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【特集:予防医療の未来】
座談会:人生100年時代のウェルビーイング社会を先導する

2023/11/06

職場で健康を維持するために

北川 岸本さんは産業医という立場で、職場環境をこれからどう変えていこうと思われていますか。

岸本 先に申し上げたメンタルヘルスの問題は、なかなか難しい課題だと思っていますが、単純な啓蒙活動が有効な部分もあると感じています。

私が産業医としてかかわらせていただいているある企業では、人間関係が必ずしも良好な会社ではありませんでした。うつ病等による休職が後を絶たず、大きな問題になっていました。そこで、トップダウンでウェルビーイングを推進するんだというメッセージを発したり、人事の企画で私との対談を企画したりしたことで、少しずつ意識が変わってきました。復職された社員さんも、最近少し会社が変わったみたいだ、とおっしゃって、うれしかったです。

とはいえ、ストレスチェック等の自己申告も完全には当てにならないので、そこをデジタル化して社員さんたちのストレスを定量化できないか、というプロジェクトも進めています。

北川 ストレスを定量化することはどのくらい進んでいるのでしょうか。精神科領域は利用できるバイオマーカーが必ずしも多い領域ではない印象ですが。

岸本 精神的な状態の定量が困難なのはご指摘の通りです。定量が難しいことは病気の予防や治療すべてにおいて足かせになりますので、私どもはうつ病の症状定量化を可能にする医療機器を開発中です。基本的にはAI技術を使うのですが、入力情報は、リストバンド型デバイスによる日常の活動や睡眠、脈拍などです。

ご質問のストレスの程度についても、心拍変動や唾液コルチゾール、皮膚電位などが客観的な指標として使われています。実際に、質問紙で聞き取るストレスの程度と、そういったバイオマーカーには一定の関係が見出されます。特に心拍変動は最近のデジタル技術で以前に比してずっと簡単に取得できるようになりましたので、今後の活用が期待されます。

北川 職場環境を様々な角度からもう少し細かく評価できる時代が来るということですか。

岸本 来るでしょうね。ストレスチェック制度の導入でストレスの「見える化」はある程度図られていますが、1年に1度の施行では適切なタイミングで問題に対処しにくかったり、隠匿したりすることがどうしても起きてしまいます。デジタルツールでストレス状況をリアルタイムに定量化することも今後は可能だと思います。

北川 小熊先生の領域ではどの程度パーソナルな評価というのは確立されてきているのでしょうか。

小熊 確立という意味ではまだ実際につながっていない部分が多いかと思います。運動は医療とは別のところで動いていることが多いので、医学的なアセスメントがあった上で、安全・安心な運動を行っていくということを一般の方にも啓発することが大事で、日本医師会はそこに力を入れています。

スポーツ庁と日本医師会で手を組んで、地域でもそういった仕組みがつくれるように、一昨年ぐらいから力を入れています(運動・スポーツ関連資源マップ構築)。まだこれからだと思います。民間の運動施設でも、パーソナルな評価ができること、医療機関と連携していることなどが今後ますます売りになると思います。

海外では仕組みづくりが進んでいるところもあります。日本では、診療報酬など、医師側のメリットが明確化していないこともあり、かかりつけ医など地域でしっかり医師がかかわって、運動施設などと連携している例は、まだ少ないです。

北川 普段の診療の中では、評価がされていないということですね。

小熊 そうですね。診療の中で完結させる運動指導、運動処方ではなかなか時間もかかりますので。これからは健診と結び付けて、定期的な評価の場とし、コメディカルや運動施設等とも連携して、日常の運動の提案をする、といった一連の流れをつくるのも大事なのかなと思っています。

予防医療の次へ

北川 移転後の予防医療センターでは、未来型予防医療の実現のため、「予防医療メンバーシップ」というメンバーシップ制の医療サービスを始めます。「予防医療メンバーシップ」では、プライマリードクターを中心としたパーソナルサポートチームが健康づくりをしていくわけですよね。プライマリードクターというのは、相当多岐にわたる知識が必要で、これをどうやって1人の患者さんに対して最適化・個別化していくのかが重要だと思います。

岸本 難しい課題ですが、将来的にはデジタル技術、AIの活用がカギだと思っています。知識レベルではAIは人間の医師を超えますし、日常の行動や睡眠が可視化され、疾患との関連が見出されれば、オーダーメイドのリコメンデーションがしやすくなると思います。人間の医師はこうした技術を上手く活用しながら、それぞれの利用者さんの目線で支援していくといったように。

北川 予防医療センターでプライマリードクターがチームをつくって、その人たちが同じレベルで、どんな人にも対応できるようになっていくのですか。

高石 専門以外の分野についても正確な知識が必要になります。このため受診者との面談前に、プライマリードクターを中心とした医師、看護師から構成されるコーディネーター等のメディカルスタッフが集まりチームをつくり、しっかりとしたカンファレンスを行います。

予防医療センターのデータだけではなく、必要であれば慶應義塾大学病院や他の施設での受診者のデータも可能な限り収集して、併せて総合的に判断したいと思います。総合的にチーム医療を行っているということを示すことにより、受診者との信頼関係を築いていきたいと思います。

北川 それは大事ですね。個人の方のデータをきちんと把握しているかということですね。

高石 今後、診断方法や治療方法はどんどん進歩していきます。自分の専門分野以外のことに関しては、他のプライマリードクターが診るのがベターだと思ったら、「この部分に関してはこちらのドクターがいいと思いますから一度相談して下さい」と言える環境づくりも大切だと思っています。沢山の専門家が揃っているということも、予防医療センターの強みになると思います。

また、予防医療センターは、病気の予防ももちろんですが、事故の予防にも力を入れたいです。転倒防止だけではなく、例えばお風呂での溺水で亡くなる高齢者が年間6000人近くいらして、こうした事態に対しても対策を考えていかなくてはいけない。心筋梗塞や脳卒中の6、7割は家で起きています。この対策は予防医療センターだけではできませんので、優れたセンサリング技術を持つ企業とタッグを組み、夜間就寝時や入浴時などに何かあった時にすぐにアラートが出て、救急対応ができる体制の構築を、塾医学部救急科と目指しています。

北川 患者さん、受診者の立場から言うと、これは安心材料ですね。それには、日常生活の見守りのデバイスが生かされていくのでしょうね。

岸本 はい。身に着けるのではなく、装着しなくても見守りができる技術も次々に開発されています。私どもも家に設置するタイプのセンサーを活用した研究も行っていますが、精度を向上させるだけでなく、プライバシーの問題など難しい面もあります。社会実装を進めていくうえで、倫理的、法的、社会的な課題の議論も必要です。

北川 慶應義塾としては、未来型予防医療のあり方を模索していく。それによって、ウェルビーイング社会を先導していきたいと考えています。今日はそれぞれのご専門の立場から、非常に興味深いお話を伺えました。これからも皆さんと力を合わせて、幸福な未来社会を先導していきたいと思います。本日は有り難うございました。

(2023年9月19日、信濃町キャンパスにて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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