【特集:スポーツとサイエンス】
藤平 信一:現代における育成──普遍性と再現性
2024/07/05
普遍性と再現性
育成においては「ティーチング」と「コーチング」の両方が必要です。どちらも一方向ではなく、双方向の関わり(コミュニケーション)です。相手の状態をよくみて理解するからこそ、適切に導くことができます。「相手主体」が基本ですが、「自分主体」になると、経験や勘のみに頼った関わり方、あるいは、知識や情報だけに偏った関わり方に陥ります。「なぜ今これを行うのか」「なぜあなたに必要なのか」を丁寧に示し、実行させ、励まし、達成まで導くことが育成の基本です。
藤平光一は「普遍性」と「再現性」を重んじました。普遍性とは人や場所などに依存せず常にできること、再現性とは同じ条件下であれば同じようにできることです。普遍性や再現性に欠ける場合は、正しいと主張するには早いということです。
育成において科学的な知見は重要ですが、それと同じくらい、科学的な姿勢が大切だと私は考えています。昨今、出版される本には、科学的知見と標榜しながら自身の主張に都合の良い結果だけを恣意的に用いて、再現性の不足が指摘されるものもあります。育成に携わる者には、科学的知見だからといって鵜呑みにせず、自らの頭で考えて実践してから取り入れ、再現性に基づいた「確かなこと」を伝える姿勢が大事です。
普遍性を高めるために、私は異なる分野、異なる対象、異なる言語で、同じように成果を上げることに挑戦し続けています。前述のロサンゼルス・ドジャースでの育成はその1つです。そもそも、アメリカのプロスポーツの選手が、日本から来た合氣道家の言うことを素直に聞くはずがありません。トレーニングの初回、集まった選手たちは「何しに来たの?」という雰囲気でした。
もちろん、それぞれの分野において形も動きも技術も異なるわけですが、根底で普遍的に繋がるものがあるのです。その1つが、持っている力を発揮するための「盤石な土台」です。トレーニングの目的を簡潔に説明した後、まずは「立ち方」のデモンストレーションをしました。選手の中から最も力の強い2人を選び、私の両脇に立たせ、それぞれが私の肩に両手を置いて重さをかけてもらいました。身体に少しでも力みがあると負荷を感じますが、力みのないバランスの取れた姿勢だと、どこにも無理なく支えることができます。最終的に2人は私にぶらさがっていましたが、盤石な土台でびくともしないのに驚き、選手たちは「自分もやってみたい!」と言い出しました。その場にいた全員ができるようになり、すぐに練習で試していました。
信頼関係が構築された後、選手たちは真摯に学ぶようになり、その変化を目にしたコーチたちも真剣になりました。そこから成果が確かなものになりました。
現代における育成
私が会長を務める心身統一合氣道会は、国内だけで約1万人の会員と約500人の指導者がいます。そのため、日々、私は指導者の育成に携わっています。
現代における育成で、最も悩ましいのは「ハラスメント」でしょう。鍛えるためには基本的な身体の強さが必要であり、その強さは基本の反復によって養われますが、それを強制すればハラスメントになりかねません。また、考え方に誤りがあれば正す必要がありますが、相手の内面に踏み込めばハラスメントになりかねません。「厳しさ=悪」と捉えられる今、ハラスメントを恐れるあまりに表層的な関わりになって、伝えるべきことを伝えられなくなっています。その結果、弱体化して成果が上がらなくなります。これは、現代の日本において、あらゆる分野で生じている問題ではないでしょうか。私もそれを克服するために様々なことに取り組んでいます。
この問題を掘り下げるために、福岡ソフトバンクホークスの元監督の工藤公康さん、第14代九重親方の九重龍二さん(元大関・千代大海)と鼎談する機会がありました。工藤さんは監督を務めた7年間で、日本シリーズを5度制覇しました。これだけの成果を残すには厳しさも求められたはずで、現代の育成でどのように実現したのでしょうか。九重さんは、部屋の力士に1日1000回も四股を踏ませるほど、育成には厳しさがあります。しかし、部屋の雰囲気は良く、前向きな力士が多く、このような環境をどのように構築しているのでしょうか。どちらも「相手主体の育成」が深く関わっていました。
この鼎談は『活の入れ方』(幻冬舎)という本になりました。日本語には「活を入れる」という言葉があります。本来は「気を失った人の息を吹き返させる」ことであり、そこから転じて、「人を元気づける(活かす)」という意味で用いられます。昨今、表現として「喝を入れる」がよく用いられていますが、実は誤用です。「喝」とは大声のことで、大声でおどすことになってしまいます。現代における「活の入れ方」こそ、本書におけるテーマです。現代の育成に悩むリーダーや指導者の一助となれば幸いです。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2024年7月号
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