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【特集:新春対談】
新春対談:夢を育てる学塾

2020/01/06

原点の幼稚舎時代

長谷山 そういう人材を発掘したところに福澤さんの功績がありますね。慶應は日本で最初にラグビーを始めたルーツ校で名選手もたくさん出て、福澤さんの時代には日本一にも輝いている。ラグビーは人気の点では野球に比べて今一つという面もありましたが、今回でラグビーファンの裾野がかなり広がった。これは一過性のものではないような気がしています。

社会人になる時には、「もうラグビーはいいや」ということでしたが、ラグビーをやっていたことが福澤さんの1つの強烈な個性になっているのではないかと思うのですが。

福澤 それは確かにそうですね。TBSへの就職もたぶん慶應の蹴球部で優勝をしたことが、有利に働いたような気がします。

長谷山 そういった自分の「売り」というか、「個性を持っている」ことは、組織の中で生きていく上でも強みですね。今はなかなかオールラウンドプレーヤーとして、浅く広くで生きていける時代ではなく、何か1つ自分の特技や武器を持っていないと成功しにくい時代だと思うのです。

ラグビーを始められたのは幼稚舎からですね。担任だった中川真弥先生から「好きなことを見つけろ」と言われたそうですね。

福澤 幼稚舎の6年間がなかったら自分はどうなっていたのだろうと思います。不思議な教育というか、いいのか悪いのか分かりませんが、「勉強をしろ」とは全く言われませんでした。

非常によく覚えているのは、小学校2年生ぐらいの時、給食で中華丼みたいなものが出たんです。たぶん給食を作る人が失敗して、片栗粉が固まって「ダマ」になってしまったものが多く、はっきり言っておいしくなかった。それで、クラスの皆がたくさん給食を残したら中川先生が怒ってしまったんですね。

「椅子に座れ」と言って、もう1回残った物を全員に配って、「全員が食べるまで帰さない」と言った。女の子はギャーギャー泣いて、放課後遅くまで帰れなかったのです。「この給食を作った人たちはお前たちに健康な体になってほしいと思って作ったんだ。ちょっとまずいぐらいで、この残飯を持って帰られたらどう思う? そういう気持ちは考えられないのか。全員食べないと帰さない」とすごく怒られた。先生が体験された戦争の時のお話もされました。そういう教育は非常に記憶に残っていますね。

「簡単に噓をつくな」ともよく言われましたし、2、3年生の時から、「仕事とはどういうものか」とよく話されました。小学生でも分かる事件の新聞記事を何枚か貼って、「この事件もあの事件も起こした人は無職だ。職を持っていないと、人間というのは非常に弱い。私だって今は幼稚舎の先生で家族もいるけど、幼稚舎を辞めて、家族もいなくなって独りぼっちになった時には何をするか分からない。人間は弱いものなんだぞ」と説くのです。そして、「だから、とにかくこれをやりたいというものを早く見つけなさい」と言われました。

でも、「何かやりたいことを見つけなければ」と思ってもそう簡単には見つからなかった。皆がやるからとラグビーを幼稚舎5年生から始めたんですが、普通部2年生の時に『スター・ウォーズ』を見て、これだと思って映画監督になろうと誓ったのです。そういう幼稚舎の教育があったことは自分にとって、とても大きかったです。

長谷山 今の幼稚舎でも、舎長が最初に入学式で、「噓をつかない」ということと、「人として恥ずかしいことはしてはいけない」ということを言われていますね。私の子供も幼稚舎を卒業したのですが、その頃もやはり「勉強しろ」とは言われずに、「好きなことを見つけよう」とか「人としてやってはいけないことをしてはいけない」ということが重視されていた。これは今の世の中では守るべき貴重な教育なのではないかと思います。

福澤 幼稚舎時代は本当に勉強をしないのですが、普通部に進むと、あまりにも外から頭のいい連中が入ってくるので、ギャップを感じて落ち込むんです。

申し訳ありませんが、私も勉強はしなかったです。普通部はどうにかなりましたが、高校1年でやはりスコーンと落第しまして(笑)。

長谷山 落第にまつわることで、母上の有名な言葉があったとか。

福澤 塾高で落第しそうになった時に、先生が「このままでは確実に落第します。福澤家のお子さんだし、1回ラグビーをやめて勉強をしたほうがよろしいのではないですか」と言ったそうです。そうしたら、母が「落ちるか、落ちないかぐらいの勉強をするよりもラグビーをやっていたほうが、絶対に社会で使える強い人間になるから、うちの息子にはやらせます!」とバシッと言って、僕は落第しました(笑)。

2年連続で落第すると、オッポリ(退学)になるんです。「オッポリだけはやめなさいよ!」ときつく言われて。それから勉強しました。どうにかオッポリは免れましたが、それからはもうぎりぎりの人生です(笑)。

