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【特集:「移民社会」をどう捉えるか】
座談会: 移民社会化から考える これからの日本

2019/07/05

社会を維持するための方策

毛受 望月さんが的確におっしゃった通り、現実に起こっていることと、政府が「外国人が定住すべきでない」と考えてきた矛盾はどんどん大きくなっていると思います。

私自身の考えでは、このままいくと日本社会はサスティナブルでなくなりつつある。広島県の安芸高田市の市長は、移民政策が必要だということを以前からおっしゃっている稀有な方ですが、2035年の安芸高田市の人口予測では80歳以上の人口が一番多くなるそうです。

このままでは地域がもたない、外国人をとにかく増やしたいと言う。日本は自然災害も非常に多い国ですから、社会を維持するためには、外国人、日本人にかかわらず、若い人がいないと大変なことになる。高齢者ばかりではとても社会を維持できない。

もう1つ、労働者は働くだけではなくて消費者でもあるわけです。消費者の数がどんどん減っていくと、これは日本のGDPが、当然減っていくわけですから税収も減る。そうすると1千兆円の借金をどうやって返すのかという話になるわけです。

ですから、やはり一定程度の人口を維持するために外国人も入れ、ロボット、AIも活用して、それでなんとか回していくのが日本の将来にとってよいのではないか、というのが私の意見です。

 少子化については毛受さんの話はちょっと悲観的すぎるように思います。先ほど申しましたように、少子化の問題というのは経済政策の失敗だということをまず認めるところから始めないと駄目だと思うんですね。

逆に外国人を受け入れるということに関しては、毛受さんのように私は楽観的にはなれないですね。

例えば東アジアは、まだ完全には冷戦が終わっていないと私は思っていて、安全保障の問題も真剣に考えていく必要があると思います。例えば中国は強制移住など人を動かすのに躊躇しない面があるといわれています。そういう国が近くにあるときに、地方に外国人を送り込めばいいというのは、あまりにも安全保障の問題を考えていなさすぎるように感じます。

また外国人地方参政権の問題がありますね。東京の青ヶ島村のように全人口が160人ぐらい、有権者が140人ぐらいの自治体に、例えば中国が政策的に人を動かして移民を入れてきた場合、乗っ取られてしまう恐れは否定しがたいのです。ですから、外国人を地方に入れればいいというのは、あまりにも安易な解決策だと思うのです。

塩原 それは施さんが邦訳されたキムリッカの著作でも指摘されている、移民問題の安全保障化というロジックですね。そのロジックを用いるのには、慎重でなければならないと思います。青ヶ島村に外国人が移住しようとしても、そもそも雇用がありません。

 だが、そういう問題から目をそらすのも、またまずいのです。確かにあまり安易に安全保障問題化するのは問題がある。まさに私が最近訳したキムリッカの本にもその指摘がありました。ただ逆にそれを軽視しすぎるのも現実的でなく責任ある立場でもない。

また、私は、企業が設備投資をしないのと同時に、政府が財政上問題だと、公共投資を大きく減らしているのも問題だと思っているんですね。今、MMT理論(現代金融理論)という、政府の借金を増やしても国債が自国通貨建てである場合、財政破綻にはそうそう結びつかないという議論も出てきている。日本はやはり緊縮財政をし過ぎなのではないか。だから、公共投資をきちんと行うことによって、もう一度、国づくりの基本に立ち返るべきではないかと思うのです。

日本は、高度経済成長のときにどうやって人手不足を解消したかといえば、やはりきちんと設備投資をし、公共投資をした。それによって生産性を上げて日本国民を豊かにして経済を回していった。これが経済成長の王道です。

人手不足の解決にはまずは生産性の向上ですよ。若い人の雇用を安定化し、給料を増やし、経済を回していく。そういう政策がとにかく先です。

毛受 なぜ日本で生産性が上がっていないのかというと、社会が高齢化して、企業も守りに回っているからです。だから社会に若い人たちが新しく入ってきてかき混ぜてもらうぐらいのことをしないと、日本社会はこれから発展していかないと私は思います。

世界では人口は毎年約8000万人ずつ増えている。それなのに日本は国を閉ざして、われわれは外国人を受け入れず、高齢化してどんどん小さくなっていきますというのは、異様な姿だと思います。そうではなくて、海外の能力のある人はぜひ来てください、そういう人たちが頑張れるような土壌をつくっていきますと言い、それによって日本の若い人たちも刺激を受けて活性化されていくのが日本の目指すべき姿なのではないか。

