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【特集:一貫教育確立125年】
濱田庸子:思春期を一貫教育校で過ごすということ──精神分析的視点から

2023/10/05

私自身の一貫教育校での思春期

ここで少々恥ずかしいが、私自身が中等部、女子高で過ごした思春期を振り返ってみたい。

中等部に入学すると、教室には教壇がなかった。フラットな教室で、先生方が生徒を対等に扱ってくださることがとても新鮮だった。部活では女子ソフトボール部に入り、初めて参加した夏合宿で、大人に幻滅する出来事が起きた。今から考えると些細なことだが、その当時の思春期に入りかけで正義感にあふれていた私には「汚い大人」は許せなかった。1970年前後は安保闘争や学園紛争があり、世の中は騒然としていた。私はラジオの深夜放送に熱中し、夕食後に一眠りして、夜中に起き出してラジオを聞いていた。昼間の大人の世界は汚く間違っていて、パーソナリティが語りかける夜の世界が本物だ、とでも感じていたようだった。おそらく「汚い大人」の代表と見なしていた先生方には、かなり失礼な態度を取っていたかもしれない。自分自身の感情に戸惑いを感じていた時期だった。

女子高に進学し、ソフトボール部がなかったので、先輩に誘われて山岳部に入った。夏休みには帆布でできた横長のザックに、テントや食料を詰め込んで山に行った。重いザックを担ぎ、先生・先輩・仲間とパーティーを組んで登り、高山植物が咲き乱れる中でテント泊をした。大自然の中で、人間の存在がいかにちっぽけなのかを痛感した。

女子高時代のもう1つの大きな経験は、2年の夏休みに参加したハワイのプナホウスクールへの短期留学だ。これは慶應の3高校を中心に国内外の高校生が参加した6週間のプログラムだった。初めて家族から離れて海外でホームステイし、異文化を体験した。このプログラムの最終課題は「What’s American identity?」というテーマの発表だった。当時はまだエリクソンを知る前だったが、「identity」という単語に出会い、アメリカについて、ハワイについて、そして日本と自分自身について深く考えた6週間だった。勉強に、遊びに、恋愛に、仲間ととても濃密なひと夏を過ごした。今年、2023年夏はハワイの短期留学からちょうど50年にあたり、同窓会が行われた。多くの仲間が集まり、古い写真を見ながら思い出話に花が咲いた。髪は薄くなりしわが増えていても、話し出すとタイムマシンに乗ったかのように、あっという間に「あの夏」に戻っていた。それだけ刺激の多い、記憶に深く刻まれた6週間だった。

精神分析的視点からの振り返り

中学時代になんであんなに「汚い大人」を嫌悪したのか、その自分自身への違和感と、ハワイで出合ったidentity という言葉からエリクソンを知り、精神分析に出合ったことが、私が精神科医を志すきっかけになった。

精神分析的発達理論を学んでから自分自身の思春期を振り返ると、あの嫌悪感は成熟しつつある自身の心身への戸惑いや親への幻滅が、社会の大人に置き換えられた側面があり、深夜放送への傾倒は思春期モーニングの現れだったのではないかと理解できた。そして女子高時代の山行と短期留学は、親離れのプロセスを促進した。大自然や異文化環境の中で、仲間と過ごし、性同一性が次第に確立した。Identity を考えること、ニュー・オブジェクトである先輩と交流することを通して、精神科医をめざすという自身の目標を、おぼろげなものから次第にはっきりとしたものに育てていくことができたと思う。

一貫教育校で思春期を過ごすこと

このように自由に過ごした中高時代を振り返ると、慶應義塾の一貫教育校で思春期を過ごした恩恵を感じる。

一番わかりやすい恩恵は、進学のための勉強に妨げられないことである。慶應義塾大学への推薦がほぼ保証されている一貫教育校では、多くの生徒は自分自身の内的な動機から、勉強、課外活動その他の活動を行うことができるし、留学など生徒が活用できる仕組みが多く用意されている。

第2に先輩大学生とのつながりが強いということである。塾高野球部の活躍でも学生コーチの存在がマスコミに取り上げられていたように、多くの課外活動で、コーチとして大学生が関わっている。女子高山岳部でも、合宿には大学生がたくさん来てくれた。先輩たちは生徒にとってのニュー・オブジェクトとなり、生徒の新たな価値観の創造を促進する。また大学生活をイメージするロールモデルにもなる。

そして空気のように当たり前ではあるが最も重要なのが、中高生全体が一定の価値観を持つ環境に守られているということである。これが慶應義塾の伝統の力なのかもしれないが、独立自尊の精神、福澤イズムが教職員・先輩など生徒を取り巻く人々に共有されている。塾高野球部の活躍にも見られたように、生徒1人1人を個人として尊重することがごく自然に行われている。私自身も、自分1人で自由に育ってきたと錯覚していたが、今改めて振り返ると、それができたのは多少危険なことをしても見守ってくれている大人がいたおかげだった。この一貫教育校の環境は、精神分析でいう抱える環境 holding environment であり、生徒たちが安心してのびのびと行動できる空間を生み出している。

とても恵まれた環境で思春期を過ごさせてくれた両親、先生方に心から感謝したい。しかし同時に、恵まれていることを自覚することも忘れてはいけないと思う。甲子園の大きすぎる応援が批判されたように、同質の価値観を持つ中だけで過ごすリスクがある。さなぎの殻を脱ぎ捨てて成長するように、広い世界に目を向けていく必要もある。

最後に、思春期の発達は、それ以前にどのような家族関係を経験してきたかに大きな影響を受けることは言うまでもない。現代では家族のあり方が多様化しており、中学入学前に心的なトラウマを負っている生徒も珍しくはなく、思春期の発達過程はより複雑になっている。しかし複雑化しているからこそ、125年の伝統を持つ慶應義塾の一貫教育という安定した環境の中で思春期を過ごすことが、生涯を通しての心身の健全な発達にとって、とても重要な意味を持つと思う。

〈注〉

*1 小此木啓吾「思春期モーニング」 小此木啓吾他編 『心の臨床家のための必携精神医学ハンドブック』(創元社 1998年)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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