組織の中で生きていく力

長谷山 以前、トヨタ社長の豊田章男さんが、慶應に講演に来てくださった際、冒頭で、実は自分はグラウンドホッケー部で学生時代の4年間、365日、日吉裏(ヒヨウラ)にいたから、大学のことはあまり知らないとおっしゃった。

おもしろいと思うのは、365日スポーツをやっていたという人が、世界的な企業をきちんと運営していけるということです。このように組織の中で生きていく力を育むことは慶應義塾の教育の特色の1つです。就職情報誌が実施する就職力の大学ランキングでは、慶應はいつもナンバーワンです。これはなぜかというと、学生のコミュニケーション能力が高い、社会性が高いということが評価されているようです。

体育会の部員もそうですが、おそらく学生時代から、社会人である先輩との付き合いがあり、ゼミやサークルでも企業や自治体と交渉したり、社会の中で活動していることが影響していると思うのです。組織の中で自分の立ち位置を見つけ、どうしたらその中で自分のアイデアを生かしていけるかということについて、学生時代から揉まれているところがあるのではないか。そういったものを全部含めたものが、教育、学問なのであれば、慶應の学生というのはやはり勉強しているのだろうと思うのですね。

福澤 幼稚舎の時、校内大会の競技で1軍、2軍、3軍とチーム編成を決めていったのですが、先生が決めるのではなく、クラスの皆でキャプテンやリーダーを決めていくんですね。そういう中で大会に向けて練習して、負けたら泣くし、勝ったら喜ぶ。皆でどうやって協力して練習するかということを、不思議と教わったような気がします。

担任の中川先生もなぜか「ラグビーをやれ」と言うのです。イギリスのケンブリッジ、オックスフォードといった学校はエリートにラグビーをやらせる。ラグビーは人に直接ぶつかる反面、礼儀やマナーにはすごく厳しいので、ラグビーを通じてそれを教えていく。だからラグビーをやっていれば、君たちの人生の役に立つ、としつこく言われました。

野球は投げる、打つという特別な才能が必要ですが、ラグビーは大きければ大きいなりに役に立つし、足が速かったら速かったで役に立つ。いろいろな体型の人たちそれぞれの役割がある。1回、2回落第しても、同期の友達が増えるし、とにかくやりなさい、と言われましたね(笑)。その選手たちが上にきて強くなり、大学で優勝できたということなんです。

正直に言うと、この歳になると試合で「勝った、負けた」の印象はあまりないのですね。思い出すのは、夏合宿の厳しい練習とか、夜中にボールを探してずっとグラウンドに仲間と一緒にいたことです。ボールが1個グラウンドに残っていたら大変な練習になるので、1、2年生が、延々夜中まで皆でボールを探すんです。そういったことは非常に覚えています。

でも、6万5千人の観衆の前の、あの日本選手権で優勝した時の瞬間というのは、それほど印象に残っていないのが不思議です。もちろん現役引退したばかりの時はよく覚えていましたが、歳を取るにつれ、試合の印象は薄れてくる。

長谷山 そうですか。それはおもしろいですね。今回の日本代表チームは「ONE TEAM」をスローガンにしていましたね。グラウンドだけではなく、出ていない選手も、サポーターやトレーナーも、いろいろ含めての「ONE TEAM」だと思うのです。

ラグビーではよく「One For All, All For One」と言われますが、ラグビーというのはそれぞれが自分の役割をきっちりこなしていけば上手くいくはずだけど、その通りにはプレーが進まない時は、誰かがカバーする。チームが精密機械のようにそれぞれの役割を持った歯車が上手く嚙み合っている。

野球の話ですが、慶應野球は「エンジョイ・ベースボール」とよく言われますが、最初にこれを言い出した、早慶6連戦で有名な前田祐吉監督は「試合を楽しめ」と言ったつもりではないのだ、ということでした。地獄のように苦しい練習をする。何のためにそれをするかと言えば、勝つと嬉しい、そう思うと練習も耐えられる。そこに楽しみ、エンジョイというものがある。それが「エンジョイ・ベースボール」の原点だというのです。

確かに試合に勝った、負けたというのは一瞬の結果であって、そこまでに自分は何をしたかとか、あの時に何をしたから勝てたのか、という部分が一番強烈な印象として甦ってくるというのは、分かるような気がします。

昨年、蹴球部が創立120年を祝いましたが、その折に創立100周年記念誌を拝見していたら、1985年度、トヨタを破って日本一になった時の中野忠幸主将が、「なぜ日本一になれたかと問われれば、チーム全員が勝利のために常に何をすべきか考え、行動したこと」と振り返っていたことが印象的でした。

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