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【特集:予防医療の未来】
伊藤裕:メタボリックドミノと"未病"医療──コンヴィヴィアリティ(conviviality)の創造

2023/11/06

  • 伊藤 裕(いとう ひろし)

    慶應義塾大学名誉教授、同大学予防医療センター特任教授

1.メタボリックドミノからみた現代医療の潮流──先制医療そして未病医療へ

私は、2003年に生活習慣(食生活、運動、睡眠など)の変調により、体重増加(とくに内臓脂肪の蓄積)が生じ、血圧上昇、食後血糖高値、脂質異常症(中性脂肪増加、HDLコレステロール低下)が同じ人にほぼ同じ時期に生じ、メタボリックシンドロームとなり、その結果、糖尿病、動脈硬化、慢性腎臓病が起こって、脳卒中、心筋梗塞、腎透析などに至る流れを「メタボリックドミノ」と称しました(図1)。超高齢社会の現代では、特に、心不全、認知症が大きな問題であり、また、がん(大腸がん、膵臓がん、子宮がんなど)、そして、筋力、筋肉量が低下するサルコペニアも合併します。世界は、新型コロナ感染症の猛威にさらされ、2023年9月段階で、700万人の方が亡くなられましたが、メタボリックドミノの疾患(「非感染性疾患」とよばれる) での死亡者数は、世界の年間死亡者数5700万人の7割に達します。

図1 メタボリックドミノ(伊藤裕 日本臨床 2003)

私の恩師の井村裕夫先生(京都大学元総長、日本学士院前院長)は、2011年に「先制医療」を唱えられました。これはこのドミノの流れの上流、病気がまだ萌芽の段階で見つけだし、早期に介入する医療です。最近では、その更に上流、いわゆる「未病」の段階への対応、「未病医療」に注目が集まっています。西暦625年、中国唐の名医、孫思邈(そんしばく)は、病気になってから治す医者は、最低ランクであり、病気が起ころうとしているとき治す医者(先制医療)は中ぐらいのランク、病気が起こらないうちに治す医者(未病医療)こそが最高ランクとしています。

2.ビッグデータサイエンスによる生体の多次元空間での把握とその遷移──「ゆらぎ」、リズムの乱れということ

未病とは、はっきりとした病気でもない、しかし、全く健康であるわけでもない時期、というあやふやな定義で、厚労省も白でも黒でもないグレーゾーンとしています。ある程度の幅を持たせた病態の概念であり、その人ごとにその解釈が異なり、それだけにその人に合わせた対応が期待できる状態であるとも言えます。身も心も充実感にあふれ楽しく幸せでいたいと思う人、なんとか仕事は続けられる心身でいたいと思う人、検診データで異常があってもそれが病気にならないようにしようと思う人(典型的な未病の領域)、さらには病気になってしまっても、再発しないようにしようと思う人など未病対策は、ひとさまざまです。

合原(あいはら)一幸東京大学特別教授は、健康状態も病気の状態も、どちらも生体のエネルギー状態としては、きわめて安定であり、健康から病気に移行するときに、一時的にエネルギー準位が上がり、不安定で、どちらに転んでもいい状態になり、これが未病状態であるとしています。私は、この時の生体状態の「ゆらぎ」が大切であると考えています。検診データの検査値も、平均値が正常範囲を超え異常と判断される前に、まず、その値がばらついてきます。メタボリックドミノの最下流の腎透析患者では、死亡に至る経過で、栄養指標である血清アルブミンが徐々に低下していきますが、正常範囲でも、まず変動幅が大きくなることが報告されています。また、我々の報告も含めて、血圧や血糖の値もその絶対値だけでなく、1日の中での変動、あるいは、病院に来院するときどきの値のばらつきそのものが、心血管病のリスクになることが知られています。ドミノの流れにおいて、まだ臓器障害が起こる前に、まず生体の状態が大きくゆらぐ時がある、その時が未病の適切な介入時期であると私は考えています(図2)。

図2 「未病」におけるエピノゲノム変化と生体情報のゆらぎ

「ゆらぎ」はどうして生じてくるのでしょうか。元気で長生きするヒトの検査データをフォローしていると、ほとんどブレがないことに驚きます。ブレない体、生体の恒常性(ホメオスタシス)の実現は、拮抗する作用を持つ様々な物質によるお互いのフィードバック機構の働きで、一定のリズム、周期性のある振動が保たれることが重要です。わたしの専門はホルモンですが、100種類以上あるホルモンは、1日の中でリズムのある分泌をもち、これが生体の強靭性(ロバストネス)を生み出しています。「ゆらぎ」は、このフィードバックの機能不全による生体の「リズムの乱れ」の現れと捉えることができます。

慶應義塾大学医学部拡張知能医学講座の桜田一洋教授は、これまでの医学は、因果関係を明らかにしてそのネットワークから病態を解明しようとしていたが、現在の医学統計学では、因果関係は問わず、様々な生体情報を取得し、それら多元的な生体状態計測の座標軸上に、その人の生体状態の空間ベクトルを位置づける試みをされています。わたしたちは、彼らとともに、健康から病気への生体ベクトルの遷移における「ゆらぎ」を解明していきたいと考えています。

3.老化の物差しはあるのか──「エピゲノム年齢」、遺伝子への刻印

私は、生きることは「遺伝子が使われること」であるとしています(『「超・長寿」の秘密』伊藤裕 祥伝社新書)。遺伝子が使われるとは、遺伝子コピーが作られる(複製)ことと、遺伝子が翻訳されて生体機能物質が作られる(転写翻訳)ことを指しますが、いずれにしてもその際には、2本鎖の遺伝子、DNAがほぐれ、そのときに、紫外線などの外部からの影響、細胞内で発生する活性酸素などの作用により、DNAにダメージが起こります。生体はそれを修復しつつ生きていくのですが、その際に遺伝子やその機能を調節するタンパクに化学修飾がおこり、遺伝子の働きが変化していきます。これをエピゲノム変化(エピは上、ゲノムは遺伝子で、遺伝子そのものではなく、その働き方に関わる変化という意味)といいます。

修復しきれなかった遺伝子ダメージとエピゲノム変化は確実に蓄積していき、これが老化、メタボリックドミノの駆動力となります。ですから、遺伝子のダメージの度合い、エピゲノム変化の程度を把握することでそのひとが生きてきた「物語」を知ることができ、どれほど遺伝子的に老いているのか(「エピゲノム年齢」)を理解することができます。エピゲノム年齢は血液細胞の遺伝子を解析することで算出することができ、我々は、まだ臓器に障害がおこる前の未病の段階での、遺伝子ダメージやエピゲノム変化を検出しようと考えています(図2)。腎臓は、体の様々な臓器のペースメーカー臓器であり、その老化は、全身の老化を反映します。腎臓の老廃物ろ過機能は、通常、年間0.5~1%程度ずつ低下していきますが、2%を超える低下は将来、「慢性腎臓病」を引き起こし、多くの疾患の発症リスクとなります。我々の予備的結果では、慢性腎臓病の患者は、エピゲノム年齢が、健常者より高い(遺伝子的に老いている)ということが示されました。

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