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【特集:スポーツとサイエンス】
座談会:アスリートとともに考えるサイエンスのちから

2024/07/05

環境を肯定的に捉える力

加藤 ちょっと話題を変え、アスリートのライフ、キャリアの話をしていきたいと思います。アスリートはどうやって上手くなっていくのかなど、いろいろな形で皆さん携わっていると思うので、そのあたりの話はいかがでしょうか。

水鳥 努力、才能というところで言うと、僕自身はどちらかというと努力型という認識ですが、リオのオリンピックに監督として帯同した時、内村君とか白井健三君とか5人の金メダリストを含めて、どういうタイプかの調査をしたことがあるんです。

すると、皆、「自分は努力型です」みたいな回答をする。僕から見たら、内村も白井も才能のかたまりのように見えるんですけれど、本人の中ではやはりやるべきことをやった結果、そうなっているという理解のようでした。

また、その回答の中で、練習環境はよかったですか、悪かったですかという項目があったんですが、必ずしも周りから見て、環境がよくないと思われる人が「よかった」と回答していた。

これは僕の勝手な解釈ですが、与えられた環境に対して肯定的に捉える力というのもあると思うのです。僕はオリンピック前に前十字靭帯を切って客観的には運が悪いと思われていました。でもその時、スポーツ心理学に出会うことができたので、オリンピックに行くために、そういった準備は必要だったという認識があるんです。

たぶん、「よかった」と回答した彼も練習環境自体は必ずしもよくなくても、この環境があったからこそ、自分はこの能力を身に付けることができた、みたいな肯定的な捉え方をおそらくしているのではないかと感じました。

加藤 去年から慶應の体育会の学生たちにいろいろなアンケートをしているのですが、結果を出している部の子たちからは自分たちの環境はそこまでよくはないけれど、その中でどうやれば勝てるのかということを常に今考えています、という話がありました。

私も、恵まれていないかもしれないけれど、与えられた環境で何をすればいいのかを、きちんと客観的に捉えられることはすごく大事だと思うんですね。逆に恵まれた環境というのは、なかなか難しいところもあると思います。

水鳥 そうですね。アーティスティックスイミングの井村雅代さんの話ですが、もともとJISSができる前はシンクロ用の深いプールが日本にはほとんどなくて、日本代表ですらどこかの大学の施設を借りなければいけないという状況だったんです。

中澤 東大でやっていました。

水鳥 大学をお借りして2時間しか時間がない。でも、その時の集中力というのは半端ではなく、そこでしかできないから、全てやり切るという、練習に対する貪欲さや集中力がすごかったそうです。

それがJISSができてから、一時、競技力が落ちてしまった。それはいつでも練習ができるという環境になって、その集中力が鈍ってしまったからだと。確かに環境はよくなったけれど、結果的にどちらがよかったのか、というような話をされていました。

そのように環境をどう捉えられるかという意識が、競技力に非常につながるのではないかと感じています。

他競技との交流から生みだされるもの

加藤 面白いところですね。今、谷本さんは選手村をどうやって選手のためによくすればいいのかというあたりは、どんなことをされているんですか。

谷本 選手村に関しては、選手の希望を満たすことも重要だと思っていますが、他競技との交流の中で生まれるプラスアルファの部分を生み出したいと思っています。いいものは必ず相乗効果としてポジティブに働くと思うんです。

それを私はアテネオリンピックで感じました。ちょうど向かいの部屋に北島康介選手たちがいて、水泳チームが盛り上がっていく。すると柔道も一緒になって盛り上がっていったんですよね。

そのように他の競技の人たちにも伝わっていくことを感じていたので、選手村に交流できる場があるといいなと思っていました。今、それをどんどん形にしている感じです。

水鳥 少し具体的に言うと、選手村に部屋を作り、そこにアスリート・カフェや漫画喫茶みたいな形で日本から漫画とかを持ち込んで、アスリートはそこでリラックスして、他競技の人とも、自然と交流が生まれるようにしようとしているんですね。

ウェルフェアオフィサーという形で、メンタルコンディションを整えるような人を置くことをIOCも今すごく重要視しているんですが、ウェルフェアオフィサーに漫画喫茶に立ち寄ってもらったりして、気軽に話をできる環境を整えたり、アスリートが最も通るところにトレーナールームを設置すると、そこに立ち寄ってケアをお願いする選手が相当増えました。

