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【特集:学塾の歩みを展示する】
座談会:ストーリーで見せる 開かれた展示施設へ

2021/05/11

  • 井上 潤 (いのうえ じゅん)

    渋沢史料館館長、(公財)渋沢栄一記念財団業務執行理事

    1984年明治大学文学部史学地理学科日本史学専攻卒業。同年渋沢史料館学芸員。同館学芸部長等を経て2004年より現職。専門は渋沢栄一研究、日本村落史。著書に『渋沢栄一伝 道理に欠けず、正義に外れず』等。

  • 村松 玄太(むらまつ げんた)

    明治大学史資料センター専任職員

    2002年明治大学大学院政治経済学研究科単位取得退学。2003年より現職。専門は日本政治史、大学史。全国大学史資料協議会東日本部会事務局担当。

  • 松岡 李奈(まつおか りな)

    中津市歴史博物館学芸員

    塾員(2015文、19文修)。慶應義塾福澤研究センター嘱託、国士舘大学国士舘史資料室を経て2019年より現職。福澤研究センター客員所員。

  • 都倉 武之(とくら たけゆき)

    慶應義塾福澤研究センター准教授

    塾員(2002政、07政博)。福澤諭吉記念慶應義塾史展示館副館長。武蔵野学院大学専任講師を経て、2007年より慶應義塾福澤研究センター専任講師。11年より現職。専門は近代日本政治史。

  • 平野 隆(司会)(ひらの たかし)

    慶應義塾福澤研究センター所長、同大学商学部教授

    塾員(1986商、92商博)。福澤諭吉記念慶應義塾史展示館館長。1996年慶應義塾大学商学部助教授、2005年教授。専門は産業史、経営史(日本・近代)。本年4月より福澤研究センター所長。

「展示」に至るまでの道のり

平野 来る5月15日に、福澤諭吉と慶應義塾の歴史を展示する福澤諭吉記念慶應義塾史展示館が、三田キャンパスの図書館旧館に開館します(※現在、新型コロナウィルス感染拡大により、開館を延期しています)。

今日は、これを機に大学史あるいは学校史をどう伝え、さらにそれをどのように展示していくのか、そしてそこにどのような意味を見出し、それをどうやって継承していくのかについて、ご専門の方々とお話しできればと思います。

まずはじめに、塾史展示館開設の経緯や意義に関して、中心的な役割を担ってきた都倉さんからお願いします。

都倉 この展示館は慶應義塾の160年あまりの歴史と福澤諭吉の生涯、さらにそこに連なる人々を展示します。単に慶應関係者に価値のある歴史ではなく、これは「近代日本の格闘そのもの」であるというキャッチコピーをパンフレットに載せました。

展示の方法は奇を衒わないオーソドックスなもので、説明文により写真と実物を見せていく形式が中心で、できるだけ実物に触れていただくことに重点をおきたいと考えています。

慶應では福澤という人物を伝えるために大正期に伝記編纂を行ったり、全集を編んだりしていますし、学校史も戦後間もない時期の百年史編纂は先駆的と言われ、歴史を大事にしてきたように見えますが、不思議なことに展示施設だけは実現を見ませんでした。調べた限り1937年から度々記念館をつくる話が残っていますが、最初は戦時体制による物資不足、戦後は校舎再建優先で見送り、有力な寄付者が突然亡くなって立ち消えたこともあったりと、何度も何度も流れました。

福澤研究センターは1983年にできた組織で、当初から史料を編纂するとともに、それを展示する役割が想定されていましたが、40年近く経ってしまいました。

慶應は創立者や学校の歴史を研究所での学術研究で伝えていくという点では先導的な役割を果たしたと言えると思いますが、「展示」で歴史を伝えることは、完全に出遅れました。

私の理解では、今回の展示館ができる直接のきっかけは、2015年に当時の清家塾長一行がハーバード大学を訪問して、そこで慶應とハーバードのゆかりを示す福澤書簡を見せていただいたことにあると思います。丁度、図書館旧館の建物が耐震補強工事のため改装されることになり、新装なった時に歴史展示施設をつくろうという機運になりました。

平野 これまでも図書館旧館の1階部分に、ごく小さな展示室があり、そこに福澤ゆかりのものなどが並べられていましたが、普段は公開していませんでした。だから本格的な展示施設としては初めてということですね。

それでは人物に関する展示館として先輩に当たられる渋沢史料館の井上さんからお願いいたします。

井上 当館がオープンしたのは1982(昭和57)年のことですが、当館自体の原点は、1937(昭和12)年に孫の敬三が提唱した日本実業史博物館構想にあります。

これは、単に渋沢栄一だけを紹介するのではなく、渋沢が生まれる少し前の文化文政期から明治末までを1つのスパンとして考え、その文化の変容を捉えるという非常に大規模な構想でした。当時としては珍しく錦絵や写真などビジュアルな史料収集にも着手し、その時代を物語る生活用具、文献等を大量にそして体系的に収集していました。その時代を担った人たちの肖像写真を集めて紹介する、肖像室の構想も含まれていました。ところが、これもやはり戦争等の影響で、結局、断念せざるを得なかったのです。

