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【特集:予防医療の未来】
座談会:人生100年時代のウェルビーイング社会を先導する

2023/11/06

「ウェルビーイング」という視点

北川 皆さん、それぞれの観点から人生100年時代を語っていただきましたが、今、病気でないというだけでなく、心も体も、社会的にも健康で幸福である「ウェルビーイング」という概念への注目が集まっていますね。われわれはどのようにウェルビーイングを追求していけばいいのでしょうか。

岸本 ウェルビーイングの定義は、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも健康であるということです。つまり、身体だけが健康で病気にならなければいいということではなく、社会の中で満足した生活を送ることができている状態、幸福な状態、充実した状態というように多面的な幸福の状態を意味しています。

北川 小熊さんが考えられるウェルビーイング社会というのは、どういう社会でしょうか。

小熊 運動や身体活動の視点からいっても、身体への効果だけでなく、うつをはじめとしたメンタル面への効果だったり、その先の社会的なウェルビーイングという部分も非常に重要だといます。

今、私はKEIO SPORTS SDGsという、スポーツなどで体を動かすことがSDGsにつながるような取り組みを、慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート慶應スポーツSDGsセンター(https://sportssdgs.keio.ac.jp/)というスタートアップを設け、進めています。世界保健機関(WHO)が2018年に言っています(Global Action Plan on Physical Activity 2018-2030)が、身体活動不足が世界中に蔓延していて、本気で取り組まないとさらに悪くなる。身体活動に関しては行動を変えれば効果があるというエビデンスが揃っているので、そこを変えていく必要があります。

健康分野、スポーツ分野の専門家だけではなく、様々な分野の方と関わることで、社会のウェルビーイングを変え、1人1人のウェルビーイングも向上できるのです。SDGsの考え方で、環境と社会のことも考えつつ、ウェルビーイングを達成していく視点も大事だと思っています。

安藤 企業としても、2030年以降は、社会のウェルビーイングを本当に向上させることができているかどうかが、その会社の評価を左右します。企業の格付けに直接ウェルビーイングポイントが関わってくるのです。

どの企業も社会的にも肉体的にも精神的にも社員のウェルビーイングを向上させる施策を実施しているかが問われることになるので、今まさに各企業が様々な取り組みを始めたところです。しかし、どの企業もこれという答えを見つけられておらず、今は試行錯誤しながら、ウェルビーイングにつながる要因を探っているところだと思います。

当然、食とウェルビーイングの関わりは深いのですが、実は、まだ世界的に食とウェルビーイングの関係性を明らかにできていない。そのことに気付き、昨年世界で初めて、142の国と地域で食とウェルビーイングの関係性を調査しました。

1つ目の質問は「食を楽しめていますか?」。2つ目が「自分が食べたものは健康的だったと捉えていますか?」。最後に「食事の種類に幅広い選択肢があると感じていますか?」と、この3つの質問をしたところ、面白い結果が出ました。

当然、この3つが満たされている人は、ウェルビーイングが高い。ではどれくらい高いのかというと、自分が納得いく所得がもらえているということと同じ水準なのです。食がウェルビーイングを向上させる上でとても大切な要素であることが初めてわかりました。

北川 先ほど岸本さんからウェルビーイングの定義についてのお話がありましたけれど、それぞれの要素をどう評価してウェルビーイングの状態と言えるのかを伺えますか。

岸本 はい、ウェルビーイングがどんな要素で構成されるのかということについてもいくつかの考え方がありますが、私たちがよく活用するのは、自分の生活をどのように評価しているか(人生満足度)、その中でどのような感情を抱き(正や負の感情)、自分の人生にどのような意義や目的意識を持っているか、という3軸による評価です。それぞれに対して自己評価式の質問紙が開発されています。

睡眠の重要性

北川 身体的な機能維持には運動、食生活ももちろんですが、もう1つ睡眠も重要ですよね。睡眠の質や量は様々な疾患に関わってきますよね。

岸本 はい、死亡率を含めて様々な疾患との関連が示されています。さらに、ウェルビーイングの高い人は良い睡眠を取っているというエビデンスもあります。

日本人が認識しておくべきことは、日本人は、世界的にみて、極端に睡眠時間が短い国民だということです。ただ、周囲の睡眠時間が短いがために、自分の睡眠時間が短いと認識している人は少ないのです。会社に8時、9時まで残っていれば当然、睡眠時間は短くなりますし、実際そういうデータもあります。日本は睡眠不足についての問題意識が希薄と言わざるを得ないでしょう。社会全体が睡眠の大切さを理解して、啓蒙していくことは必要だと思います。

