開に心から期待をしています。

都倉 今、村松さんから大変耳に痛い話もありましたが、やはり慶應はどうしても自己完結してしまうところがあって、卒業生の結束なども非常に特殊なところがあります。また、歴史を語る際も、もう消化不良になるくらい情報がたくさんあるので、なかなか周りを見渡してその中でどういう位置を占めたのかというところまで語る余裕がないのが正直なところです。

今回展示館ができたことは出発点だと思っています。展示という形で比較や連携等をしていくきっかけができたのではないかと思っていますので、これから大学間、人物間、地域との協力など、様々な広げ方ができるのではないかと思っています。そして共有する価値を相互に高めあうことに資することができればと思います。

平野 都倉さんのお話にもあった通り、この展示館というものが1つの教育研究のネットワークのハブになるような形で交流を深めていくことへの期待を持っています。

本日はお忙しい中、貴重なお話をいただき、有り難うございました。今後ともよろしくお願い致します。

2021年3月10日、オンラインにより収録

塾史展示館は5月15日開館後、当面の間、事前予約制です。詳しくはホームページをご覧下さい。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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