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【特集:認知症と社会】
木下衆:認知症の人の心はどこにあるのか──社会学の立場から

2022/11/07

  • 木下 衆(きのした しゅう)

    慶應義塾大学文学部助教

認知症の人の「心」という問題

私は社会学の立場から、認知症を、特に家族介護に注目して研究してきた。

社会学とはどういう学問か、いくつかの説明の仕方がある。私は、「この社会で何があるべき・・とされているか、その社会規範・・の変化を研究する学問です」と答えている。私たちの社会には、法律で決まっているわけではないのに、なぜか人びとが「こうあるべき」と考え、振る舞っている場面がたくさんある。

高齢者介護は、そうした「べき」論つまり規範に満ちた領域だ。例えば日本は、社会保障制度があっても、家族、特に女性がケアを担うべきという規範が強くある社会だと指摘される。福祉レジーム論で、「家族主義」に分類される社会だ(鎮目・近藤 2013)。だからこそ、2000年にスタートした介護保険制度は、「壮大な社会改革」とさえ評された。介護保険が、家族介護を「日本の美風」と捉える社会通念に対抗し、「介護の社会化」という別な理念を打ち立てるものと捉えられたからだ(大熊 2010)。

さらに高齢者介護の中でも認知症ケアは、あるべきとされる介護のあり方が、激変した領域だと言える。争点となったのは、認知症の人の「心」だ。例えば1970年代であれば、認知症の人は「人間ではなくなったような目で見られ」、身体拘束や過剰な投薬が「当たり前」となっていた(宮崎 2011)。その状況は特に80年代以降、徐々に変化していく。介護家族、先進的な医療・介護専門職が、「どれだけ症状が進行しても、認知症の人の心は生きている」ということを、発見していく。自分の置かれた状況を悲しんだり、喜んだりする心は、認知症の人の中で生きている。だから、認知症の人それぞれの「その人らしさ(personhood)」を活かした「はたらきかけ」を介護者がすれば、認知症の症状のあり方は大きく変化し、病があっても充実した暮らしができる。そうした「新しい認知症ケア」の考え方は、特に2000年代以降、日本に定着したとされる(井口 2008、木下 2019)。今や日常生活だけでなく、医療選択においても、認知症の人個人の意思は、何よりも尊重されるようになった。

しかし、ここで考えたいことがある。私たちは、認知症の人の心をどうやって・・・・・読み取っているのだろうか? この論文では、Mさんの事例を取り上げる。Mさんは、レビー小体型認知症と診断された夫を約7年間在宅で介護し、2016年に看取った。彼女の経験は、認知症の人の心のあり方を巡り、私たちに多くを教えてくれる。

「パパは優しいから見えたんだね」──症状から読み取られるもの

Mさんの夫に異変が見られるようになったのは、彼が63歳で退職してから10年ほどたったときだった。そこにないはずのものが見える幻視、物忘れ(記憶障害)やパーキンソン症状など。病院を受診した彼は、レビー小体型認知症と診断される。娘と息子はすでに独立しており、Mさんは夫と二人暮らしの自宅で、在宅介護を始めた。

その在宅介護を振り返り、Mさんが特に印象的に語るのが、夫の幻視だ。Mさんは家族会(介護家族の自助グループ)などを通じ、レビー小体型認知症について情報を集めていた。不気味な虫が見えたり、その幻視が襲いかかってきたりするケースもある。そんな幻視を追い払おうとして棒で突き、壁を穴だらけにした人もいる。Mさんはそんな話を聞いて、介護生活に備えていた。

ところが、夫の見る幻視は子どもや親子連れで、ただ彼を見守っているだけだった。そして夫も、彼らを見守って過ごしている。悪さもせずに見守っているなんて、まるで秋田の座敷わらしじゃないか(彼は時どき、その座敷わらしの「おしっこ」のお世話もしていたそうだ)。

なぜ、夫はこんな幻視を見るのか? Mさんは、「それはパパが優しいからだ」と解釈していた。だから、夫から「何か変だ」と不安を訴えられたときには、こんな風に答えたという。

〔パパがもし〕優しくない人で、あっち行けとか言ったら悪さしてくるけど、パパがそーっと見守っているから、悪さしないんだよ。〔その子が〕見える人もいるし見えない人もいる。パパは優しいから見えたんだね。(Interview 2019.8.16)

部屋の中に、いるはずのない子どもの姿が見える。それは、夫の認知症が段々と進行していることを示している。

しかしMさんにとって重要なのは、その症状の現れ方だった。彼女は、その特徴的な症状から、彼の優しさを読み取っていた。

「私のためと思って」──認知症の人の、新しい決断

そんな在宅介護も7年目を迎え、段々と困難が増してくる。夫の症状が進行していく一方で、介護者であるMさん自身の健康状態が悪化したからだ。Mさんには、手の震えや狭心症などがみられ、主治医からは入院する必要があると告げられた。

Mさん夫妻は、夫が認知症を発症する前、介護施設や病院には入らず、できるだけ在宅で生活をするという目標を立てていた。しかし、ここでMさんが入院することは、夫にとって施設生活のスタートを意味する。だから自分は「ひっくり返るまで」無理だとは言わず、介護を続ける。Mさんはそんな風に気負っていたという。

ところが夫はあっさりと、施設入所を受けいれた。それまでの希望を翻し、新たな決断を下したのだ。

Mさんはその理由を、こう考えている。

「私のため」と思って、我慢して入ったんだと思うよ。私を入院させるために。優しいから。〔施設が〕嫌でも。(Interview 2019.8.16)

認知症の人は症状が進行すれば、判断力を失うとみなされがちだ。

しかしMさんは、夫が、Mさん自身の性格と健康状態を考えて判断したのだと、振り返る。実際そうでなければ、Mさんは「ひっくり返るまで」介護を続けるつもりだった。そして、夫の下した新たな決断に、あらためて彼の優しさを読み取る。

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