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【特集:日本の宇宙戦略を問う】
日本の宇宙外交──宇宙を巡る変化と最近の取組み

2019/03/05

  • 泰松 昌樹(やすまつ まさき)

    外務省監察査察室長、前宇宙室長・塾員

宇宙に関する報道を見ない日はないといってもいいだろう。昨年9月、ZOZOTOWNの前澤友作社長が、早ければ2023年にも月旅行にいく計画を発表し、国内でもとりわけ大きくとりあげられた。また、今春封切られる映画『ドラえもん』の舞台は月、月面探査記だ。国際宇宙ステーションでくるくる回る宇宙飛行士の姿を茶の間のテレビでみて、あこがれ仰ぎ見る対象だった宇宙は、近年ぐっと身近になっているように感じる。

グローバル化が進む中でも、科学技術のようなアカデミックで専門性の高い分野では、事情をよく理解している科学者など当事者同士のコミュニティの中でまずは問題解決が図られることが多いが、今回はとりわけ国家間での調整という「宇宙外交」についてご紹介する機会をいただいた。筆者の外務省宇宙室長(当時)としての経験も踏まえ、国連における宇宙外交を振り返りつつ、最近の宇宙のすそ野の広がりや変化を受けて、日本の国内もそれまでの技術や科学探査だけでなく、宇宙の民生(商業)利用や安全保障についても力を入れている現状をできるだけわかりやすくお伝えできればと思う(本小論は筆者の属する組織ではなく、あくまで筆者個人の見解を示したものであることをお断りしておきたい)。

国連宇宙空間平和利用委員会(COPUOS)

1957年、ソ連が人工衛星スプートニクの打ち上げに成功し、ついに人類は重力圏を脱することに成功した。これを受けて米国は翌1958年にNASA(航空宇宙局)を設立して月を目指し、1969年に人類は月に降り立った。冷戦の最中におけるこのような展開を受け、国際社会では、1959年の国連総会決議で国連宇宙空間平和利用委員会(COPUOS)が設けられ、1967年に宇宙条約が発効した。

宇宙条約は、宇宙の探査や利用を自由(第1条)であるとしつつ、かつての植民地主義的な国家による領有の禁止(第2条)、宇宙の平和利用(大量破壊兵器を宇宙に置かないこと等と解されている)(第4条)、そして締約国による宇宙活動(私人によるものも含む)の責任が国に帰すること等の基本原則について規定され、今日、米国やロシアをはじめ我が国を含む107カ国が締約国になっている。

その後は、宇宙飛行士が地球に帰還した際には、冷戦下とはいえ人道的な観点から互いに協力し合おうという旨を定めた救助返還協定や、損害責任や物体登録など宇宙条約の実施を支える条約が結ばれており、これらはまとめて宇宙5条約と呼ばれている。

ハード・ローとソフト・ロー

国連は多数国間(マルチ)での利益の主たる調整の場であるが、宇宙に関連して国家に厳格に国際法上の権利と義務を設定する、いわゆる「ハード・ロー」としての国際法創出機能の観点からは、実はこの宇宙5条約を最後に、これまでのところその機能は途絶えている。背景となる理由は様々考えられるが、1つには、宇宙を巡る技術革新が日進月歩であり、進歩の速い技術に応じたルールの調整を、国家間で機動的に行うことがそもそも馴染まないこと。また、当時は重力圏を脱することができるという意味で宇宙能力を備えた国が、米ソ、そして我が国や中国、インドときわめて限られていたのに対し、時が経つにつれ南北対立の時期とも重なり、宇宙利用についての駆け引きや交渉が困難であったことは想像に難くない。このことは、宇宙5条約中、5番目の条約となる月協定(発効は1984年)の批准国がわずか18カ国にとどまっており、米露、そして我が国も批准していないことにも現れている。

一方でこの間も国連では、宇宙能力を有する国や宇宙機関間での議論を踏まえ、放送衛星やリモートセンシングをはじめ、宇宙に関する多くの原則やガイドライン等を採択してきている。意思と能力を持つ関係者間にのみ実質的に及び、必ずしも法的には強い強制力を持たないこのようなガイドラインは、「ソフト・ロー」と呼ばれている。

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