三田評論ONLINE

【特集:学塾の歩みを展示する】
座談会:ストーリーで見せる 開かれた展示施設へ

2021/05/11

“内輪褒め”にならない工夫

平野 皆様有り難うございました。それでは、まず、大学史や学校史を展示することの意味について考えていきたいと思います。大学史の展示施設が対象とする見学者は、大学や学校という共同体の中の人たちと外の人たちに大きくは分かれると思います。中の人たちというのは在学生、教職員、卒業生、それから学生や卒業生のご家族も中に入ると思います。

外はそれこそ非常に多様ですが、そのように多様な見学者に対して、大学の歴史を見せることに、どのような狙いや意味があるのか、お伺いしたいと思います。

都倉 私立大学には何らかの理念や建学の精神というものがあり、若者を育てていこうという思いが出発点としてあります。その部分を、特に関係者向けには確認し続けていくことが大事だと思っています。我々の存在意義、ミッションということです。

それだけでなく、学外の方に向けても、その理念が共有できるところがあるならば、それを問いかけていくことに意味があるのだろうと思います。大きく言えば「教育とは何なのか」そして学んだ先に「どのように生きるか」ということを問い続けることだと考えています。学外の方にも共感してもらうというのは非常に難しいことで、慶應の自己点検の場でもあると思います。

展示をつくる上で、愛校心があり、創立者に愛着がある人に興味深く感じてもらうことはもちろん大事ですが、それが内輪の限られた人たちだけに向けた言葉で語られてはいけないのではないか、と注意しました。

「塾員」とか「社中協力」といった言葉は得てして内輪な感じが出てしまう。他大の「校友」などもそうです。

大多数の人を疎外する言葉で語ると、その施設は誰でも来られる場所であっても閉じたものになってしまいます。ですので、どのような言葉で発信していくのかということは、今回の展示に当たって非常に考えました。

村松 私も同感で、やはり内輪褒めになってはいけないというところはとても重要だと思います。

明治の場合、まず自分のいる場所をどう位置づけるかということが、自校史教育では大事だと思っています。そして、外の人に対しては、全体から位置づけて明治はどういう位置にあるのか、ということを知っていただくことを考えています。

このことは、やはり明治は創立者が有名ではないということが関係していると思います。もちろん私たちも建学の精神の浸透や帰属意識の醸成といったことを考えていますが、他方で私立大学総体、日本の大学総体、世界の高等教育総体の中で、また日本の近代史や世界史の広がりの中で、自らの大学史をどのように位置づけていくのかということが沿革史編纂の中でも非常に重要であるとされ、現在までそれは一貫した姿勢になっています。

どうしても1つの学校の自校史となると、普遍性がなくなり、内輪褒めになってしまう危険性がある。そのため、大学で教育や展示等を行う以上、歴史研究としての水準を備えたものとして質的な保証をする必要があります。そして授業や展示においては比較の視点や最近の調査研究の知見を反映させるようにしたいと思っています。

例えば明治大学ですと、「30歳そこそこの創立者が若くして大学をつくって偉かったんだ」とつい言いがちですが、1880年代にできた大学の創立者と比較すると、明治の創立者たち(岸本辰雄・宮城浩蔵・矢代操)が突出して若かったわけではない。

明治1桁代から10年代にかけて、10代後半や20代で海外留学する人が増え、新知識を吸収して日本に帰ってくる。戻ってくれば自らがトップランナーで、周りには先達が誰もいない状況ですから、社会的には若い世代が責任者になって学んできたことを教育を通じて還元しなくてはいけない。そのような社会的、国家的な要請があったわけで、1880年代に設置された学校の創立者は大体若いんですね。

こういうことは他の学校史等を見ていけば分かることで、やはり全体の中で比較するという視点は非常に重要だと思います。

平野 自校を大学全体の中で位置づけて相対化するということですね。

松岡さん、新中津市学校は中津市と慶應義塾の連携の事業ということですが、大学から離れた地域にこのような展示スペースがあることについてお考えがありますか。

松岡 中津では慶應に進学する人が多いかと言われると、特にそうでもないと思います。しかし、やはり慶應という言葉には、かなり敏感に反応される、とは感じています。

一方、現在、地方の学生が慶應義塾大学に進学する率は年々下がってきていると思います。私自身も地方の公立校から慶應義塾大学に進学しましたが、私の出身高校では早稲田に絶対行きたいとか慶應に行きたいとか、明治に行きたいという思いは薄れてきているように感じていました。そのような中で、中津のように福澤諭吉という共通点があるところで、慶應義塾の特色を出す展示が可能であることは、1つの強みかなと感じています。