安藤 弊社でもセミナーを開催するなど、2030年以降に備えて、睡眠の教育を始めています。どれだけ眠ったかを見える化して部署ごとに競わせるゲーミフィケーションのような施策を実施することで、睡眠に対する従業員の意識は変わってくるのではないでしょうか。

小熊 運動不足とは別に、24時間の中で、睡眠でもなく、活動もしていない、じっとしている時間を「セデンタリー」とか「座位時間」と言うんですが、この「じっとしている時間」がよくないというエビデンスが蓄積されてきています。

岸本 世界的にみて、日本人は座位時間がもっとも長いそうですね。

小熊 はい、1日24時間の中で、睡眠時間を確保し、体を動かす時間を確保し、座りっぱなしの時間はなるべく減らす。30分に1回は2分間体を動かしましょうとか。そのような観点も大事だと言われています。

北川 こういった要素について、新しい予防医療センターでは、積極的に介入していくというコンセプトですね。

高石 はい、経済協力開発機構(OECD)の2021年版調査では、日本は睡眠時間が7.33時間と最小でした。睡眠障害は、作業効率を低下させ、生活習慣病のリスクを増加させます。

予防医療センターは、睡眠研究の第一人者である筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構の柳沢正史機構長が開発したウェアラブルデバイスを用いて、睡眠障害の予防・解消に取り組みます。睡眠時の脳波を測定し、AIで睡眠の質を解析するだけではなく、血中酸素濃度を測定し、睡眠時無呼吸症候群(SAS)も検出できます。柳沢教授と連携し、塾医学部精神・神経科の三村將名誉教授や岸本さんと共に睡眠研究を進めます。

会議中に寝る人がいるのは日本だけ、と言われていますよね。

岸本 欧米の人からは異常に見えるようですね。欧米では会議中の居眠りは失礼だし、恥ずかしいことだという考え方も強い。ただ、あんなに寝ていると何かの病気ではないかという認識をも、持たれるようです。

安藤 企業としては会議のあり方に課題を感じています。高位の出席者が多いゆえに、発言する機会が限られてしまうと、ただ出席しているだけで、ディスカッションに参加しているとは言えません。

そうした会議のあり方、もしくはもっと踏み込んで組織のあり方を変えていかないといけない。

睡眠と認知症

岸本 睡眠と認知症のリスクについても最近注目されるようになりました。睡眠にはまだまだ謎が多いのですが、睡眠中に脳の老廃物が排出されるという考え方があります。Glymphatic system と言いますが、睡眠中にそのシステムが活発化するというエビデンスが蓄積されています。

北川 睡眠不足は睡眠負債という形で蓄積していきます。老廃物が脳にたまっていくわけですね。

岸本 はい、だからこそ柳沢先生は、自分の睡眠を可視化すべきではないかとおっしゃっていますね。

北川 認知症は、今まではわかってもなかなか介入できないので、当事者は知りたくないというメンタリティーがあったと思いますが、今はそうではないですよね。

岸本 はい、冒頭でも申しましたが、レカネマブは認知症治療のあり方を大きく変えるでしょうし、それに伴って当事者のメンタリティーも変わるでしょうね。ただ、レカネマブを使用できる人は限られるので、介入可能なリスクを減らしていくことも大事です。運動する、糖尿病を予防する、良い睡眠を取る、社交場面を増やすなど。ただ、一時的には頑張れても、こうした行動変容を長期的にもたらすのは案外難しい。どうすれば維持されるのか、私たちの研究テーマの1つです。

北川 認知症には予防医療センターとしてどうやって取り組むのですか。

高石 様々な方法を検討しています。レカネマブによる治療対象は、アルツハイマー病によるMCIと言われる軽度認知障害、または軽度認知症の患者です。“軽度”が付くのは、病気が進行して、脳の神経細胞が機能を喪失する前に治療する必要があるためです。

私たちは、塾医学部生理学の伊東大介教授と精神・神経科の文鐘玉特任准教授と共に、血液中のアミロイドβと、タウたんぱく質などを測定して、アルツハイマー病疑いの方を早期にスクリーニングする方法を開発しました。そして疑いのある方には、メモリークリニックで三村特任教授が認知症テストを行い、PETや脳脊髄液検査を用いて確定診断します。またMRI画像を用いた独自の高精度の脳年齢予測モデルの開発も岸本さんや精神・神経科の平野仁一講師と進めています。このような検査も導入しながら、早期に正確な診断をしたいと思っています。

北川 積極的に対処する手段が少ないためにあまり光が当たらなかった分野に、精密な診断手段ができ、いろいろな行動変容や一部の状況では有効な薬剤も使用可能な時代になったわけですね。

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