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【特集:日本の宇宙戦略を問う】
座談会: ❝人類のフロンティア❞をどう切り開いていくか

2019/03/05

  • 髙田 修三(たかだ しゅうぞう)

    内閣府宇宙開発戦略推進事務局長

    東京大学経済学部卒業。1986年通商産業省入省。2013年大臣官房審議官(製造産業局担当)にて航空宇宙産業、防衛装備品等を担当。15年貿易経済協力局貿易管理部長等を経て、16年より現職。

  • 石田 真康(いしだ まさやす)

    A.T.カーニー株式会社プリンシパル

    東京大学工学部卒業。宇宙業界についての経営コンサルティングに従事。日本初の民間宇宙ビジネスカンファレンスを主催する一般社団法人 SPACETIDE の代表理事。内閣府宇宙政策委員会宇宙民生利用部会委員。

  • 河井 克行(かわい かつゆき)

    自由民主党衆議院議員、自由民主党総裁外交特別補佐

    塾員(1985政)。松下政経塾、広島県議会議員を経て、96年衆議院議員選挙初当選、当選7回。外務大臣政務官、党国防部会長、法務副大臣、衆議院外務委員長等歴任し、15年内閣総理大臣補佐官。17年より現職。

  • 神武 直彦(こうたけ なおひこ)

    慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授

    塾員(1998理工修、2005政・メ博)。宇宙開発事業団、宇宙航空研究開発機構、欧州宇宙機関でH ‒ ⅡAロケットや様々な人工衛星の研究開発に従事。09年より慶應義塾へ。18年より現職。専門は宇宙システム等。

  • 青木 節子(あおき せつこ)

    慶應義塾大学大学院法務研究科教授

    塾員(1983法、85法修)。1990年カナダ・マッギル大学法学部附属航空・宇宙法研究所博士課程修了。D.C.L.(法学博士)。慶應義塾大学総合政策学部教授を経て現職。内閣府宇宙政策委員会委員。

「宇宙基本法」制定の頃

青木 2015年の第3次宇宙基本計画以来、2017年のリモセン法(衛星リモートセンシング記録の適正な取扱いの確保に関する法律)施行、2018年の宇宙活動法(人工衛星等の打上げ及び人工衛星の管理に関する法律)全面施行と動き出し、民間企業によるビジネス展開が期待される条件が整ってきています。また同時に日本、及び世界の安全保障環境が激変し、宇宙空間を利用した安全保障協力の必要性が高まっています。本日はこのような状況を踏まえ、これからの日本の宇宙戦略を問う座談会としたいと思います。

「宇宙は安全と富をつくり出す場、人類のフロンティア」という観点から、日本を含め多くの国が国家戦略の中に宇宙を位置付けるようになってきたと思います。

現在宇宙は、活動国の増加、また大企業だけではなく中小企業や大学なども含む活動主体の増加により宇宙ゴミ(スペースデブリ)が増え、また周波数は逼迫するなど、混雑した空間になっています。宇宙には陸・海・空のような交通ルールがない状態で、広大な宇宙空間とはいえ、貴重な軌道は限られており、空や海と同じく運航ルールの必要性が認識されています。

また、宇宙は軍事利用から始まった場で、現在も大国の軍事競争の場であることは変わりません。では、何が変わったかと言うと、宇宙技術のデュアルユース性にもとづき、民間が運用する衛星が広く軍事利用されているという点です。一方、軍事利用から始まった技術が民間にスピンオフし、それが新しい産業を生み出している状況もあります。

宇宙は安全保障、軍事、ビジネス、探査などが相互に密接に関連し合い、将来の動向に期待が持たれると同時に、軍事利用や汚染の不安などが抱かれています。そのような中、日本はどのような宇宙開発・利用を目指すことで、国の安全・安心、国民生活の福利向上と世界への貢献が果たせるのでしょうか。

現在の日本の宇宙開発・利用は、2008年の宇宙基本法制定から始まったと言ってよいかと思います。宇宙基本法は議員立法として制定されましたが、同法の制定に尽力された河井さんから当時の状況を振り返っていただけますでしょうか。

河井 2005年2月にH-ⅡAロケット7号機の打ち上げが成功しました。その前の6号機が打ち上げに失敗しており、それから1年3カ月ぶりのことでした。当時私は第2次小泉改造内閣の外務大臣政務官を務めており、ギニア出張から帰国したその足で種子島に直行。久しぶりに成功したロケット打ち上げの姿を見ました。

青木さんにも共著者になっていただいた『国家としての宇宙戦略論』(2006年)の中で、その打ち上げの様子を見ながら、私は「あー、日本の宇宙開発の少年期が終わったんだ」と感想を抱いたことを書きました。