アスリートと研究職

加藤 アスリートとしてのキャリア後に研究をされる方も増えてきていますね。

稲見 水鳥さんや谷本さんのキャリアもそうですが、私の身近なところではロンドンオリンピックのフェンシング団体で銀メダルを取られた千田健太さんという方がいます。現在、慶應の大学院(システムデザイン・マネジメント研究科)で学びながら総合政策学部の教員をされています。

自身の経験を言語化して上手く伝えるためのバイオメカニクス研究を一緒にしていて、サイエンスに裏付けされたコーチングを目指す姿勢にはとても共感しています。

キャリアを移動する時に、全く違う分野へ入っていくのには、とても勇気のいることですが、メダリストや大きな大会に出たという経験は多くの方が持っていることではないので、そういうトップで得た知見を一般化し世の中に広めていくひとつの形として研究者や大学の教員という立場も期待できるところではないでしょうか。

長く研究に従事してきた研究者にとっても引き出しが増えていいんじゃないかと思います。

加藤 私もアスリートだった人が研究の分野にどんどん入っていくのは、すごく大事なことだと思います。私は、アスリートはそもそも皆研究者だと思うんですよね。

どうやったら勝てるのか、どうやったら上手くなるのかということを普段からずっと考えている。それはまさに研究者の姿だと思うので、ぜひ研究分野にどんどん入ってきてもらえるといいのかなと思います。

稲見 科学にしにくい分野があるのは確かですが、アスリートならではの視点で定量化しやすい分野もあります。

例えば先ほどのバイオメカニクスや体に関する分野は客観的に捉えやすい領域なので、主観と客観のすり合わせがよく研究テーマになったりしています。研究者もそうですが、日本代表だった方がヨガやピラティスのインストラクターになったり、トレーナーになったなどはよく聞く話で、体を資本としていたアスリートと親和性のある分野である気はします。

サイエンスを現場に伝える

中澤 サイエンスの話というのは、テクノロジーがたくさん出てきて、いろいろな計測もできるんですけれど、それを現場にわかる言葉で伝えるということもとても重要で、ここのところが実はものすごく難しい。

研究で解析したら、こんな角度になっていましたと見せて、ああ、そうですかで終わってしまっている。だから、それをどのようにパフォーマンスアップにつなげていくのかという、橋渡しをやる人材を育てることを今やっています。その時に元アスリートは現場の自分のやってきた経験や知識を一番持っているので、うってつけの人材だと思います。

稲見 様々な形でスポーツに携わる人が本当に増えてきていますね。元アスリートでない人でも、アナライザーになりたいとか、アプリを作りたいとか、テクノロジーを駆使して活躍できる可能性はあると思います。

中澤 慶應もそうなのではと思いますが、東大の運動部だと、選手ではなくて最初からアナリストになりたいと言って入ってくる子がどんどん増えています。以前だったら、ケガをした選手がなるという感じでしたが、最初からなんです。

加藤 うちの野球部も10名ほど、アナリストがいますが、野球経験なしの学生も多いです。確か東大のサッカー部のアナリストはヨーロッパリーグのチームと契約していますよね。

中澤 そうです。ビジネス化していますね。

稲見 きちんとデータを見える化して関係者以外の人にも理解できるようにしよう、ということにこだわる企業も増えていますね。

データを共有する方法も、今はSNSを使ったり、ネットワークを駆使することで、別の場所にいる人にもすぐに動画や解析された映像が閲覧でき、情報が伝わるようになっています。目的が明確にできればレファレンスとしてはすごくいいものになります。

加藤 最近、YouTubeで、例えば野球だとダルビッシュさんなど有名選手がすごい技術を伝えてくれますね。だから、今、少年野球のコーチたちより、子どもたちのほうが知識があって、コーチの言うことを聞かないみたいな話が一部ではある。

でも、それは社会全体で変わっていけばいい面もあるので、面白い時代だと思いますね。

中澤 同じ話をプロ野球で聞きます。コーチ、違うみたいな(笑)。

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