三田評論ONLINE

【特集:学塾の歩みを展示する】
座談会:ストーリーで見せる 開かれた展示施設へ

2021/05/11

福澤をどう相対化するか

平野 なるほど。都倉さん、福澤の場合は存命中からそれこそ論争の的になる、評価が分かれる人物でもあったわけですが、展示する際にどういう点に注意をしましたか。

都倉 そうですね。ある程度距離をおいて相対化する視点を大事にしたいと思っています。そのバランスの取り方には非常に腐心しました。

慶應というと、福澤を崇める宗教のように言われることもありますが、昔から実はクールに距離をおいて福澤を研究してきた人たちも多い。例えば小泉信三も塾長の時には「福澤先生」としか言わなかったけれど、戦後になって歴史上の人物として「福澤諭吉」として語らないといけないと反省し、「福澤先生と福澤諭吉」という一文まで書いています。近代史上の人物として見なければいけない、神様にしてはいけないという意識も慶應の伝統には強くあり、だからこそ展示施設が今までなかったとも言えると思います。

今回の展示では、「ホラを福澤、ウソを諭吉」という、同時代人が様々に福澤を評した言葉を集めたコーナーを作りました。非常に悪く言っている言葉もあるし、もちろん褒めている言葉もある。

「いろいろ言われた人ですが、あなたはどう思いますか」と、当時の言葉に語らせて、後はそれぞれに考えてもらうような工夫です。創立者を学校の中で展示する以上、どうしてもプラス前提で語られていると一般的に見られます。

でも、プラスマイナスの多様な議論自体が近代というものを考える入口にもなるのではないか。それを見せることが「多事争論」を勧めた福澤の問題意識にも繋がっていると考え、多角的に歴史を見るための導入の1つとして、かなりスペースを取ってあえて展示をしました。

平野 あのコーナーは面白いですよね。松岡さんは中津において様々な人物を展示する際に、どういう点がポイントになると思いますか。

松岡 地方という特性もあると思いますが、やはり顕彰というものが強く出てくることから逃れ難いところがあります。私個人としては平等に俯瞰的な目で判断して評価したいと思っていますが、例えば中津出身者の磯村豊太郎という人物は、基礎的に使われる一次史料が、磯村先生顕彰の記念の本だけになるということもある。

福澤や渋沢といった人物は、かなり史料が豊富で判断する際に恵まれた環境にあると思いますが、そもそも顕彰目的でつくられた一次史料以外のものが少ない人物の場合、慎重に取り扱わないといけないと思っています。

福澤自体が戦中の評価と戦後の評価がガラッと変わっている人物です。戦時中に顕彰されていた増田宋太郎という福澤暗殺を企てた人物を評価する際にも、戦中に書かれた文章だと非常に称揚されていてやはり信憑性には疑問があります。そういった点についても気を配りながら福澤門下生の展示なども行っていきたいと思っています。

物が与えるインスピレーション

平野 展示する具体的な物の話をしたいと思います。実物を展示するのと、レプリカ、あるいはモデルや模型などの使い分けに関しては、塾史展示館はどのような方針でしょうか。

都倉 これはどうしてもずっと展示しておきたいという物がいくつかありますので、それらは折々に実物を出すにしても、レプリカも併用します。

それ以外は展示で語りたいテーマの枠組みを決めて、様々な実物を定期的に入れ替えていく方針です。

展示品は、漫然と関連する資料でなく、何か語れることがあるものにしました。自分が一来場者となったときに「へー」と思えるか、を意識したんです。説明文は100字程度ですから、そこに「へー」を入れるのはかなり骨が折れました。

他の展示施設を見に行って、建物やキャンパスの歴史は、関係者とそうでない人で関心が対極に分かれると感じました。つまり自分が通っていなかった校舎の歴史は余り面白くないなと。

