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【特集:日本の“働き方”再考】
座談会:多様な働き方と雇用形態の変化が向かう未来とは

2023/02/07

ジョブ型のメリット、デメリット

八代 よくわかりました。高橋さん、外資系企業の場合、すでにジョブ型が定着し、仕事がなくなることは雇用を失うことで、おそらく多くの人は社内の自分のジョブの天井を見ながら、他社からオファーがあった時、この会社に残るのがいいのか、転職するのがいいのかと常に天秤にかけて考えているのかと思うのです。

ジョブ型雇用というものに基づいてマネジメントをされ、あるいはご自身がそういう環境の中で現在雇用されているという観点から、そのメリット、デメリットをどう思われますか。

高橋 ジョブ型のメリットは日本でも海外でも同じだと思っています。やはり外部公平性の中で必要な人材を必要なタイミングで柔軟に獲得できるということ。そしてイグジットも促すことができるという点だと考えています。

では、どういったところがデメリット、つまり悩みのポイントなのかですが、これは日本とヨーロッパの場合で少し視点が変わります。

日本においては悩みどころは大きく2点です。まず中途採用が中心になる中で、新卒採用をどこまでやっていくのかです。現在ノバルティスの日本では新卒採用を続けています。これは世代ごとの人材のパイプラインを作っていくという上では、やはり新卒を毎年一定程度は確保していかないといけないという理由からです。

また、できるだけ早期にポテンシャル人材を伸ばしていきたいという考えがありますので、やはり20代や30代前半でポテンシャルが高く、グローバルリーダーシップをとれるような人材を育てるためには、優秀な20代前半世代の人材を確保できる新卒採用が欠かせないのです。

そうなると、ジョブ型で職種別採用はしていますが、ずっと彼らに仕事を保障できるわけではないので、新卒採用をどれくらいの人数をどの職種にしていくべきか、いつも悩んでいます。

2点目は育成のあり方です。日本の企業には、主任レベルから係長、課長、部長と階層別研修があると思います。当社はジョブ型でありながら日本ではそのような育成をしていましたが、企業内大学を立ち上げた時にそれを極力なくしていきました。それぞれのジョブに合った、またどういうキャリアゴールを求めているかで、研修はもっと自由であるべきだということからです。

ただ、それでもマネジメント側からは階層別にしっかり育成してほしいというニーズが常にあります。中途採用で入っても、きちんと研修してもらうことを期待している人もいます。

一方、私がヨーロッパでジョブ型で、悩んでいることは大きく2点です。

1つは、優秀人材の獲得とリテンションにかかるコストが、非常に高いということです。同一労働同一賃金がジョブの基本ですが、本当に優秀な人は他社からプラス30%、40%の賃金を出されて、どんどん引き抜かれていってしまう。そのように同一労働同一賃金だけでは社員をリテンションできないのが現状です。

2点目はジョブをジョブディスクリプション(職務記述書)で規定しますが、あまりに環境変化が激しくて、Jobsto be done(JTBD)と言われているものが、半年でどんどん古くなっていってしまう。すると、ジョブディスクリプションの書き換えが常に間に合わなくなり、ジョブで規定することの難しさが出てきています。

ですので、やるべきジョブというより、どういうインパクトを企業に与えるかという部分にフォーカスしていかないと、ジョブのあり方がテクノロジーと事業の環境変化についていけなくなる悩みが生じます。

八代 先日「日本の企業の問題はウィンドウズ2000だ」と言う人がいました。マイクロソフトのOSの話かと思ったらそうではなく、日本の立派な企業には年収を2000万円ももらっている窓際族の人がいる、それをウィンドウズ2000と言うと(笑)。

それが日本の企業の一番の人件費問題だと思うのですが、外資系にはそれとは全く別のリテンションに伴うコスト、それから人が辞めた時に次の人を雇うコストがかかるということですね。

「保障と拘束の関係」のゆくえ

八代 森安さん、このジョブ型、メンバーシップ型は経済学や社会政策の観点からどう捉えられるでしょうか。1つはジョブ型になると労働移動が増える、あるいは企業が外から人を採りやすくなり、従業員も転職しやすくなると言われていますね。

森安 仮にジョブ型が定着すれば、おっしゃるように労働移動は増えるものと考えられます。メンバーシップ型であれば、人に評価や等級がつくため、年功的な制度・運用と相性がよく、年齢を重ねるほど十分な賃金がペイされます。

これに対し、ジョブ型になればポストに賃金がつきます。外部労働市場のよりよい賃金・よりよい条件が見えて比較ができますので、外に移動するインセンティブも働き、自己投資をして転職するという動きになろうかと思います。またポスト数を柔軟に調整できるメンバーシップ型と比べるとジョブ型はポストが固定化されるため、転職せざるを得ない状況も生じやすいかと思います。

私の関心は労働移動もさることながら、育成コストをどこが負担するのかということにあります。ここで言う育成はもちろん研修も入りますが、それ以上に仕事経験や上長等からのフィードバック・対話なども含めたものです。

メンバーシップ型であれば企業側が育成コストを負担していました。それがジョブ型になるとそうはいかなくなる。より個人がキャリアに責任を負う側面が強くなります。先ほど高橋さんのお話にも、働きながら大学院で学位を取る事例がありました。

問題は、そうした自己投資を行わない人材・行えない人材にとって、この自己投資や育成コストをどう考えていくのかという点です。これが社会全体で見ると問題になってくるのかと思います。

樋口美雄先生がよく、これまでの雇用慣行は「保障と拘束の関係」だと言われます。すなわち生活保障を含めて、会社が社員に保障をする。その代わり社員は、時間・場所・仕事内容などを企業に従う、拘束されるといった関係です。こうした関係下で、社員は長期的なキャリアも会社に保障してもらっていた面があったかと思います。

いわゆるキャリア自律がなくても、日々の業務を責任もって遂行していれば、給料は下がることはないし、シニアになっても会社がどこかのポストに配置転換をしてくれていた。もちろん社内出世競争はあれど、ある意味で、社員は安心して会社に身を任せ、社内的な意味での自己投資を行っておけばよかったのだと思います。

これが「保障と拘束の関係」から、「選択と責任の関係」になった時、個人の自己責任のような側面が出てきます。一般的には「キャリア自律」という言葉は良いニュアンスを帯びていますが、キャリアの努力や責任を個人が負うという側面もあります。キャリアリテラシーがあり、キャリアに関する情報をきちんとキャッチアップし、キャリアに対して自分で考えて意思決定できる人材と、そうではない人材とに分かれていくのだと思います。

キャリア自律が上手くできない人、例えばそもそもキャリアの情報が上手く取れていない人、諸事情でキャリア自律に取り組めない人、目の前の仕事を一生懸命やり過ぎて長期的なキャリアを考えていない人などは、もし仮に日本がジョブ型的な社会になった場合にどうするのか。

会社が保障しないならば行政なのかというと、行政は、本当に困っている方ではない方の支援は優先度がどうしても下がってしまうでしょう。そのように、育成を誰が負担するのかということは大きなテーマとなってくると思います。

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