大学の社会貢献の面からも、やはり地域連携は非常に重要だと思います。いろいろな方法があると思いますが、共同研究やいろいろな面で創設者を見つめ直すという点では1つ大きな役割が果たせるのかなと思います。

平野 渋沢史料館の場合、大学と違って、内や外ということはないかもしれません。ただ見学者が非常に多様で、それこそ実業界の方や、あるいは歴史愛好家の方など、様々な方がいらっしゃると思います。

井上 そうですね。もちろん渋沢個人をという視点で来館される方も多くいます。渋沢の事績は、様々な大学をはじめ多くの企業等に関わっているので、各事業史の関心から来られる方もいます。

館としても、渋沢栄一という人物を触媒としてそれぞれの事業体の歴史、業界なりの原点を探っていこうという企画をしたことがあります。現在受け継がれている企業の、いわゆる社史の担当者の方々とお互いの史料、情報を共有しながら、共同研究のような形で展示を組み立てました。今後はいわゆる社会事業にも目を向けて、社会福祉の様々な事業団体や学校にも関わっていこうと考えています。

そのような試みの中で、渋沢栄一が当時思い描いていた、近代を築いていくことの意味が、それぞれの事業の中で読み取れると思いますし、多様な活動の中で渋沢栄一の目指すところはどういったことだったのか、その中において貫かれている理念というものを見出していき、広くお伝えしたいと思っています。

沿革史編纂から展示へ

平野 私が少し調べたところでは、大学史の展示施設というのは2000年以降の比較的最近、たくさん開設されている感じがします。これは村松さん、どういう事情があるのでしょうか。

村松 大学の沿革史編纂のところからお話しすると、明治は慶應から約20数年遅れて沿革史編纂を始めています。慶應は、戦前から福澤研究と関連させながら、非常に早く沿革史編纂を始めていますが、戦後、大学沿革史の先駆けとして『慶應義塾百年史』が1958年から出始めたことが画期的でした。

戦前では『東京帝国大学五十年史』が出ていますが、それ以降ではやはり戦後初の最大規模のものが慶應の『百年史』です。それに遅れて明治大学を始め1880年代にできた学校の多くは、1970年代から80年代に沿革史の編纂に取り掛かり始めます。その完結が大体90年代です。ですので、慶應は大学史に関しては国立を含めてトップランナーで、各大学は2、30年遅れてそれを追いかけてきました。

この沿革史編纂を通じて、収集した史料や知見、知識をどのように活用するかが、各大学にとって大きな課題でした。『東京帝国大学五十年史』の編纂終了時は、それを保存しておく部署もなく、史料が散逸してしまいました。それが大きな反省点になり、90年代から2000年代にかけて国立大学では情報公開法、公文書管理法といった法律の制定をきっかけとして大学文書館をつくる動きになります。

その先駆けが2000年にできた京都大学の大学文書館です。私立大学ですと作成した文書や史料は公文書ではないので、文書館ではなく展示施設あるいは史料保存という意味で大学アーカイブスの設置が盛んになります。

とりわけ自校史教育では1991年の大学設置基準の大綱化に伴う教養基礎教育の見直しが契機になって、建学の精神を学生に知ってもらう、卒業生の帰属意識を高めることを目的に、自校史教育あるいは展示を活用するという流れが生じてきたと思います。

展示施設の開館状況をみると、創立者の位置づけが大きいところは割と早めに展示施設を設置していると思います。1984年の日本女子大の成瀬記念館、1988年設置の成蹊学園史料館などです。これらは沿革史編纂とは別の動きで行われていますが、それに対して大きな沿革史編纂を終えた大学が施設をつくっていくことが2000年代になってかなり増えていきます。