2008年に成立した「宇宙基本法」の草案を作るように自民党から指示され、私なりに日本の宇宙開発に取り組むべき「5つの原則」を考え出しました。1つ目の原則は外交に資する。2つ目は安全保障への活用。3つ目は産業化。4つ目が国民に夢と刺激を提供する。5つ目は少し浮世離れしているようですが、種としての人類の進化に貢献する、という「5原則」です。

「外交に資する」を考えついた背景は、当時、日本の外交政策をつくる上で、宇宙開発や科学技術からの視点がほとんどなかったことへの疑問です。それで、私は、外務大臣政務官の任期中に携わった政府開発援助(ODA)中期計画改定に、日本が持っている先端的な科学技術の力を活用するという項目を追加しました。具体的には人工衛星の打ち上げをODAの対象にするということです。

また、1993年以降、文部科学省とJAXAが主催して、「アジア太平洋地域宇宙機関会議(APRSAF)」が開催されていますが、それに対抗するかのように、2005年、中国が主導する「アジア太平洋宇宙協力機構(APSCO)」の署名式が北京で行われました。中国は、外交戦略の中で科学技術の援助を明確に位置付け、「科強富国」を国策として、科学技術の振興を国政の最重要課題に据え、国のあらゆる資源を集中的に投入してきています。

翻ってわが国はどうかというと、当時は宇宙の開発と利用を研究開発の文脈でのみ捉えていた。研究者や技術者がこつこつ研究し、製造現場の工員が職人技を発揮してものづくりを行う。そうやって、アメリカ、ロシア、ヨーロッパに引けを取らない、世界最高水準の成果を上げてきたのですが、企業や職場の個別利益を超越した、国家としての戦略、日本全体の国益という大目標がなかったのです。

青木 それで外交を目標としたと。

河井 ええそうです。2つ目は安全保障への貢献です。98年8月に北朝鮮からテポドンミサイルが飛んできました。当時私は衆議院議員1回生でしたが、いわゆる国防族と言われる先輩議員たちは、実績のあるアメリカ製の衛星を買うべきだという意見でした。でも私は、情報収集衛星というのは、いつでもどこでも完全かつ無制限に日本の国益を第一義に利用できなければならない。日本国の安全のために税金で購入する衛星が外国製では、納税者に説明ができないと訴えました。

そして初当選同期の仲間と、”国産の情報収集衛星を国産のロケットで打ち上げよう”キャンペーンを張ったんです。自民党衆参の国会議員を回って賛同の署名を集め、それを携えて首相官邸に行き、官房長官だった野中広務先生らに直接手渡しました。最終的には、政治判断で国産情報収集衛星を国産ロケットで打ち上げることが決まりました。

情報収集衛星は現在6機が稼働していますが、当時私は、将来は16機体制まで増強するべきだと主張していたことを覚えています。見たいときにいつでも、見たいところをどこでも、見ることができるように日本が「目」を進化させることで、同盟国からの機密情報も得られやすくなるのです。政務官の部屋に「宇宙開発と利用のあり方に関する検討会」を省庁横断で設けたのですが、防衛庁(当時)に声をかけたら、「うちの役所は宇宙を担当する部署は置かれていないので出せません」と言われた。当時はそんな空気でした。

3番目の、産業化ということでは、当時はGXロケットと準天頂衛星システムに対して注目が集まっていました。

さて、2000年10月、フロリダで若田光一さんが乗った、スペースシャトル・ディスカバリーの打ち上げを視察する機会がありました。本当に美しい打ち上げで、雲1つない美しい夕焼けに吸い込まれる姿を見て大変感激しました。日本とは規模と迫力が全然違う打ち上げでした。そして、アメリカではロケットの打ち上げがある種の娯楽や国民をまとめる手段になっていることをディスカバー(発見)しました。

4番目は、宇宙開発・利用を通じて新しい形の国威発揚というか、国民に夢と刺激を提供することが重要だと感じました。

そこで、有人宇宙飛行を日本が実現するために、種子島に加えてもう1つ大規模な打ち上げ基地、宇宙港を日本が整備し、米国やオーストラリアやアジアの国々にも入ってきてもらおうと提案しました。

最後に、人類は進化の過程で、いつかは宇宙空間に進出する宿命を背負っているんだと私は考えています。太古、魚類や両生類が陸へ進出したように、今、私たちの世代は、宇宙へ人類が雄飛をする足がかりの時代なんです。そのために日本が積極的な役割を果たすべきだと考えました。以上のように、「5原則」を提唱したのです。

「宇宙基本法」の中には、今はもう実現した、内閣府に宇宙政策担当特命大臣を設置することなども盛り込みました。

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