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【特集:予防医療の未来】
座談会:人生100年時代のウェルビーイング社会を先導する

2023/11/06

日常の身体情報と検査データをつなぐ

北川 予防医療という概念が大きく変わっていく中、小熊さん、予防医療を展開する「場」のあり方についてどうお考えでしょうか。

小熊 今、よりパーソナライズされ、かつ、様々なデータを取得できる時代になり、身体に関する情報は受診した時だけでなく、スマホやウォッチなどのデバイスからも継続的に取得できます。そしてそれも含めてプレシジョン(精密)というか、個々の希望に的確に対応し、早め早めに次の手を相談できることが求められていると思います。

日常での運動もそうですが、生活の部分と、受診時の検査データや病院での医療をつなげることで、よりよいサービスができるのではないか。そこをつなぐ必要があると思っています。

北川 コロナ禍の間に遠隔診療も急激に進歩しましたし、いわゆるウェアラブルデバイスによっていろいろな生活の中のデータが取れるようになりましたね。まさにそこが予防医療にも生かされていく時代になるだろうと思います。このあたりは岸本さんがご専門ですね。

岸本 はい、IoT(Internet of Things)の言葉にも象徴されるように、様々なものがインターネットにつながる時代です。IoTを通じて、われわれの生活の様子が非侵襲に観察できるようになり、それを病気の早期発見や健康増進に役立てようという研究開発が活発になってきています。

今までは、病院で定点観測しかできなかったのに対して、日常のあらゆる生活場面の連続的なデータが取得できるようになったことは大きいです。今後は、病院でしか取れない高度医療情報と、日常のウェアラブルデバイス等から得られる情報を上手くリンクさせることが重要だと思います。その意味では予防医療センターには大きなチャンスがあると思います。

それから、通常、病院では病気に関連のある部分しか検査をしませんが、予防医療センターでは複数の臓器を対象に縦断的にデータを取っていく。こうしたデータには病院とは別の価値があります。これらと日常生活の連続的なデータを上手くつなぐことで、なんらかの関係性が見出されれば、その価値は非常に大きいと思っています。

北川 麻布台ヒルズには、新しい街づくりを担ってくださっている森ビルとの共同研究講座が既に設置されて、岸本さんもそこですでに研究されていますね。

岸本 はい、まさにウェアラブルデバイスを活用した研究も複数行っています。例えば、リストバンド型の活動計および24時間血糖計を同時に着用いただいて、血糖変動と睡眠、日中の活動、眠気やバイタリティなどとの関係をみる研究も行いました。

また、ヒルズに勤める会社の社員の皆さんから健診データをいただき、それを蓄積することで、どんな仕事の仕方や休み方が、身体的な健康やウェルビーイングにつながるのかをみています。そうして得られた知見を予防医療センターや、街を利用する多くの人に還元したいと思っています。

食事指導のあり方

北川 まさに未来の予防医療をつくるためのいろいろな研究が、多角的に進んでいるということでしょうか。

医療者ではない立場から安藤さん、食を支える領域で、予防医療に対する期待がありましたらお願いします。

安藤 人間ドックとセットになるのが食事指導ですね。しかし食事指導の効果が非常に限定的だというデータもあります。やはり、健康的とはいえ海藻やキノコばかりの食事だと長くは続けられません。

食事指導の有効性を高めるためには、遠隔指導を充実させる必要があると思っています。一般のクリニックでは管理栄養士さんを雇う負担が大きいと思いますので、どう遠隔医療の中で共有化し、低コスト化して、食事指導を有効なものに変えていくか。

そして続けられるためのメニューも重要です。一般的に健康的な食というのは、味も薄く、野菜中心になることが多いので、すべての人にはフィットしないと思います。

食べたいものを好きなだけ食べていた人が、生活習慣病になってしまい、人間ドックでひっかかることは多々あると思います。そうした人たちの食欲を満たしながら、栄養問題をどう解決していくか。これは最適化栄養食のテクノロジーでクリアしていきたい。

高石 栄養指導、食事指導は私たち医師ももちろん行うのですが、おっしゃるとおり、何度も指導するうちにあまり聞き入れてくれなくなる。いつも同じ話をしては、単調になるのでダメで、いろいろ工夫しても、何かデータがないとなかなか耳を貸してくれない。こういう生活を続けていたら10年後はどうなるか、という明らかなデータがあればと思います。

