三田評論ONLINE

【特集:認知症と社会】
座談会:「認知症とは何か」を社会とのかかわりから考える

2022/11/07

疾病化をもたらす言葉

堀田 大石さんは「認知症にまつわる言葉」についてもコラム等で発信を続けておられます。ご本人からすると理由のあることが、症状として医療化された言葉になってしまうことは、よくあります。大石さんが言葉についての問題意識を持たれた経緯を教えていただけますか。

大石 外来診療以外に、特に施設の訪問診療をするとよく耳にするのは、「帰宅願望」という言葉です。「帰宅願望」って何だろう、私だって早く帰りたいよなと思って(笑)。

記録を見ると家族から十分な説明もないまま施設に閉じ込められたということがある。何の説明もなく、本人も承諾しないまま施設に入れさせられて鍵をかけられたら帰りたくなって当たり前なのに、それが帰宅願望という言葉で語られていく。そのうちにそれがあたかも精神医学用語であるかのように思われてしまう。

帰宅願望という言葉は精神医学書を開いてもどこにもない。こういうのって何なんだろうと思っていろいろ気にして見ていくと、食べない、薬を飲まないことを「拒食」「拒薬」と述べたり、あるいは食べてはいけないものを口にすることを「異食」と言ったり。あるいは便を手で触れていると、「弄便(ろうべん)」と言ったりする。

何か起きている現象を短い言葉にすると、それが疾病化されやすくなるのですね。別に、病気によって起こっているものではなく、言葉の問題というものがあるなと思うのです。

周辺症状やBPSDという言葉もそうです。BPSDという言葉は認知症の行動障害および心理症状のことです。BPSDという概念を作ったのは国際老年精神医学会ですが、それが1990年代の後半です。ちょうど当時は抗精神病薬の新しい薬が開発されて市場に出て行った時代です。抗精神病薬によって認知症のある人の行動上の変化の治療をターゲットにして、臨床試験をして、保険適用を取りたかったのだと思うのですね。

保険適用を取る臨床試験では、症状を概念化し、定義付けして、評価尺度を作ることが必要になる。そのための概念化の作業としてBPSDという言葉の概念が必要だったのだろうと思います。BPSDという言葉で認知症のある人の行動を考えてしまうと、それもまさに「疾病化」なわけです。

加藤さんがおっしゃったように、行動の変化の背景には理由があるのにその理由を考えなくなってしまい、それは認知症の症状、脳の病気による症状なんだという考え方が広がっていってしまった。BPSDという言葉も何とかしないといけないと思うようになりました。

言葉に関して問題意識を持つようになったのは、そういった臨床、診療の中でのいろいろな体験から精神医学用語として概念化された言葉に違和感があったからです。

堀田 よくわかります。 

大石 教科書を見ると、反社会的行動とか人格変化だとか、暴言や暴力もそうだし、先ほど申し上げた弄便とか、認知症のある人が見たらどう思うんだろうという言葉で溢れていますね。医学部の講義で、認知症のある人にはどんな変化が出るかと聞くと、反社会的とか、暴行とか、教科書に書いてある言葉を教員に言えば褒めてもらえるだろうと思っている。こんなふうに浸透してしまっているとまずいなと思っています。

先ほど樋口さんがおっしゃっていましたが、ネットの情報や本を見たりするとそういう言葉が溢れていて、それは結果的に強い恐れや不安をもたらすし、悲嘆にくれるようになるわけですよね。それが苦しみを強めるのであれば、そういう言葉は見直していかないといけない。

オーストラリアの報告によると、研究者や認知症にまつわるいろいろなステークホルダー、政策担当者とかサービスプロバイダー、あるいは認知症のある人を助けるツールを作っている会社などの人たちは、ガイドラインがあるのにそれを守ろうとしないそうです。

なぜかと言えば、悲惨な表現をしたほうが、それを解決するツールを買いたくなるだろうし、研究者も、政治家も、悲惨な言葉で表現したほうが研究資金が集まりやすいといった問題がある。言葉の問題はガイドラインを作ればいいというわけではない。より速度感を上げて、人々がイメージしやすい印象の言葉に変えていくには、どうしたらいいのかなと日々考えています。

「紛争」の裏にある大切な思い

堀田 ぜひ石原さんに、今のお話に対してどんなことを考えられたかお聞きしたいです。

石原 結局、葛藤というものは、ものごとが変化しようとしている時に起こるものだと思うのです。例えば、脳の状態に変化が起きて今までと何かが変わった時に、自分の中に葛藤が生まれるし、人と人の間にも葛藤が生まれる。でもそれは変化にどう適応していくかという「慣れ」までの戦いというかプロセスだと思っています。

紛争解決は、別名「チェンジマネジメント(変化のマネジメント)」と呼ばれることもあり、変化をどう支援するかという学問ともいえます。変化に対して葛藤が生じるけれど、葛藤を経て新しい未来が生まれてくる。

「認知症は社会を変えるチャンスだ」と思ったことがあります。20世紀には私たちは、認知症や老いというものを、介護施設や精神病院などに閉じ込める努力をしてきました。そこでの扱いは一般に人権侵害というかひどいものでした。

でも社会でこれだけ認知症の人が増えると、認知症の人が社会で力を持ってくる。これは、精神科医療や福祉、介護の世界で当たり前とされていたひどいことが変わっていくチャンスと思いました。紛争解決の知見を活かして、この葛藤と向き合って変化を作っていければと思っています。

