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【特集:予防医療の未来】
座談会:人生100年時代のウェルビーイング社会を先導する

2023/11/06

スリープテックによる介入

安藤 睡眠の質を外部からコントロールする研究は進んでいるんでしょうか。

パラマウントベッドの木村友彦社長が幼稚舎からの同級生なのですが、彼との議論の中で、ウェルビーイングポイントを向上させるために、ベッド側のテクノロジーで睡眠姿勢をコントロールし、社員の毎日の睡眠の質を改善できないか、というような話も出ています。おそらく医療現場では呼吸姿勢とか、角度をセンサーが感知し、自動的に角度を変えたりして、睡眠時無呼吸症候群とか、呼吸姿勢が悪い人を強制的に矯正していくことは進んでいるのではと思うのですが。

岸本 重症のSASは難しいかもしれませんが、舌根の沈下は体を横向きにすると改善しますから、一定の効果はあるでしょうね。

スリープテックは今、非常に注目されていますね。スマートフォン、衣服に装着するセンサー、リストバンドのようなウェアラブルデバイスなど、様々なもので睡眠の状態を推定するものも出ています。

ただ、音や加速度、荷重、脈拍等のデータでどこまで睡眠のステージが推定できるのか、一定の限界はあると思います。やはり脳波の測定がないと厳密には難しいとは思います。

しかし、脳波なしのデータでも大まかな睡眠時間やそのリズム、あるいは睡眠がどの程度中断されているのかといったことは、わかるでしょうし、それだけでも非常に有用だと思います。

安藤 なるほど。でも睡眠と栄養は、今のデータだとあまり関与していないようなんですね。

岸本 夜遅い時間の大きな食事が消化管に負担をかける、睡眠中の血糖値の変動をもたらす、あるいはカフェインやアルコールが睡眠に悪影響をもたらすといったことは知られています。

最近は、「睡眠の質向上」の機能を謳う、乳酸菌飲料などが爆発的に売れていますね。腸内細菌と睡眠との接点もあるかもしれません。しかし、まだしっかりとしたエビデンスはないと思います。

安藤 われわれのグループ会社、日清ヨークでも、睡眠の質を改善し、日常生活の疲労感を軽減する乳酸菌飲料が、今、飛ぶように売れています。

岸本 そういう健康志向、良い睡眠をとりたいというニーズは大きいですよね。でも本当に健康に効果があるのか、医学的な検証を行っていく仕事は必要です。

北川 健康志向に応えるデータ蓄積とエビデンス構築はわれわれの使命ですよね。

予防医療の課題は

北川 では予防医療の未来という大きなテーマを考えていきましょう。高石さん、予防医療センターが慶應病院にできて11年がたちましたが、この間の歩みを少しご紹介いただけますか。

高石 予防医療センターは2012年に開設されました。幸い受診者から大変高い評価をいただいております。現在、予防医療センターのドックに年間約6000人が受診し、生活歴や家族歴、嗜好、血液データ、画像データなどたくさんの質の高いデータが蓄積されています。

しかし開院から10年が経ち、課題が出てきました。受診者数が増加し過ぎて予約枠が埋まってしまい、年に1回のドックが受けられなくなってきたのです。また、慶應義塾は予防医療を慶應医学の原点とし、臨床・研究を積み重ねてきましたので、研究面からも、予防医療センターのスタッフも、アカデミアとしてデータを積極的に活用しエビデンスを創出し、予防医学に貢献したいという気持ちが強くなっていました。

次の予防医療センターのあり方を模索していたところ、森ビル株式会社から、麻布台ヒルズの居住者、ワーカーに対して、住む・働くことを通じて、健康で生き生きと暮らせる街づくりを慶應義塾と共に実現できないかというご提案があり、予防医療センターは麻布台ヒルズに移転することになりました。研究を行うための共同研究講座である「ヒルズ未来予防医療・ウェルネス共同研究講座」は、先行して2021年に開始しています。

北川 今までの予防医療センターは、質の高い検診をやってきました。これからの予防医療の方向性をどのように考えていますか。

高石 これまで以上に、病気を早期に発見してほしいという受診者の気持ちに応えたいと思います。加えて、これからの予防医療センターでは、受診者との健康増進のための会話を重視していきます。予防医療には、受診者からの様々な要望があります。