もう1つの渋沢財団の事業の柱に『渋沢栄一伝記資料』という全68巻でまとめられた膨大な資料集の編纂・刊行があります。これは渋沢の事績について関係した事業の経営資料、交流のあった人々の書簡等の一次資料から新聞・雑誌記事による参考資料までが網羅的に掲載されています。この『渋沢栄一伝記資料』は戦争を経て、40数年かけて1971年に最終巻がまとまりました。

日本実業史博物館構想は途絶えましたが、伝記資料の編纂時に収集されたものを中心に、実業史博物館構想にあった渋沢栄一を紹介する内容に限定して1982年にオープンしたのが当館です。開館当初は旧邸跡に残っていた大正時代の建物である青淵(せいえん)文庫という書庫をメインの建物として、細々とスタートしました。

98年に現在の本館でリスタートしました。それ以降、設備面も充実し、企画展示室が設けられ、史料もきちんと保管ができる収蔵庫に収めることができるようになりました。

開館当初から、私は学芸員として勤めてきましたが、2004年から館長という役割を担い、館の様々な情報を強力に発信するべく、情報資源化構想というものを打ち立てました。様々な資料のデータベース化、資料情報を抽出してデジタルコンテンツの作製に取り組み、ウェブを通じて多くの方に情報提供して、ご活用いただけるようにしています。

また、渋沢を通じて世界中の様々な大学等の研究機関との連携強化をはかり、共同研究を進め、研究成果をもとに啓発事業に着手してきました。研究機関として、情報提供するハブ機能も併せ持つようにしました。よく言われるMLA連携(博物館、図書館、文書館の連携)を目指したのですが、私としては連携ではなくて融合させていきたいという思いでやっています。

平野 渋沢史料館は昨年リニューアルされたのですよね。

井上 はい。コロナの影響で半年ほど遅れましたが、昨年11月にリニューアルオープンしました。

今回の展示では、まず、渋沢栄一がどういう事績を残したかを、1年ごとに編年の形で「たどる」ことができるようになっています。また、より深く「知る」、渋沢を体感してもらうように「ふれる」、といった構成になっています。原史料を上手く展示すると同時に、その中に含まれている情報をデジタル化して、例えばQRコードでスマホから読み取ってもらい、さらに理解を深めてもらえるようにしていきたいと思っています。

「大学史」を展示する

平野 それでは明治大学史資料センターの村松さん、お願いいたします。

村松 明治大学史資料センターは福澤研究センターの開設からちょうど20年後の2003年に開設しました。そして2004年から駿河台キャンパスのアカデミーコモンという建物の中の100平方メートル程度の小さなスペースに、常設の大学史展示室を設置しています。2011年度には明治大学では「校友」と呼ぶ、卒業生の作詞家阿久悠さんの展示施設、「阿久悠記念館」を設置しております。

明治は慶應と違い、創立者が著名ではなく、かつ3名います。慶應や早稲田以外の私大では、創立者が複数いる場合は決して珍しくありません。また創立者の史料が明治大学の場合、ほとんどないため、展示の比重は比較的小さく、展示室の大部分は通史展示、学部の歴史、キャンパスの紹介、またモニュメンタルな建物や著名卒業生の紹介という形で構成されています。

私自身は、各大学の110あまりある中の連合組織である全国大学史資料協議会という団体の事務局等の役を仰せつかっています。この大学史資料協議会で情報交換や連合体での共催展示等を実施しています。またそれとは別に自分で科研費を取って、神田の法律学校に由来のある5大学(専修、中央、日本、法政、明治)間で連携し、研究会や共催での展示もしています。

平野 それでは中津市歴史博物館と新中津市学校で中心となって研究調査活動に携わっていらっしゃる松岡さん、よろしくお願いいたします。

松岡 私は今、新中津市学校にいますが、ここはもともと歴史民俗資料館という資料館で、その前が小幡記念図書館でした。そこが2019年にリニューアルされて、新中津市学校という、明治4年に福澤の提言で設立された中津市学校にちなんだ文化施設になっています。また、新しい博物館として、同年に中津市歴史博物館が中津城の近くに設立されました。これらの施設には収蔵庫も整備されており、慶應との連携協定の強化ということも兼ねて福澤や小幡など、中津出身の慶應義塾関係者の研究を深化させようと、設立時から共同研究が進んでいます。

私は以前、福澤研究センターで嘱託をしていましたが、中津のアーカイブス講座という慶應義塾と中津との連携の一環の事業に参加していた縁もあり、今は中津市で学芸員として勤務しています。

中津市歴史博物館は中津の歴史を縄文から近世近代にかけて通史で展示しています。一方、福澤旧居近くの福澤記念館は近代の部分を担当している形になります。そこで、歴史博物館と福澤記念館で共同の展示を行う際、現在、記念館には専門の学芸員がいませんので、史料の出し入れなどを私が担当しています。特に福澤諭吉の展示では、中津市は記念館と歴史博物館の連携をしながら、まち全体で福澤諭吉を感じるような展示を行っています。

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