そこで建物については、精巧な模型をつくりました。模型であればそれ自体が展示物として魅力を持つからです。それに加えて、1つ1つの建物がその後どうなったかを丁寧に調べて書き込んでみました。読んで頂くと、建物を通して、日本の近代史が見えてきます。慶應は建築費が乏しかったので移築が多く、「日本の不動産は動産である」と言われたなんてことも模型のキャプションに書き込みました。福澤時代の三田の校舎が移築されて、昭和50年代まで日吉の慶應高校で使われていたことも、それで気付きました。

福澤の資料も、どうしても紙と字の展示になりがちなので、モノをできるだけ取り入れて構成しました。モノが持つ力、訴求力は非常に大きいと思います。そのモノ自体はつまらないモノでも、語れることがあると、俄然面白くなります。紙資料もモノとして見る面白さを意識しました。字の見た目や資料の形態などです。

平野 確かに沿革史や史料集という紙媒体のものとは違い、物自体から得られるインスピレーションがあるということは強く感じますね。

ただ、学術的には例えば文章をそのまま展示し、それを実際に読めるほうがいいわけですが、一般の来場者の方にはそれだと煩わしいから、もっと楽しみたいという要求も強いでしょう。どういう配分で実物を見せる展示にするかというバランスもありますね。

井上 正直、渋沢の関係史料の中ではいわゆる物の史料というのは極めて少ない。紙史料が中心で、しかも経営資料というか事務文書の類いで、見た目においてもさほど目を引くようなものはない。その中で、この中に書かれていることがいかに意味のあることなのかを表現する演出に頭を捻らないといけません。

幸いなことに、写真や映像、渋沢栄一の肉声も残されていますので、そういったものを上手く絡め合わせながら、同じ空間の中で渋沢栄一を複合的に感じさせるように苦心しています。

例えば同時代に実業界でこんなことを言っているけど、社会福祉事業の演説の中では少し矛盾するところが見えたり、逆に人間らしい像が浮かび上がってくることもあります。事業をただ推進した、機械のような人というだけではなくて、その中で悩んだり苦しんだりしたというところが浮かび上がってくるような史料をなるべく見つけ出し、渋沢栄一の事績をできるだけ実感できるように工夫しています。

村松 大学史の展示では、大体所蔵資料は紙がほとんどというのはどこも同様です。どうしても展示が平べったくなるので、そのためになるべく物を増やすということは考えますが、それも限界があるので、例えば最近ではVRを使うこともありますね。

明治大学は敷地が狭いので、建物をつくっては壊してきましたが、モニュメンタルな建物として来年取り壊しになる和泉キャンパスの第2校舎という建物があり、先日、その建物のレーザーによる3D点群データの測定とテクスチュア撮影を行いました。データを残しておくことでCGやVRで活用すれば、建物本体は残りませんが、記憶の中に生きながらえさせることは可能だと思っています。

また、例えば創立者の声の再現などを試みている大学もあります。日本大学は学祖の山田顕義のお墓の発掘調査を行って、医学部と歯学部の先生方が協力して骨格をもとに、山田顕義の声の再現をする試みをしています。発掘は慶應の福澤諭吉の墓所の改葬の際の調査も参考にしたそうです。

そのように様々な形で新しい技術を使って見せ方を考えていくということで、展示に工夫をすることは課題になっていると思っています。

都倉 渋沢栄一のアンドロイドはどうなんですか(笑)。

井上 あれはうちのものではないですけれど(注:深谷の渋沢栄一記念館にて公開)、制作に際しては監修させていただきました。当館で所蔵するフィルムからしぐさなどを検証してつくっています。2台つくられたんですが、本当にそっくりです。

70代の渋沢栄一のアンドロイドが「道徳経済合一説」を説き始めたら、すごい臨場感があって、本当に直接教わっているような雰囲気になります(笑)。そういう影響を与えるという意味では、ものすごい装置だなと思っています。

当館などではなかなかつくれるものではありませんが、最近は、VRなどを活用して臨場感溢れるような空間をつくりあげた中で、残された原史料などを見せることによって、より身近に感じてもらえる試みは増えていますね。