例えば、価値の多様化という面では、膵臓がんが心配なので、1年に2回以上膵臓の検診を受けたい。認知症の家族歴があり、会社経営者として認知症になったことを気付かずに経営したくはないので、超早期に認知症を診断できる検査を受けられないか。このようにエビデンスに基づく医療より、自分の目標達成のための健康増進プログラムを希望される方も多いのです。安心を得たいという気持ちにも応えたいので、そういった要望を持つ方々ともしっかりと話し合い、可能なものには応えたいと思います。

われわれのコンセプトは「一人ひとりの人生と共に歩む医療を」です。個人のニーズに合わせて、高度にパーソナライズされた検診を行っていきます。

北川 基軸となるエビデンスを踏まえた上で、それぞれの人が望んでいる人生、大切にしている価値観に寄り添った予防医療であるべきだというお考えですね。

高石 はい、個人のウェルビーイングにつながっていくことが重要だと思っています。

様々なリスクへの対応

高石 身体のフレイルのうち、特にサルコペニアと呼ばれる老化に伴う筋力減退などが原因の、65歳以上の方の不慮の転倒・転落による死亡数が、年間9000人を超えています。交通事故死亡者が現在2000人程度ですから、その4倍以上になります。

つまずかないように脚を上げるのは大腰筋の役割です。つまずいても転倒せずに踏みとどまるには大腿四頭筋という太ももの筋肉が大切です。新しい予防医療センターでは、放射線科の陣崎雅広教授がキヤノンメディカルと共に開発した、受診者を立った状態で撮像する、世界初の立位CTを用いて、転倒防止に関連する筋肉や関節の状態を評価します(※移転を期に新しく提供するメンバーシップ制度の「慶應大学病院予防医療メンバーシップ」において実施)。立位CTは、重力下での人体の構造を可視化できます。立位・座位での呼吸機能や循環動態の評価や、歩行機能など多くの機能・病態の評価が可能となりますので、健康長寿に貢献できると考えています。

また従来の検診施設では重要視されていなかった、眼の検診と口の中の検診にもこだわりました。眼の病気は疾患自体がQOLに直結するだけでなく、認知症や転倒・骨折などに深く関連し、要介護の原因にもなります。健康寿命を延伸し、豊かで健やかな人生を送るためには、眼疾患の早期発見と早期対応はとても重要です。

予防医療センターでは、一部オプションになりますが、最新の眼科医療機器を用いて精密な診断を行い、眼疾患を早期に診断します(※同上)。手術が必要な場合には、連携している塾大学病院眼科がそのデータに基づき最善の医療を行います。

歯科、口腔外科につきましても、コーンビームCTなどの精密機器を用いた、オーラルフレイル(口腔機能低下症)検査に基づき、噛む・飲み込む・誤嚥防止の指導、予防歯科による歯や歯周病の定期健診、そして口腔がん検診も行います。

北川 オーラルフレイルはいろいろな疾患の併発や、身体全体の機能に影響しますね。まさに食に関してもオーラルフレイルの予防が非常に大事です。安藤さん、最適化栄養食は、例えば食物の堅さなどにも介入できるんですか。

安藤 嚥下のコントロールはできます。ただ、嚥下食までいくと食感と味に影響が出てくる。そこのブレイクスルーは必要だと思います。

北川 栄養素だけでなく食感そのものも個別化できるわけですよね。その人のオーラルファンクションに応じた、あるいは嗜好に応じたものというのができるわけですね。

安藤 できればそこの手前の段階をもっと開発したいところです。

北川 確かに、いくら栄養満点でもドロドロのゼリーを毎日食べるのは少し抵抗がありますね。

高石 嚥下が上手くできなくて、窒息して亡くなる65歳以上の方が年間約6000人以上いらっしゃる。嚥下機能に関して何かトレーニング用の食べ物みたいなものを開発できないでしょうか。

安藤 正直、介護が必要になった方々に向けた食の開発にはまだ取り組めていません。今は、要介護の状態になるのをいかに遅らせるかをメインに研究開発を進めています。

ただ、開発しようと思えばできると思います。品質から食感、材質のコントロールというのはわれわれが最も得意な分野ですので。

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