【特集:スポーツとサイエンス】
藤平 信一:現代における育成──普遍性と再現性
2024/07/05
慶應義塾とのご縁
私の師匠であり、父でもある藤平光一は1920(大正9)年生まれで、慶應義塾大学経済学部の在学中に第二次世界大戦に召集され、半年繰り上げで卒業して戦地に赴きました。復員後、日本人がまだ自由に海外渡航をできない1953(昭和28)年から世界に合氣道を普及、後に最高段位である十段を允可されました。「山岡鉄舟の教え」を説いた小倉鉄樹師、「合気道の開祖」である植芝盛平師、「心と身体の関係」を説いた中村天風師と出会い、戦地での体験と厳しい修行から「氣」を体得、誰もが歩める道として体系化して「心身統一合氣道」を創始しました。そんな父の元で、私は1歳半から稽古が始まりました。
私の祖父も慶應義塾大学の出身でしたので、私には期待があったようですが、東京工業大学に進学、卒業後は心身統一合氣道の継承者を目指し、藤平光一の元で内弟子修行を始めました。その後、慶應義塾體育會合氣道部の師範を務め、さらに、慶應義塾大学の非常勤講師として三田・日吉のWeekly授業で合氣道を伝えることになりました。合氣道部では27年間、Weekly授業では25年間、現在に至るまで多くの学生と交流しています。合氣道部の関係者からご推薦を頂き、2014年には当時の清家篤塾長から特選塾員の栄誉を授かりました。藤平光一は2011年に91歳で天寿を全うしましたが、心から喜んでいるに違いありません。
心身統一合氣道の稽古の目的は、「人間が本来持っている力を最大限に発揮する(引き出す)」ことにあります。どれだけ能力があっても、技術を持っていても、いざというときそれを発揮できなければ意味がありません。また、自分を信じることができなければ力を発揮することはできません。稽古を通じて、心身ともに盤石な土台を養うことで、大事な場面でしっかり力を発揮することができるようになります。
そのため、合氣道に関心がある方だけではなく、アスリート、俳優やミュージシャン、組織のリーダーなど、様々な分野の皆さんが学ばれています。
一本足打法で有名な野球の王貞治さんも現役時代、毎年、藤平光一の元で稽古されました。私自身は、広岡達朗さんの推薦で2010年から3年間、アメリカ大リーグのロサンゼルス・ドジャースのキャンプで、若手最有望選手の育成に携わりました。
内弟子修行
内弟子修行はあらゆる面で大変でしたが、私にとっては何事にも代えられない財産です。内弟子になるにあたって親子関係は解消、あらためて師弟関係となり、師匠が亡くなるまで親子関係に戻ることはありませんでした。
内弟子の期間は師匠と行動を共にしますので、道場の内だけではなく、道場の外も修行、いわゆる休み時間がありません。週に一度、半日ほど自分の用事を済ます時間は与えられますが、それ以外は自由時間もありません。ただし、何かを勉強したいときは、申し出ればその時間だけは与えられました。
内弟子修行を思い返して最も大きかったことは、常に師匠と行動を共にすることによって、「何を大事にしているか」を理解することにあったと思います。例えば、「人とどのように接するか」「物をどのように扱うか」「困難をどのように乗り越えるか」といったことに、知識や情報ではなく、具体的な行動を通じて触れることができました。
何より信頼関係を大事にしていて、「特別なことをして賞賛されるのではなく、当たり前のことを当たり前にして信頼を得よ」と説き、その通りの生き方をしていました。誰に対しても分け隔てなく丁寧に接し、自分の弟子であっても呼び捨てにはせず「君付け」でした。師匠と弟子を「上下関係」ではなく、「人と人の関係」として捉えていました。人だけでなく、常に物も丁寧に扱っていました。私には困難にしか見えない状況でも、師匠には好機に見えていることもありました。こういったことは道場での学びだけでは得られないものでした。
組織の在り方や指導方法は時代と共に変化していきますが、「何を大事にしているか」が変質してしまっては継承したことになりません。継承において最も大切なことです。
2024年7月号
【特集:スポーツとサイエンス】
カテゴリ | |
---|---|
三田評論のコーナー |
藤平 信一(とうへい しんいち)
一般社団法人心身統一合氣道会会長、慶應義塾體育會合氣道部師範・特選塾員