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【特集:学塾の歩みを展示する】
塾史展示館への期待:福澤先生の人柄に触れられる場所

2021/05/11

  • 菅沼 安嬉子(すがぬま あきこ)

    慶應連合三田会会長

世界の著名な大学には立派なミュージアムがあり、日本でも素晴らしいミュージアムを持つ大学はたくさんあるので慶應義塾にもぜひつくりたいというのが長谷山彰塾長の就任当初からの念願とお聞きしていた。

新しいミュージアムは三田通り(桜田通り)の東門並びにあった慶應義塾の土地に建設されて本年4月19日にオープンを迎えた。デジタルを駆使した最新のミュージアムができたとのことである。そしてそれに対峙するように旧図書館2階には福澤諭吉と慶應義塾の歴史を物語る展示が見られる展示館がつくられた。

旧図書館は明治45年に慶應義塾創立50年の寄付により建設された。国の重要文化財にも指定されていて慶應の宝とも言える建造物である。しかしその後100年以上たったので、耐震化や外壁の補修などの工事が必要になった。戸田建設によって外装内装をそのままで免震工事をするという難解なレトロフィット工事と外装の補修工事がなされ、2年4カ月で完成した。大きくなりすぎて図書館を覆い工事にも支障があるということでヒマラヤ杉も伐採したら、かえって旧図書館の全貌が見渡せて今はフォトスポットになっている。

正面にステンドグラスが見える重厚な階段を上って展示館に入る。まず迎えてくれるのがオープニング映像。福澤先生と出会った塾生が丁寧にお辞儀をすると、先生が慶應義塾はともに学びともに教える学校だからいちいち挨拶しなくてもいいといわれた場面である。その塾生はのちの電力王と言われた松永安左エ門だそうである。福澤先生の声は市川猿之助である。先生の写真や書いたものはたくさん残っているのに声だけはお聞きすることができない。でも立派な体格の先生だったからよくとおる太い声だと想像する。

一筆書きの人や建物、地図などに誘われて歩を進める。福澤先生愛用の居合刀、掛け軸コーナーには、諭吉の父百助の几帳面な字や、慶應義塾の目的としている「気品の泉源、智徳の模範」が書かれた先生の直筆の軸が見られる。

3回の渡航や有名な写真館の少女との写真の実物が素敵な額に入っているがとても小さい。お金がないから大きい写真にできなかったとのことであった。福澤先生が体を鍛えるために使った臼と杵、眼鏡や硯もある。父百助が亡くなり借金返済のために遺品を整理するとき、どんぶりは売っても安いので残したのを一生筆洗いに使った。確かにそう立派などんぶりではないが福澤先生のお人柄が感じられて印象的であった。

明治になってから時事新報をつくり、演説館をつくり学問の啓蒙に努めた。文部卿は三田にあり、と言われるくらい人々を惹き付けたといえる。だんだんと慶應義塾の章へと移る。早慶戦の始まりは早稲田から挑戦状のような荒々しい書き方の文が来てそれが残っている。

慶應義塾も近代史に移ると、第2次大戦で占領されていた日吉の鍵をアメリカ軍が返した、大きな鍵の形の記念品がある。学生運動やオリンピックメダル、学生の制服など貴重 な品々が続く。

1912年頃、赤羽橋交差点のあたりから撮られた写真では、三田通りの民家が木造平屋か2階建てなので、三田の山の旧図書館がまるでお城のように写っている。三田界隈の人々はさぞ驚いたことであったろうと思った。そのころは三田キャンパスも旧図書館以外は木造であった。1923年当時の三田キャンパス模型も今昔の感がある。

福澤先生を囲んだ集合写真は三田会の始まりともいえる懇親の集まりだったと思われるが、福澤先生を囲んで向かって左は鎌田栄吉塾長、右は渡辺洪基初代帝国大学総長。渡辺総長は初期の門下生であったが、官学と対立していた福澤先生が、私的交わりでは何のわだかまりもなく交際をしているのは福澤先生の魅力的なところである。

さして広くない展示館であるが、あれもこれもと見て行くうちに1時間半もたってしまった。慶應義塾福澤研究センター都倉武之准教授の説明は裏話などを交えて楽しかった。

私にとって福澤先生は幼稚舎から慣れ親しんだ偉いご先祖様のような存在であったが、自分の先祖の様々な遺品が見つかったような嬉しさで時の過ぎるのを忘れるようであった。

展示館は5月15日からオープンであるが、当面は予約制とのことである(※当面開館延期、詳細は塾史展示館ホームページをご覧ください)。心配だったのは旧図書館の立派な階段を腰や膝の悪くなった高齢の方々が上れるかということであった。しかし書庫のほうから回れば車いすでも2階の展示館まで来られるとのことなので一安心した。

都内の塾員も近くに来られた折はぜひ立ち寄られることをお勧めする。地方の方は新しいミュージアムと、この展示館の見学を組んだ旅のプランをつくって来ていただけることを願う。

文字情報の英語対応はできているので、海外の来訪者にもぜひ見てほしい慶應義塾の生い立ちである。英語の上手な説明員を育成してくれるように頼んで三田を後にした。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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