紛争解決学では「紛争を無くす」ことが目的でなく「紛争の裏にある大切な思いを聞き、それを生かす」ことが大切と言います。人間は自分にとって大事でないことには葛藤も紛争もせず、大切なことについて葛藤するのです。だから、認知症と名付けられた人と、認知症になった人を迎える側の社会や家族の両方の立場から、葛藤や紛争の裏にある大切な思いを聞いて、生かしていくことが本質と思います。

しかし認知症のような力関係が非対称な紛争の場合、抑圧された側(力の弱い側)は、自分の思いを伝えていいのだ、声を上げてもいいのだと思えない状態になっていることも多い。

そういう意味では樋口さんなどいろいろな当事者の方が「おかしいのではないか」と言い始めていることは、紛争解決のモデルとしてもチャンスなのです。声が上がってきて初めて、抑圧していた側、すなわち認知症でない人たちがそれに気づき、対話が始まる可能性が生まれます。

もう1つ、認知症という人類の葛藤と向き合って私たちはどこに行くのかなと考える時、子育てする中で思ったのが、赤ちゃんや小さな子どもの行動には、触ってはいけないものを触る、投げるとか、重度の認知症の方の「問題行動」と共通する行動も多いのに、なぜ生まれたばかりの存在がそれをする時には「かわいいね」と言い、認知症の人に対してはそれを問題にするのだろうかということでした。

私たちは子どもの時に自由な存在だったけれど、成長とともに社会の規範を身に付けていく。老いていくことや認知症で、再び規範から自由な存在になっていっているのかもしれないのに老いや認知症を「社会の規範を守れない大人」としか見ることができないのはもったいないと感じます。

老いへの変化を「祝福」と思えるようになったら、何か私たちの社会がもっと豊かになるのかな、生きて、老いて、亡くなっていくというプロセスが豊かになるのかなと思います。

声を上げ始めた「当事者」をめぐって

堀田 ここで樋口さんが最初にお話しくださった、「当事者」をめぐるモヤモヤに戻ってみたいと思います。

石原さんがおっしゃったように、抑圧された側の当事者も、自分の思いを伝えてくださるようになってきました。日本でも認知症当事者の方々が声を上げ始め、日本認知症本人ワーキンググループもできました。でもそういう中で、樋口さんは、さまざまな危うさを感じていらっしゃるということですね。

樋口 石原さんのお話は本当に感動的です。最近、『シンクロと自由』(村瀨孝生著)という素晴らしい本が出ました。そこでも認知症の良い面、自由とか豊かさを描いている。対応に困り果てても、どこかでその状況を面白がっているような、苦悩の中に豊かさを見つけていくというある種哲学的な本で、石原さんのお話にも通じているなと思いました。

当事者は丹野智文さんのご活躍などもあって声を上げやすくなりました。当事者が全国でどんどん声を上げ、また支援者も引っ張り出すようになった。でも、あまり説明もなく、とにかくいいことだから人前で話しましょうと引っ張り出されて話したら、近所の人から「認知症なの?」とコソコソ言われて傷ついたという話を聞きました。

また、ピアサポートに当事者が引っ張り出されても、専門知識があるわけでもなく、当事者ということだけでカウンセラーみたいなことを急にさせられても、なかなか上手くはいかない。当事者に光が当たることはいいのですが、より深く丁寧な対応が必要とされる時期にきたのかもしれません。

当事者が「講演料もないのか」と言ったとか、ネガティブな話が耳に入るようにもなりました。

石原 それはお金を払えと言っていいですよね。当然の権利です。

樋口 当事者はわがままだとかいう声をたまに聞くようになって、当事者の立つ位置とか、どうあればいいのかとか、考えます。

石原 経験専門家という言葉も最近できていますね。声を上げてくれる経験専門家としての当事者がまだ少ないわけですから、マーケットの論理からしてそのように講演をされる方はどんどんお金をもらっていいと思います。

私は普段水俣に住んで研究していますが、水俣病の語り部さんも、最初は無料で話をしていて「感動的な話を有り難うございました」で終わっていたけど、時間を使って自分の苦しい話をしてくれているのだから彼らにお金を払うべき、と今は変わりました。

堀田 一方で、認知症の「当事者」というのは何なんだろうという問いもあります。私たちの多くがいずれ認知症になっていきます。本人も、家族も支援者も、それぞれ広く認知症にまつわる当事者ということもできなくはない。

最近は、ローカルアクティビストの小松理虔さんが、「当事者」という言葉を使ってその困難を外側に出すほど「非当事者」を作り出してしまうジレンマから、新しい関わりしろ・・・・・として「共事者」という言葉も提起されています。石原さんは冒頭で「認知症を語る資格から遠い」と言われましたが。

石原 私が最初に「認知症を語るには遠い立場」と言ったことについては自分でもモヤモヤしています。自分は認知症というラベルを貼られた人という意味での当事者とか、介護職でもないから、今は社会の中で遠いという意味で言いました。でも、その一番遠い人が一緒に話すことはすごく大事かなと思っています。

でも実は自分が遠いともあまり思っていないのです。身近な人の精神科受療でその実態を見て傷ついた経験もありますし、何か私は認知症になるタイプだろうなと直感的に思っています。だから、自分の中の目標は自分が認知症というラベルを受ける時までに、認知症になってもハッピーに生きられる社会を作りたいなと真剣に思っています。

樋口さんやここにいらっしゃる方が頑張ってくださっているから少しずつ変化しているけれど、今のままの社会ではきついと思う。赤ちゃんが祝福されるのと同じように、老いることも祝福だと自分も周りも思える社会をどう作っていけるのか。その象徴となるのが認知症だと思っています。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事