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【特集:認知症と社会】
乗竹亮治:認知症共生社会を築くには──世界の潮流から考える

2022/11/07

  • 乗竹 亮治(のりたけ りょうじ)

    日本医療政策機構理事・事務局長/CEO・塾員

夜中にどうも寝つけずにふとテレビをつけてみると、何やらサプリメントのコマーシャルをやっている。とある成分が認知機能の向上にいいらしい。目を凝らしてみると、画面の隅には小さな※印と文言がチカチカと光っている。認知機能の向上の定義がなんたらかんたら、あくまで個人の感想です、と。認知症が予防できるとか、治るとか、そういうことでもないらしい。「あくまで個人の感想です」と効果を謳う商品が世の中にあふれ、人々がそこにお金を使うという消費の流れが、究極的にこの国を豊かにし、独立自尊に導くのだろうか。

もちろん、重度の認知症のひとを介護している家族の方などのご心労は計り知れないものがある。そのことは重々承知したうえで、それでもなお、認知症は恐ろしいもの、とにかく避けたいものとして、社会は不安に思うべきなのだろうか。

医療化・病院化する社会

1970年代に、思想家であり医療社会学者であったイヴァン・イリイチは、『Medical Nemesis: TheExpropriation of Health』(日本語訳タイトル:『脱病院化社会』)を書いた。ありていに言えば、彼は「医原病」という概念を提示し、現代において、疾患名がどんどん鋳造され、人間の暮らしぶりが医療化、病院化されていることに警鐘を鳴らした。

なるほど、振り返って思い出せば、少々落ち着きのない子は、昔であれば、教室のなかを走り回っていた。今では医療的介入の対象なのかもしれない。

かつての農村の風景のなか、老人がわけもなく歩き回っている。村人は言う。「あそこの家のじいさんは、ボケとるけん。暗くなる前に、あんた、手を引っ張ってあげて、あの家に連れて帰ってあげんさい」。今では、認知症の高齢者による「徘徊」と呼ばれ、役場の防災アナウンスが鳴り響く。「なにがしさんが、行方不明です」と。

昔はよくなかった

懐古主義に走り「昔はよかった」と言うつもりは全くない。子どものメンタルヘルス領域を含めて、医学的発見や治療法の開発によって、救われた命も、向上した当事者の生活の質もたくさんある。医学的知見が積み重なったからこそ、きめ細やかなケアが可能となったケースもあまたある。精神障害のあるひとを、「私宅監置」と呼ぶ自宅の小屋などに閉じ込めていたのも、負の歴史である。教室で走り回っていた子も、そうさせるのではなく他に方法はあったはずだ。昔は全然よくなかった。ボケや痴呆症という呼び方は改められ、2004年に認知症とされた。世の中は前進しているように思える。

しかしながら、症状や疾患の名前を変えたり、医療的介入手段が増えたりしただけで、「認知症になっても大丈夫」と思える社会が実現できたとは言い難い。生物医学的視点のみで、認知症はじめ超高齢社会の諸課題を解決しようとしても、そこには限界がある。生物医学的視点から問題がないからといって、そのひとや社会が幸せであるとは限らない。「認知症にならなければ大丈夫」だけではなくて、「認知症になっても大丈夫」な社会の構築、「認知症共生社会」の構築が求められているのではないだろうか。そして、その地平線を目指して世界も日本も動き始めている。

認知症フレンドリー・イニシアティブやデザイン

認知症共生社会を語るうえで、グローバルに提起されている概念のひとつは、「認知症フレンドリー・イニシアティブ」の構築である。「認知症にやさしい社会の構築」などとも呼称されている。認知症になっても大丈夫なように、社会のほうが変わっていこうというイニシアティブだ。

例えば、英国のプリマス市では、市バスが認知症フレンドリーな交通機関を目指している。認知症のひとが行き先を書いたカードを持ってバスに乗り、運転手に見せることで、もし仮に降りる場所で混乱した場合、運転手やまわりのひとがサポートできるようにしている。

台湾など幾つかの国や地域では、商店の店員が認知症の症状について研修を受けることで、認知症のひとが買い物をする際、サポートできる仕組みを実施している。このような好事例は、国際アルツハイマー病協会(ADI)や世界保健機関(WHO)などを通じて共有され、各国の自治体や民間団体が相互に参照することで、世界に広がっている。好事例には、日本発の取り組みも多くある。

筆者が所属する医療政策のシンクタンクである日本医療政策機構でも、2017年に『認知症の社会的処方箋』と題する白書を共著で出し、日本の好事例を国内外に発信した。処方箋という言葉は、薬を出す際に使われるが、社会的なアプローチが健康や生活の課題解決につながる場合も往々にしてある。共生社会の実現に向けて社会側が変容しつつあり、それを活かしていこうとする動きが広がっている。

認知症のひとにも使いやすいデザインを開発していこうという潮流もある。スコットランドのスターリング大学では、認知症のひとにも使いやすいデザインや建築を探求している。例えば、トイレの扉を、ほかの扉とは異なる明るい色にして、扉には単純化された便器のイラストを貼っておく。そのことで、どこがトイレなのかわかりやすくし、認知症のひとが暮らしの中で迷わないようにする。

「認知症のひとでもわかりやすい」という視点で、デザインや建築を再考してみると、改善できる点が浮かびあがってくる。スターリング大学では、トイレの扉から、水道の蛇口の形、ドアマットの色まで多様に検証し、ガイドラインを紡ぎだしている。

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