三田評論ONLINE

【特集:新春対談】
新春対談:夢を育てる学塾

2020/01/06

橋本忍氏の教え

長谷山 福澤さんのドラマは池井戸さんとの慶應出身コンビの痛快なものもある一方、歴史もの、特に戦争の時期を扱った重いテーマのものもつくられていますね。2003年の『さとうきび畑の唄』は沖縄戦、それからリメイク版の『私は貝になりたい』、『レッドクロス〜女たちの赤紙〜』など、こういった作品に取り組んでいこうという気持ちはどこから湧いてきたのでしょうか。

福澤 僕の母親は戦争体験者で、小さい時に戦争で疎開してどんなにつらい思いをしたか、とよく話していました。うちは福澤捨次郎の家系ですが、戦後になっていろいろなものを取られたとか、GHQの人たちには逆らえないとか、延々と聞かされたのです。そうやって欧米には敵わないという意識を植え付けられた。

ところが、金八先生をやった時に若い子たちと接すると、彼らはあまりそういうことにこだわらないのです。それはすごくいいのですが、話をしていると、このままこの人たちが成長したら、平気で戦争をしそうだなという気がふとしたのです。親などに戦争の怖さもまったく聞いていないのですね。

歴史を見ると、50年、100年して戦争の悲惨さを味わった人が皆死んで、それを知らない人たちが権力を持つと、また戦争を始めることがある。数字はとれないかもしれないけれど、戦争をテーマにしたドラマはやるべきことかなという気がしたんですね。

長谷山 『さとうきび畑の唄』も文化庁芸術祭最優秀作品賞やアジアのテレビアワードでドラマ部門最優秀賞を取るなど、すごく評価されています。

また映画『私は貝になりたい』は25億近くの興行収入をあげている。かなり重いテーマでどれぐらいの人が見てくれるか分からないものに取り組んでも成功されていますよね。

福澤 映画の師匠は脚本家の橋本忍先生という、黒澤明監督の『七人の侍』を書いた方なんです。橋本さんは1959年に『私は貝になりたい』が最初に映画化された時の脚本を書かれていますが、リメイク版をつくるにあたり、もう1回書いてくださった。撮影中も編集中もよく来られて、映画とは何かということを非常によく教わりました。

黒澤監督は、ある時リハーサルを1日に50回やったことがあるそうです。そして、次の日も50回やり、2日間の撮影が飛んでしまった。橋本先生が「確かに1回目と50回目では50回目のほうがよかったけれど、昨日の最後と今日の最後は差が分かりません」と言ったら、「いや、2秒短くなったよ」と。

とにかく「映画はテンポだよ」と黒澤監督は言ったそうです。真っ暗な部屋の中に入れられて、ダラダラと全然話が進まないものを見せられてお金を払うと思うのか。話はとにかくテンポよく見せなさいと。だから、「いかに早くするか」のために100回もリハーサルをやったんです。「君もこれからの作品はなるべく早くしなさい」と橋本先生に言われたので、『半沢直樹』のテンポは早くなりました。

ですから僕の信条として、テンポがよくて、「この次はどうなるんだろう」とずっと視聴者が興味を持てるようなつくり方を心がけています。

長谷山 福澤さんがテレビドラマでリメイクしている『砂の器』の映画(1974年、野村芳太郎監督)も橋本忍さんの脚本でしたね。これも直接戦争の時代を扱った映画ではないけれど、空襲で戸籍の原本が消えてしまったことがポイントになるなど戦争の影がある。一昨年、福澤さんは東野圭吾さんの『祈りの幕が下りる時』の映画化で監督をされていますが、これは世間では東野版『砂の器』だと言われている。これはどういう経緯だったのですか。

福澤 原作を読んでみると、確かに『砂の器』みたいだなと思いました。『砂の器』は僕の映画のバイブルの1つですので、これはいけるかもしれないなと思ってお受けしたのです。

長谷山 日曜の夜に見た人がスカッとして月曜からまた頑張ろうと思えるような痛快なドラマと、こういう社会性の高いテーマが1人の演出家、監督の中に同居しているのが、とてもおもしろいですね。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事