【特集:日本の宇宙戦略を問う】
外的条件の要請と技術的必然性の検討より、組織内の都合が優先──日本宇宙開発事業の❝弱点❞
2019/03/05
日本という国の宇宙開発体制は、大きく、⑴創成期(東京大学・生産技術研究所におけるペンシルロケット実験から宇宙開発事業団設立まで:1955年〜1969年)、⑵発展期(宇宙開発事業団と東大→宇宙科学研究所の実利用・宇宙科学の2ライン体制:1969年〜2001年)、⑶過渡期(中央官庁統合から、宇宙基本法制定を経て内閣府一元体制の確立まで:2001年〜2012年)、⑷実利用期(内閣府主導の宇宙利用重視と安全保障への利用を推進:2012年〜)に区分できる。
これを物語のあらすじ風にまとめると、まず、創成期の体制的に混沌とした状況から、総理府・宇宙開発委員会が設立され、東京大学を中心とした文部省の宇宙科学研究と、特殊法人の宇宙開発事業団(管轄は科学技術庁、運輸省、郵政省)による宇宙実利用のための技術開発という二頭立て体制が確立した。
この二頭立て体制により、日本の宇宙開発は1970〜80年代にかけて順調に発展した。しかし、1980年代末に、伸長する日本経済を脅威に感じたアメリカが仕掛けた日米通商交渉スーパー301により、日本は実用衛星を国際調達に開放することを約束させられた。「国が国内メーカーを指名して人工衛星を発注、メーカーは衛星開発を通じて技術を蓄積し、それを足がかりに国際的な衛星市場へ進出する」という宇宙産業立ち上げの道筋は途絶したのだ。
その結果、1990年代の日本宇宙開発は、国による技術開発に特化した。新ロケットH-Ⅱが打ち上げられ、立て続けにH-ⅡAの開発が始まり、科学衛星・探査機の打ち上げ用にM-Vロケットの運用が始まり、そして技術試験衛星と科学衛星・探査機が次々に打ち上げられた。技術は進歩したが、産業としてはじり貧状態である。
2001年には、中央官庁統合により総理府直轄の宇宙開発委員会が新設の文部科学省の一委員会に格下げになり、国としての司令塔不在の混乱期に突入した。総理府は内閣総理大臣の業務を補佐する官庁であり、宇宙開発は政策的に内閣と直結していたものが、文部科学省という一官庁の業務に格下げになったのである。
その中から、政治の側から「宇宙を政策のツールに使う」——換言すれば「安全保障にとって宇宙は重要な要素であり、政治がコントロールすべき」という主張が立ち上がり、2008年に宇宙政策全般の基本となる宇宙基本法を施行した。それに伴って、内閣メンバーを構成員とする宇宙開発戦略本部が設立され、再度宇宙分野は政府直轄の体制を取り戻した。その後宇宙開発委員会に代わる内閣府・宇宙政策委員会の創設を経て2012年の内閣府・宇宙戦略室設立にともなう内閣府一元体制が完成した。
経済産業省vs文部科学省
ここまでの日本宇宙開発60余年の経緯は迷走していたと言わざるを得ない。せっかく確立していた総理府・宇宙開発委員会の内閣直轄体制を、2001年の中央官庁統合時に壊してしまい(一説によると、文部省と科学技術庁が統合されて新設となった文部科学省が宇宙開発分野の一括管轄を目指して宇宙開発委員会を抱え込んだのだという)、それを12年もかけて内閣府・宇宙政策委員会という旧来同様の体制にやっと引き戻したわけだ。
もっとも完全に元に戻ったわけではない。
内閣府は各省庁からの出向者の寄り集まりであり、内閣府内部は各官庁の縄張り争いの現場でもある。宇宙基本法施行により、宇宙開発の管轄は文部科学省から内閣府に移ったが、内閣府の内部で文部科学省からの出向者が仕切るならば実態には変わりはない。
2008年の宇宙基本法施行から、内閣府宇宙戦略室設立による新体制完成まで4年。実は宇宙基本法には施行から1年以内に新体制に移行することという附則があった。1年のつもりが4年もかかった理由はいくつかある(その中には2011年3月11日に発生した東日本大震災も含まれる)。が、最大の理由は、内閣府内における官庁の暗闘にあった。権限を失いたくない文部科学省と、権限を奪いたい経済産業省の戦いである。
もともと経済産業省は前身の通商産業省の時代から宇宙開発の産業化に熱心であった。1970年代に「地球観測衛星で地下資源を探索する」という名目を立てて傘下の工業技術院は機械技術研究所、計量研究所、地質調査所(これらはすべて統合され、現在は産業技術研究所となっている)などで要素技術の研究開発を進め、1980年代に入ると産業界から出資を集めて「通産省版宇宙開発事業団」というべき「財団法人無人宇宙実験システム研究開発機構(USEF)」、「財団法人資源・環境観測解析センタ—(ERSDAC)」、「財団法人資源探査用観測システム研究開発機構(JAROS)」を設立(これら3財団法人は現在は統合されて、一般財団法人宇宙システム開発利用推進機構となっている)。1992年に打ち上げた地球観測衛星「ふよう1号(JERS-Ⅰ)」以降は、いくつかの衛星を打ち上げ、運用した実績を持つ。省内組織としては航空武器課の中に宇宙産業室を設立し、宇宙産業課として独立させたり、また宇宙産業室に戻したりして、機をうかがってきた。
宇宙基本法の制定の動きは、政治の側の「文部科学省は技術開発のための技術開発ばかりをして、ちっとも国にとって役の立つ宇宙開発になっていない」という不満から端を発している。そうなった根本原因は、スーパー301において政治がアメリカに対して大幅譲歩して、宇宙産業化の芽を差し出したからなのだが、政治はそういうことを都合良く忘れて文科省に対して不満を抱いていた。
その不満を宇宙基本法へ誘導したのが、経済産業省なのかどうかは、私は知らない。しかし、宇宙基本法制定にあたって、政治が経産省を文科省に対抗する実働部隊として便利に利用し、経産省も積極的に動いたのは事実である。
結果、宇宙基本法施行後の内閣府では、経産省対文科省の権限争いを巡る暗闘が発生した。暗闘といっても、言葉による戦いである。法律の条文や各省庁の仕事の実績にのっとり、「これは○○ということだから、新体制ではこうすべき」という主張をぶつけ合うわけだ。
経産省は、実権を内閣府に移したい。そうすれば経産省から内閣府への出向者が、宇宙政策を実質的に動かすことができる。文科省はなるべく内閣府をお飾りにとどめ、文科省内に実権を温存したい。
事態を経産省有利に動かしたのは測位衛星システムだった。現在、整備が進む日本独自の測位衛星システムの準天頂衛星システム「みちびき」である。
2019年3月号
【特集:日本の宇宙戦略を問う】
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松浦 晋也(まつうら しんや)
ジャーナリスト・塾員