北川 例えば、お酒をこれだけ飲んでいたら、10年後のあなたの肝臓はこうなっている、このまま喫煙を続けたら肺はこうなっているということでしょうか。

高石 はい、そうです。

未来を変えるためのドライブ

岸本 今、まさに人間ドックのデータや健診データ、さらにはコホート研究のデータなど、長期間のフォローアップデータが蓄積され、活用できるようになってきています。そうすると、こういうタイプの人がこんな生活習慣を継続すると将来どうなる、ということが予測できるようになります。このようなシミュレーションは今後の予防医療では有用だと思います。特に糖尿病リスクに関しては、すでにそうしたサービスもできているようですね。

北川 すると、未来を変えるためのドライブになりますよね。

岸本 はい、糖代謝だけでなく、様々な健康状態の予測にも応用可能だと思っています。

北川 例えばこのまま運動不足で、座った時間が長ければ、あなたは65歳になったら今のようにはテニスできませんよ、ということも予測できる時代になると。

岸本 はい、将来の疾患の予測だけではなく、その予測を覆すために、何をすると一番良いのかをAIで推定することも可能です。自分が望む将来に向けて、何をすればいいか。その人その人にとってのヒントを与えることが今後可能になると思います。

北川 より個別的に、あなたはこういう運動をしたら、今よりずっと健康状態が良くなりますよという、テーラーメイドのサジェスチョンもできるのでしょうか。

小熊 より精度高くできるようになると思います。そのためには良質なデータの蓄積が必要です。

安藤 今、予防医療センターは、人間ドックにひっかかってしまった場合、何カ月で再検査になるのですか。

高石 3カ月後が多いです。疾患によっては半年後ということもあります。

安藤 糖の代謝や脂質の代謝などの、データがしっかりとエビデンスとしてあるのだったら、パーソナライズされた食を、その3カ月間に提供していけば良いと思うのです。われわれの臨床試験の結果では、3カ月もあれば改善効果が十分期待できます。慶應の予防医療センターの提案通りに3カ月間食べ続けたら、本当に改善したとなれば、患者さんの信用はものすごく上がると思います。

行動科学の応用

岸本 先ほども申し上げましたが、行動変容を持続的に起こすのは非常に大変です。一時的に頑張れても、3カ月、6カ月で元に戻ってしまう。そこをいかに上手く持続的なものにするかは、行動科学が力を発揮する部分ではないかと思います。

北川 行動科学は重要なキーワードですよね。行動科学をどう予防医療に応用していくかですよね。

岸本 そうですね。一律に「これが健康によいですよ」と言っても、響く人と響かない人がいます。響かない理由も様々です。科学的、論理的な説明を行っても、かえって疑心暗鬼になってしまう人もいる。

ターゲットにする人たちをある程度層別化するとよいことも知られています。例えば何らかの検診に際して、その検査の必要性を理解していない人もいれば、検査を受けたいと思っていても大変そうだからと二の足を踏んでいる人もいる。それぞれに合わせた伝え方、支援の仕方が重要です。健康を推進するための指導には、まだまだ改善の余地があると思います。

北川 行動科学をしっかりと構築するような学問の場として、予防医療センターの麻布台ヒルズの共同研究講座もプラットフォームにしていきたいですね。

岸本 そうですね。医学、心理学、社会学、経済学といった様々な先生方の知見を集合させる必要があると思います。

北川 すると、予防医療センターの移転は、いろいろな社会科学、人文学系の方々も集結して、新しい学問をつくっていくという方向に発展していくのでしょうか。

岸本 はい、総合大学の慶應の強みを生かすべきフィールドだと思います。

行動変容させない「食」の提供

北川 慶應病院は5年間、内閣府からAIホスピタルモデル病院として認定していただき、いろいろな活動をしていましたけれど、やはり病院の建物の中だけで展開する医療は限界があります。これからは様々な遠隔医療の技術を使って、生活自体、地域自体を見守る医療に変わっていくのだという印象を非常に強く持っています。実際そういうことを支える技術もどんどん出てきている。