そうしないと、能力のある外国人はどんどん来てくださいという国は周りにたくさんあるわけですから、そういうところに人を取られて、日本の若い人も最終的に移民していくという時代が来ないともいえないと思います。

「定住」をめぐって

 私はもう1つ、今のリベラリズムの議論の大きな欠陥だと思うのは、なぜか「人が移動したほうがいい、移民を受け入れたほうが人道的だ」と無批判に考えている人が多いことです。だけど、それは違いますよ。人は定住するほうを望む人がほとんどです。

柄谷利恵子関西大学教授の著書にあったのですが、グローバル化といわれる現代でも、地球上の人の97%は定住しているそうです。だからまずは定住を基本として、各地域の人が、移動しないでも豊かになれる環境をつくるというのがまず先です。

今の外国人労働者や移民というのは、動きたくないけど、動かないと食っていけないとか、政治的に弾圧されてしまうという人がほとんどです。ですから、まずは家族や仲間と一緒に、自分たちの文化の中で暮らせる環境をつくることができる世界を目指すべきです。移民になんかなりたくない人が大多数なのです。ほとんどの人は家族や仲間と、自分たちの文化、言語の中で暮らしたいのだと思います。

政策も、人の移動を前提として話してしまうと、大きな落とし穴があると私は思っています。世界秩序のあり方を公正にしていくことが先の話で、その後で移動した人たちをどう処遇していくか、という話になるのではないか。

塩原さんがおっしゃるような多文化共生と反グローバリズムを両立させるためには、移民受け入れをすぐにするのではなくて、公正な世界秩序をつくることによって、移動しなくても豊かに暮らせる世界を目指すことが先だと思うんですね。日本は外国人単純労働者を受け入れるより先に、まずは生産性の向上や少子化対策を真面目にすべきでしょう。外国人労働者を受け入れることが、即、リベラルもしくは人道的だというわけではないのです。

塩原 冒頭で整理したように、日本国民、あるいは日本に住んでいる人々そのものが多様化している状況があります。自国の人々の安寧をまず優先すべきだといったときに、そこにすでに多文化共生の理念が入らざるを得なくなってきているのだと思います。

望月 施さんのおっしゃることは分かる部分と、そうではない部分があります。地球のどこに生まれても、その地で幸せに暮らせたほうがいいということには同意で、そうである社会が公正だと思います。しかし、実際にはグローバルな経済格差が存在し、その上で日本の側がドアを開けたからこそ、日本で暮らしている外国人たちがいます。

その上で重要なのは、祖国で食べていくより日本で5年稼いだほうがいい、という論理で来日を決めた外国人が、実際に何年か働いた後に、帰らない、あるいは帰れない状況になることはよくある、ということです。

最初は出稼ぎというマインドで来たとしても、いつの間にか結婚していたり、仕事に定着していたり、あるいは本国の治安が悪くなったりして、日本に残りたいという状況になっていることは何ら不思議なことではありません。そして、こうした定住化こそ、この30年の間に実際に起きてきたことです。

そのときに、先ほどおっしゃっていた「定住できることが大事」という言葉が、この人たちにどういう形で適用されるのかが気になります。生まれた国、地域で気持ちよく暮らせるようになるべきだ、というのは規範として正しいと思いますが、実際にそうではない中で、日本という国家の移民政策の結果として日本に来て、その後に「ここにいたい」となった人々をどう処遇していくのか、簡単ではない問題です。

塩原 そうですね。さらに、「移住をしていない」というのは、移住をどういう定義で捉えるかによって変わってきます。実は国際移住機関による「移民」の定義には、国内で移動した人々も含まれます。現に「地方移住」という日本語もあります。

僕は埼玉県生まれですが、今は横浜に移住している。埼玉県を嫌いではないですが、今いる横浜のことを第2の故郷だと思えるかどうかも大事です。つまり、定住といったときに、それはまさに移住先に定住することも含まれる。そのときに、その人たちにそこをホームと思ってもらえることが重要なのではないのか。

このことは、施さんが言われていることとあまり離れているとは思えないんですね。移動したとしても、その先でホームをつくる。もっと言えば、自分の故郷と移動先との間で2つの故郷をもつという状況は、可能なのではないか。

 ですから、そういう世界の理想みたいなものを念頭に置いた上で、政策を考える必要があると思います。

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