主だったところですと、明治大学の大学史展示室が2004年、2006年に関西大学の年史資料展示室、同年にお茶の水女子大の歴史史料館、2013年に同志社のハリス理化学館同志社ギャラリー、國學院大學博物館、2014年には立教学院展示館、東北学院資料室や神奈川大学の常設展示、2015年には帝京大学の総合博物館。2018年には早稲田大学が非常に大規模な大学歴史館をつくり、2020年には HOSEIミュージアムができました。

やはり最初は人物展示の要素が強いところが多いですが、さらに大学の通史展示やキャンパス、建物、著名な卒業生や教職員など、また、地域連携など、幅広い展示にシフトしてきている印象があります。

見せ方も、どうしても大学史の展示は紙、物が増えてきてしまうので、デジタルサイネージを活用したり、ハンズオン展示(手に触れることができる展示)にしたり、あるいはVRといった形の展示をしているところもあります。

そういう形で沿革史編纂で収集した史料を活用し、展示をしていく方向になったのが、ここ10年~20年というところではないかと思います。

平野 非常に詳しい情報を有り難うございました。まずは沿革史の編纂が先行して、その史料が集まったところで今度はそれを見せていくようになったという流れだということですね。

さらに私が思うのは、特に私立大学の場合は最近の少子化で、やはり新入生をたくさん呼び込まないといけません。そういう点で広報的なことを強める動きもあるのではないかという感じがします。

関心の種を蒔く

平野 展示するテーマに関してですが、塾史展示館の場合は特にどのようなテーマに重点を置こうとしているのでしょうか。

都倉 一般的に展示は最新の研究成果を示すいわば玄人向け展示という方向性と、啓蒙的にいろいろな人に関心を持ってもらう、裾野を広げる方向性が、あると思います。

福澤という人は、知名度は高いですが、その生涯は必ずしも知られていないので、基本的な情報を出していくだけでも、ものすごくボリュームがある。そして慶應も160年と、私立では一番長い歴史を持っているので、主だったところを見せていくだけでも十分な量になる。ですから新奇なことを示すよりは基本的な情報を出していくことが中心となりました。

ただ基本的な情報だからこそ、親切丁寧に説明して、見に来た人が何かしらそこにヒントを得たり、探求の糸口を見つけたりという発展につなげられるようにしたいと思いました。

渋沢もそうだと思いますが、福澤は、多様な分野に広がっていきます。ビジネス、保険、統計、政治、メディア、文学、スポーツ……と、きりがないので、深い話は企画展などで最新の研究も踏まえて折々取り上げていくことにして、できるだけ多様な種を蒔いていく感じにしました。先ほど井上さんは触媒とおっしゃいましたが、展示をきっかけにひらめきを得たり、何か調べてみようと思うことを見つけたり、きっかけづくりができたらいいなと考えています。

平野 人物を取り上げる際、どのようなことがポイントになるか。つまり顕彰という一面と、その一方で客観的学術的に展示をする、そのバランスをどう考えるかということがあるかと思います。

あるいは人物には様々な評価がありますから、プラスの評価、あるいは正当と言われる評価と、そうではないような異説があったりする。そういったことを展示する際にどのように考えられていますか。

井上 渋沢栄一は今、とても注目を浴びていますが、正直、多くの方にとって渋沢栄一という名前を初めて聞くような状況だと思うんですね。ですので、今を好機と捉え、渋沢栄一が、実は日本の近代社会が築かれていく中において、どれだけ多方面にわたって総合的に手を尽くして社会をオーガナイズしてきたのかというところを、しっかり理解してもらおうと心がけています。

また、渋沢栄一の生涯を捉える際、今回のリニューアルで一年ごとの展示を見せることができたのですが、これまでの私どもの力では、例えば実業の世界、社会福祉の事業、教育の事業、民間外交の世界というように分野ごとでの紹介にとどまっていました。そうするとやはり、実業の世界で成果を上げて、それが後半生に社会に還元するということで、福祉なり医療なり教育なりに力を尽くしていったというストーリーに見えてしまう。

しかし、編年的な手法をとると、例えば第一国立銀行が明治6年に創立されますが、その翌年には社会福祉事業に関わっているということが見てとれる。総合的な視野で世の中に関わった渋沢の生き方を、より正しく実証的に、生の史料で見ていただけるようになったかと思います。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事