【特集:スポーツとサイエンス】
座談会:アスリートとともに考えるサイエンスのちから
2024/07/05
自分の感覚と科学的データの間
水鳥 ぜひ皆さんにアドバイスいただきたいことがあるんです。先ほど体操では、自分の感覚を大事にしたがるという話をしましたが、そこは谷本さんがおっしゃった「ビデオを見ない」という話につながると思うんです。
体操も実際に今何センチだったということではなく、自分の感覚のほうが大事だと思っている選手がやはり多い。指導者でもそういう人もいます。しかし、科学的に数字で示したほうが、理解しやすかったり、納得感が得られることも当然あります。
たぶん計測ばかりしていると、それに依存してしまい、その数字が出ないと、調子が悪いんだ、と引っ張られたり、負の側面もあると思うんです。だから本当に大事な科学的な情報だけをしっかりと選手に伝えたい。だけど、それを伝えることによる悪影響を恐れて、科学を導入できないことも多いと感じています。
おそらくビデオは上手く使えば絶対いい側面があると思います。でも、逆にいい部分を消してしまうところがあるから、指導者も選手も変化を恐れるのかと思うんです。やはりオリンピックに行く選手だったら、自分の今までのやり方があるし、指導者も変化することで選手の調子が悪くなってしまったらどうしようという怖さがあって、あまり踏み込めないことがあるんです。
そういう心理を踏まえた上で、どのように科学と付き合っていけばいいか。スポーツ界がなかなか進まないところとして課題を感じているのですが、いかがお考えでしょうか。
中澤 今のお話は、すごいトップレベルに行った時の究極の高度なスキルの場合ですね。高度なスキルの場合、ほんの少しの本人の感覚の違いでそのスキルが発揮できなかったり、ものすごくデリケートですよね。脳神経科学でもそれはよくわかるところです。
体操の例で言えば、頭の中でイメージできないと絶対その技はできないですよね。そのイメージで動こうとした時にどういう感覚が返ってくるか、本人でなければわからない。こうやったらこう返ってきましたと、常に照合していると思うんですよ。
これが数値的に、角度が何度足りないとか言われても、おそらくピンと来ないだろうし、実際に10度動かした時にどういう感覚になったと照合して初めて本人は理解するわけですよね。だから数値的なものとか、視覚的な動画からの情報も、結局、本人の中の感覚と照合しないと真に理解されないので、トップレベルに行けば行くほど難しいのだろうと思うのです。
稲見 確かに科学を導入しやすい分野や、解釈が難しい領域はありますね。フィジカルを扱う私の分野は比較的ハードルが低めではありますが、それでもトップレベルの競技スポーツにすぐにでも活用可能な知見はそれほど多くないと思います。
水鳥さんが言われたことは科学のサポートのあり方に関する本質的な話で、科学で見ている(見ようとしている)ものとの向き合い方を選手、監督、アナリストなどチームとして関わる人たちが共有できているかどうかの重要性を示す話なんだと思いました。
また、アスリートが取られたデータを意識し過ぎてしまうこともよくあるケースですが、データを取る研究者側もそれは本意ではありません。客観的な情報の捉え方や咀嚼力にもトレーニングが必要でしょうし、よりわかりやすい伝え方や見せ方も重要ですね。そうした度重なるすり合わせによって、客観と主観の間が埋まり、真に理解されていくと信じたいです。
日本選手のメンタルは強くなったのか
中澤 ところで、今のアスリートは体操の選手にしても柔道の選手にしても、昔に比べて、日本人はメンタルが弱いとかあまり思わなくなってきたように感じるんです。本当にメンタルが強いなと、思っているんですが、何か特別なメンタルのコンディショニングをいつ頃からやられているんですか。
水鳥 僕は今の選手と言えるかどうか微妙ですが、いわゆるスポーツ心理学には相当取り組んでいました。前十字靭帯を断裂した1年半後にアテネオリンピックがあったのですが、そこに向けての準備期間に、JISS(国立スポーツ科学センター)の心理学研究室に伺い、自己分析と技分析の計画を立て、逆算してオリンピックを迎えました。
まず前提として、やはり試合で本当に力が発揮できるかどうかを考えることはすごく恐ろしいんですよ。だから、そのために自分が自信をもって臨める準備をしましょう、と自分の特性を知り、自分だったらどんな勝ち方をするか、どうやったら最大のパフォーマンスが発揮できるかを考えていきました。そうやって選考会でこの演技をすればきっと代表になれると確かめていく。そのために逆算して、いつまでに何をするかとやっていきました。
その中で心理学的な課題として、やはり自分は試合では緊張しやすい、得点や他の選手が気になりやすいという特性があることがわかったので、オリンピック代表選考会をイメージしながら、本番ではこう対処するということを自分の中でシミュレーションした上で、演技をするようにしました。そのように、疑似体験を重ね、余裕をもって自分が試合をできるようにする心理的な準備をして臨んだのです。