そのような中、これから健康にかかわる部分で生活をどう変えていくのか。この観点で、お話しいただけたらなと思います。

安藤 あくまでも、食カテゴリーにおいてのわれわれの考え方ですが、世界的にみて、食による革新的な健康促進を実現させるためには、むしろ行動変容させないほうがいいんです。そのほうが結果は変わりやすい。

もし健康のために人類が自制できるのであれば、世界中がこんなに肥満にならないはずです。それほど3大欲求の1つの食欲は自制することが難しい。ものすごく自制心の強い方、もしくは所得の高い方ならできるかもしれませんが、世界全体で食による健康改善を図るのであれば、食品メーカーや医療側が、行動変容をしなくてもいいように、好きなものを好きなだけ、好きな時に食べていいものを提供していくべきです。

先ほどから申し上げている最適化栄養食のテクノロジーを使って、いつも食べている食事の成分を未病対策になるようなものに変えていく。そうすることで食と健康の関係性は劇的に変わると思います。

北川 そのほうが精神のウェルビーイングも保たれるでしょうね。先ほどおっしゃったように、食というのはウェルビーイングと強い相関関係がある。そこを制限せずに、食生活を改善していくわけですね。

安藤 伊藤先生と、日本最適化栄養食協会をこの7月に発足させていただきました。この協会に登録された栄養設計基準を満たす商品には認証マークが付与されます。主要な栄養素がバランスよく適切に調整されていますよという保証のマークです。こういった普通に食べたいものを食べていても大丈夫な環境を人知れずつくっていくことが1つの解決策です。

われわれメーカーだけではなく、外食産業やスーパー、コンビニなど、食品が手に入るあらゆるタッチポイントで、そういったシステムを普及させて実現したい。

健康のために無理はしない

北川 この発想はすごいですね。行動変容しないほうがよいと。

岸本 はい、そこまでは考えていませんでした。我慢は長続きしないので、我慢しないで済む行動変容がよいだろうくらいは考えていましたが。共同研究中の東京大学大学院情報理工学研究科谷川智洋特任教授に、食べているクッキーを大きく見せることで、満腹になりやすくするという実験結果を見せてもらったことがあります。行動変容を無理に生じさせないという意味では、これも近いのかと思います。

北川 運動も、最近は一生懸命汗をかいてやる運動ではなくて、いわゆる筋肉を電気刺激する方法もありますね。身体的な機能についても、努力・苦痛を伴わずに維持できる時代になるんですかね。

小熊 そういう方法もあると思いますし、健康だけが目的ではなくてむしろ手段です。スポーツは楽しいことでもあるので、健康のために無理して行うのではない方法はあるかと思います。

北川 運動こそ、個人差が大きく、個人の能力や思考など多様ですよね。これにはどう対応していったらいいんでしょうか。

小熊 絶対にここまでやらなければいけないというよりは、現状レベルから少しでも増やしていくことも大事なので、やはりパーソナライズして、皆が同じゴールを目指さなくていい、ということをちゃんと理解することかなと思います。現在取り組んでいる、健康づくりのための身体活動基準2013、指針の改訂版(本年度厚生労働省から発信予定)では、このあたりのメッセージも含まれる予定です。

北川 その人にとって最適なゴールというのは、医学的には示唆できるものなのでしょうか。

小熊 はい、そうですね。医学だけでなく行動科学的な評価も含める必要があると思っています。スモールステップで進めつつ、中・長期的なゴールを立てる、という視点もあります。多くの疾患を抱えるなど運動を行うにあたってハイリスクな方の場合、安全域が狭いので、より精緻に設定する必要が生じます。

岸本 モチベーションの維持も大切ですよね。ゲーミフィケーションと呼ばれますが、ゲームの要素を取り入れて、利用者間で競わせたり、リワードを付与したり。もっと直接的に、ゲームを楽しむこと自体で健康を促進するというのもあり得るでしょう。実際、テレビゲームをさせることでADHD(注意欠如・多動症)のお子さんの注意機能を改善させるというものが、アメリカでプログラム医療機器として認可されています。ゲーム中に2つのタスクをさせることで、注意を上手く両方に払わせるよう訓練するのです。

ですので、疾患を予防する、健康を促進する、という目標に対して様々なアプローチが開発され、活用可能になってきているのだと思います。

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