バーチャルによるつながりの表現

都倉 慶應の卒業生や福澤諭吉の関係者は無数にいるわけですが、誰を展示するのかとなると、なかなか甲乙つけがたい。我も我もとなっても困る。

これを解決する方法として、バーチャルな画面の中に皆押し込んで紹介する、デジタルの技術を使った「社中Who’s Who」という仕掛けを考えてみました。肖像写真がふわふわと画面を多数漂っていて、誰か1人の人物を選ぶと略歴が開き、その人に関係する人物が集まってくる。それによって多様な人々の多面的なつながりを表現してみました。

平野 これは非常に興味深くて、例えば慶應のスポーツで活躍した人をタップすると、体育会関係の人たちが周りに出てきて、その人を押すとプロフィールが出てくる。いくらでも遊べる感じでした。

福澤諭吉も渋沢栄一も非常に人脈が多様な人でしたから、その人脈をどのように展示するかというのはなかなか難しいのかもしれませんね。

井上 リニューアル前の展示でよく使ったのは書簡です。例えば経済分野の人たちとの交流ということで、代表的な方々をピックアップし、その人の人生なりを紹介し、渋沢とはこの書簡に書かれているような交流を持っていましたと紹介する。

今はウェブサイトのほうで様々なデジタルコンテンツをつくり、そちらでもいろいろ渋沢栄一に関係する事業でのネットワークを示していきたいと考え、それを展示にも生かしたいと思っています。

平野 展示物につけるキャプションに関してはどうでしょう。どこまで専門的に書くか、それからもう1つは国際化への対応で、外国語表記をどうするかなどがあると思います。

井上 全部を多言語に置き換えることはできないので、まずは第一義的な説明は英語を必ず入れるようにしています。それからコーナータイトルも英語を付けていますが、今後、詳訳を加え、別の言語についても考えていこうということで、展示室内でスマホ等で読み込んで対訳を見ていただけるようなことを、今、構想しています。

渋沢栄一の生きた時代は様々なテクニカルターム等があり、それを単にローマ字表記にしてイタリックにしても意味が通じないところがあります。その概念をどのように表記していくかが課題です。また、いわゆるシソーラスというか、事典のようなものを、今つくりあげているところです。

都倉 塾史展示館でもすべてのキャプション、説明文に英語表記を付けています。今おっしゃったように、専門用語や、慶應義塾独特の言葉、引用などをどう訳すかは苦心しました。過去に訳例がない場合、やはり歴史的にある程度意味がある形で訳語を決める作業が必要になり、学内の翻訳チームが随分労力を割いてくれました。

説明文について言えば、ここを見ると面白いんだよと、見方の補助線を引いてあげるように心がけました。面白さの押し売りにならないように、来場者本人が発見してくれるように、かなり意識しました。

松岡 紙ものが多いというのは中津の場合も同じです。福澤記念館も2階はほぼ書簡の展示になっています。そこをどう改善するかは現在模索中ですが、本年度「福澤諭吉の書」という展示をした際には、その時々の福澤の顔に近い写真をできるだけ展示して、くずし字が読めない方でも少しでも興味を持ってもらえるような引っ掛かりをつくるなど苦心しました。

また、記念館では福澤山脈という、福澤の人脈に関するパネル展示をしていますが、そちらはかなり網羅的に門下生の顔写真と簡単なプロフィールを展示し、「中津の福澤人脈」という、かなりローカルな人物を取り上げる展示も行っています。

『福翁自伝』の書きぶりから、福澤は中津のことをあまりよく思っていないのではないかとよく言われますが、中津市学校を創立したり耶馬溪の保全をしたり、実際はかなり中津の有力者と協力をして様々な活動をしています。ですので、中津の中で結構名前の知られている有力者との協力は必須であったという事情に鑑みて、地元ならではの人脈の展示を行っています。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事