今の選手は、全体の傾向としては、主体性があるなという印象は持っています。自分が楽しいからやっている。自分が仲間と一緒に目標を達成したくてここまで来たみたいな雰囲気があって、そこは昔と全然違います。
お互いに夢を共有してそこに向かっていこうよという仲間同士のコミュニケーションが非常に活発で、技の情報共有や試合中の励まし合いは、明らかに増えています。もしかしたらそういう部分がいい影響をもたらしている可能性はあるのかと思っています。
中澤 チームとして何かやっていることはあるのですか。
水鳥 僕が今取り組んでいるチームビルディングとしては、自分たちの求められている役割は何か、そして自分たちは何を達成したいかということを全体で共有するようにしています。
お互いに本当に思っていることを最初の合宿で出して、自分たちのやるべき行動などを言語化して貼り出したりしています。
中澤 体操は個人競技に見えますけれど、チームビルディングとして、組織としてやることで、ムードや押し上げるような力が出てきたりするということですね。
水鳥 そうですね。個人競技ですが、感覚の重要性は高いので、その情報共有がいかにチーム内で生まれるかが大事なんですね。なので、選手が教え合うようなことは競技力向上には重要で、仲のよい雰囲気にできるだけしたいです。
加藤 そういう意味ではやはり団体戦は大事なんですね。
水鳥 そうですね。団体を皆で勝とうよ、というモチベーションは一番重要なところになっています。
愛情の力と自己肯定感
加藤 柔道も団体戦がありますよね。
谷本 そうなのですが、対人競技なので、また変わってくると思います。
1つお聞きしたいことがあるのですが。経験から考えると、選手が愛情を受けた時すごい力を発揮するんですよね。これは何だろうとずっと思っているんです。成功する選手の共通点を探ると、確実にこのことが条件として入ってくるんです。また勝つ人というのは運も味方にすると思うんですが、この運というのは何によって動いているのでしょうか。
例えば、オリンピックで勝つためには、運を引き寄せるための準備をしたり、緊張する試合の前日でも眠れるように寝る練習、当日の朝、緊張してもエネルギーの源となる朝ごはんが食べられるように食べる練習までやるんですね。とにかくそういったところまで突き詰めていかないと勝てない世界だったので、これを科学的な言葉にして伝えていきたいと思っています。
中澤 愛情というのは誰からの愛情ということですか?
谷本 コーチだったり、家族だったり、周りの人からのものです。
例えばSNSで99%の人たちが誹謗中傷したとしても、1%の人から自分を信じてくれているという、ある種の愛情を感じていればとても強いと聞いたことがあります。レスリングの伊調馨さんも同じことを言うんですよね。やはり信じてくれる誰かがいて、そこに愛情があったから自分自身の中に何かが生まれる。それって何なのかなと思うのです。
水鳥 僕も周りの人を見ていて、何か自己肯定感というか、自分にはできるという根拠のない自信を持っている人は結構強いと思っています。自分を信じられるということは、誰かが目茶苦茶自分のことを信じてくれているというような話なのかなと、お話しを聞いて思いました。
子どもがそうじゃないですか。「よかったね、すごいね、天才だね」と、ほめて伸ばすことで、自分には絶対できるんだ、という自己肯定感が養われるのかなと。
加藤 心理学だとよく自己効力感(エフィカシー)という言葉を使いますね。まさに自分ができると思うかどうかというのはすごく大事なんですが、それを自分だけではなく、集団効力感みたいに周りからもこの人だったらできると思ってもらえることが、愛情につながるのかもしれません。それが、本人の自信みたいなところに変わるのかなと。
稲見 愛情による心の充実みたいなことが、高いパフォーマンスにつながっていくことが重要ということですね。
谷本 そうなんですよ。それが何かがわかれば、きっとそういう状態に意識的に持っていけるのかなと。
加藤 先ほど水鳥さんが言われたみたいに、科学的なエビデンスから少し外れているところが重要で、中澤さんもおっしゃった通り、データにはできない部分みたいなところが、いまだに皆あると思っているということですね。
中澤 そう思いますね。いかに本番で力を出すかということに、今、個人的にもものすごく興味があって研究しようとしているんです。結局、愛情を感じていたり、自己効力感といった感情ですが、情動系は脳で言えば感情のほうに作用して、この感情が良い状態だとパフォーマンスはよく発揮できる。
でも、怖いとかネガティブな感情は体の動きを悪い方向に持っていく。その非常に基礎のところを今研究していますが、この部分は実は科学の対象になるのがすごく遅れているところだと思うんです。感情系と運動系の間の影響のインタラクションみたいなところは、私もすごく興味があります。
2024年7月号
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