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【特集:認知症と社会】
座談会:「認知症とは何か」を社会とのかかわりから考える

2022/11/07

認知症の豊かさと和解する能力

堀田 石原さんはいかがですか。

石原 人類や社会が認知症という葛藤と向き合った先の姿として考えていることは、大きく3つあります。

自分の夢としてはやはり生まれてきた時と同じように、老いていくことや認知症になることが祝福だと思えるような社会で自分が老いていき、亡くなっていけたら嬉しいと思います。樋口さんがおっしゃった、認知症の方の言葉で癒されるみたいなことも現実に起こっていますよね。そういう豊かさにどんどん気付けていけたらいい。

認知症の臨床と研究で高名なある先生に、私は紛争解決で認知症を考えていますと申したところ「認知症の人は天と葛藤しているんですよ。でも、彼らは天と和解する才能が高いと僕は思います」とおっしゃった。天に、なぜ私の機能を奪うのか、なぜ老いなければいけないのか、なぜ私の伴侶を奪うのかと、皆、葛藤する。でもそれを受け入れて和解していく能力も高いということです。何かそういうことも豊かさにつながるのかなと思います。

あとの2つはもう少し現実的な問題で、安心して認知症になれる社会へと言うけれど、でも安心してというのは現実には難しい。なぜ難しいのかいうと、認知症になるということが、単に大きな変化だから難しいというだけでなくて、やはり機能が失われていってサポートやケアが必要な状態になるという側面があるからかなと思います。

特にこれから社会の人口の大きな部分がそうなる可能性が高いのであれば、医療や福祉などの専門職にケアやサポートを任せておくのでは立ち行かないと思うのです。「ケアをする人」と「される人」とが、固定した関係ではもう駄目なのだろうと思います。水俣で「お互いに迷惑をかけ合える社会を」と言い方をしますが、専門職といった仕事だけではなく、当たり前にケアし合えるような社会に変化していく豊かさがあったらいいなと思うのです。

3点目ですが、紛争解決学ではトラウマや傷つきに注目するのですが、それを認知症カフェの専門家の矢吹知之先生にお話ししたとき「認知症とはトラウマの問題なんですよ」とおっしゃられた。なぜ認知症は異常だ、なりたくない、と忌み嫌うかというと、やはり恐怖感があるからではないか、と。自身の変化も怖いし、何より社会が「普通の成人」に求めてきた規範に添えない状態になることへの怖さです。

矢吹さんが言うには、カフェの目的は認知症の人と認知症ではない人とが当たり前に触れ合って、まさに「普通の人じゃないか」と思うことにあるそうです。恐怖を持つような存在や状態ではないし、普通じゃないかと気づく。そのトラウマから解放されていくプロセスが大事だというのです。

私たちが老いとか認知症にもっている恐怖感やトラウマから解放された先に、老いていくことや認知症になることの豊かさが立ち現れればいいなと思っています。

何が普通なのか

加藤 少子高齢社会の中で、認知症の当事者が誰かといえば、たぶん認知症の人ではなくて僕らなんです。だからちゃんと自分ごとと思えるかどうかが一番の問題。今日は「普通の人」というキーワードが何回か出てきましたが、正直な話、普通の人というのは僕はいないと思っているんです。

ここからここまでが普通ですよと振れ幅を決めているのは皆が勝手に決めているだけであって、その振れ幅が広ければ「別に認知症関係なくない?」となる。僕はどちらかというとそちらのタイプなので、樋口さんだって認知症の人だと思って付き合っていない。

普通という概念の捉え方は、何か分断社会の中で自分の近しいものしか見ないで育ってきたから良くない方向に陥りやすいのかなと思うのです。障害は小学校で分けられて、中学、高校、大学と行くと学力で分けられて、職場に行くと今度は専門性で分けられる。自分に近いものしか見ないから、違うものの発想を見るとすぐに攻撃し始めますよね。

その分断社会のなれの果てが認知症問題なのかなとも思っていて、江戸時代だったらたぶん問題にならなかったでしょう。認知症もギフテッドみたいなところも僕はあると思っているし、現場で僕たちもすごくたくさんのものをもらっているんですよ。

堀田 では最後に大石さん、全体を振り返って、お話しいただければ。

大石 樋口さんのお話を伺って、愚痴の吐き合いのようなSNSの時代から、今は少しずつ豊かな言葉も生まれつつあるというお話がありました。そういった変化は、愚痴の吐き合いがもたらすラベリングのようなものを減らしてくれるだろうし、とても大事な変化だなと思います。

石原さんのお話にあったトラウマですが、認知症のある人は診断されて傷ついて、高齢の方だと戦時中のトラウマ体験が出てくる人もいる。でも、トラウマの影響なのに、認知症の症状と理解されて、睡眠薬が処方されることがあるのです。トラウマ・インフォームドケア、つまり、トラウマの眼鏡で起きている事象を見直すという考え方は、認知症になる人に生じる様々な変化を考えていく際も、すごく大事だなと思いました。

加藤さんがおっしゃるように、普通の人の定義というのは難しいけれど、異常という表現がいいかわかりませんが、普通の人だってある意味異常な人で、普通の人の中にいろいろな個別性がある。つまり、違っていていいのではないか、違いを認め合って、違いのあることが当たり前のことで、それを尊重し合えるような状況が広がっていくこと。それは夢物語かもしれないけれど、そういう視点もすごく大事だと思いました。

厚労省の認知症施策推進大綱の中で共生と予防という言葉がありますが、共生と予防の前に大事なのは、誰もが持っている内なる認知症へのスティグマに気付くこと、社会にあるスティグマに着目することです。そうでないと共生みたいな耳障りのいい言葉で何かだまされてしまいがちですし、自分の中にある、社会の中にあるドロドロとしたスティグマに気付き、自覚して向き合っていくことが、より必要なのかなと思います。

社会の中で認知症もあるけれど、それぞれが豊かな暮らしをしているのだということが広がっていったら、少し変わっていくのかなと思います。

堀田 今日はお忙しい中、どうも有り難うございました。

(2022年9月27日、三田キャンパス内にて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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