【特集:公園から都市をみる】
座談会:公園がそこにあり続ける意味とは
2021/06/07
公園を考えるための3つのスケール
竹内 私は研究でも現場でも、公園・緑地を都市レベル、地区レベル、敷地レベルの3つのスケールに分けて考えてきました。
都市レベルでは、自然条件は様々なので公園の配置もそれに即したものである必要があります。現在の東京の公園の都市計画は約80年前の東京緑地計画が元になっており、中小河川沿いに緑地を確保するという方針が連綿と続いています。
その中で具体化されたものが井の頭公園や善福寺公園、武蔵野台地上の緑地帯などです。高井戸公園も玉川上水と神田川の間の緑地を、杉並区あたりの郊外エリアでベルト状に整備しようとした計画の一部です。
最近では、建物が立ってしまい整備困難という理由で都市計画公園区域が削除されるケースもありますが、建築物は5、60年で壊されます。ちょうど今は1964年の東京五輪や高度経済成長期にできたものが老朽化により解体・更新の時期を迎えています。河川として指定されていたところに首都高速がつくられていたのが改めて見直されたり、公園計画地の中に建てられたホテルの建て替えに合わせて一部を緑地として再整備する例もあります。このように公園や緑地を都市レベルで捉えると100年の計で確保していかなければならないところがあります。
一方、地区レベルでは再開発対象地域などの規模で考えていくことになり、敷地レベルでは提供公園のように、再開発などを機に建築物と自然と緑地の配置をどのように決めるのか、といった考え方が重要になります。
この3段階のスケールを社会的にコントロールするための制度も、今、次第にボトムアップ型に変わってきており、都市計画制度も区市などの基礎的自治体に決定権が移譲されています。これからはDXなどによって、市民の間での敷地レベルの動きが都市のレベルとどのようなつながりをもっているかが可視化され、自分も都市づくりに貢献していることがわかるようになっていくかもしれません。そうすることで自分ごととして取り組める制度や仕組みが少しずつ整っていけばと思います。
長田 空間スケールの切り替えの視点はまさに地理学の視点です。
深澤 場所に紐づいたSNS化を推進する立場からすると、私も公園のデザインの意図を市民に伝えられる機会を増やしていきたいと思います。整備計画の内容はホームページに載っていますという自治体の方もいますが、利用者はそこになかなかアクセスしませんし、利用者は公園の中に噴水がある理由を知らないことがほとんどです。
そもそもなぜそこに公園があるのかという情報はとても価値がありますし、長い目で見ていくための情報整理は必要になるだろうと感じています。
石川 これはほんの思いつきですが、自分がいる場所が簡単に地図上で閲覧できるようになった今、テクノロジーによって自分が都市計画100年の計にコミットできていることを実感できるデザインがあってもいいんじゃないかと思いました。
現場のレベルだとよくわからないのだけど、地図や歴史を見るとわかるように100年のスパンでは理にかなっていることが理解できるようにするんです。都市計画レベルでわかりやすくすると、公園内の噴水を邪魔に思う時があっても、自分が子どもの頃からあるモノだからそこにあり続けてもいいんだと、納得できるようになるかもしれません。
大事な余白の部分
石川 一方、現実空間ではもっとわけのわからない、解釈不能なことがいっぱいあってもいいという気もしています。
遊具のデザインも、必ずしも現代的なニーズにかなったものばかりではなくてもよいのでは? コトブキのカタログの最後の数ページに「その他」みたいなカテゴリをつくってみて、どの用途にも収まらない、座るものなのか遊ぶものなのかすらよくわからない、理解不能なファニチャーが並んでいるページがあっても面白いんじゃないかと(笑)。私だったらそういうものを選びたいですね。
深澤 それは大事な余白ですよね。例として六本木にある複合商業施設のサインがあります。その施設では広大な敷地にいろいろな場所や店舗が配置されているので、目的に合わせて移動を促すと、回遊性があまり機能しなくなってしまう。だから、意図的に歩いて回ってもらえるようなつくりになっています。
そういう議論を呼ぶ余地というか、利用者が個別に解釈して伝える余地も大事ですよね。例えば映画は監督が作品の意図をすべて説明してしまったら盛り上がらなくなってしまいますよね。やはり批評家が見て解釈するから映画という産業が盛り上がるのであって、公園もそういう視点で見てもらえればいいなと思うのです。
長田 コントロールされている部分もあれば、そうでもない部分もあり、それが思わぬ発展を見せたり、余白を見つけて新しい使われ方が起こったり、周りの人が深読みして世界をつくっていくということですね。
公園をデザインする人たちは、そこがいい場所になってほしいと願って設計するのだと思います。そうした「余白」はすぐに顕在化するものなのか、数十年経って思わぬかたちで見出されるのかはわかりませんが、意図を汲んできちっと固めている部分と、コントロールされないものの組み合わせにおもしろさがあるのかと思いました。
石川 制度として余白を設計するのは難しいですけど、重要なことだと思います。
長田 私たちが楽しいと感じるのはプログラムされすぎているよりも少しはみ出した、いい意味でのハプニングある場所なので、公園に限らず、今のお話はいろいろなところに派生しますね。
防災拠点としての公園
長田 都市のアンカーという言葉も登場しましたが、公園には災害時の防災拠点の役割もあります。とくに自然災害が多発する中でその重要性は高まっているように思いますが、竹内さんはどのようにお考えでしょうか。
竹内 東京都では、阪神・淡路大震災のころから防災公園としての役割を重視してきました。現在、環状7号線が防災用の緊急輸送路として想定されており、その外側のグリーンベルト状に確保してきた公園が防災拠点となっています。
東側が被災したら西側の公園から、西側が被災したら東側の公園から環七を使って物資を運ぶ仕組みです。それぞれの公園には「かまどベンチ」(災害時には竈になるベンチ)があり、災害用トイレが整備されているほか、自衛隊の基地としても利用できるよう計画されています。昔のグリーンベルト計画が今もこのように生かされていて、その意味でも長期的に計画された緑地の存在は本当に重要です。
東日本大震災後は防災に求められるものも変わってきており、発電設備を設けたりという施設のスペック面だけでなく、災害時の施設の利用方法や避難ルートに関する問い合わせも多く寄せられています。住民の防災意識が高まっているのも感じます。
石川 わが家の近所でよくバーベキューをするお宅があるのですが、東日本大震災で地域が停電した時にはとても心強い存在でした。日ごろから近隣で集まる機会があると非常時にも強い。防災拠点が用意されていたり避難訓練したりすることも大事ですが、年に一度でも公園をお祭りする場所にしておくことも地域の防災力を高めるのではないかと思いました。
深澤 5年ほど前、国連の防災世界会議のパネルディスカッションに参加した時、阪神・淡路大震災の現場で復旧対応にあたられていた方が同じようなことを話していました。いざという時に地域の人たちが何とかするための力は普段の付き合いの中から生まれるんだと。
やはり東日本大震災以降、非常時にとても不安視されるのは電力の確保です。先ほど発電用のプラントを公園に設置した例を挙げましたが、非常時でのスマホの充電というのは切実な問題です。生命に関わらないことは二の次と思われがちですが、デジタル機器を使えるかどうかは、現代人として人間らしさを保つ上で大きな比重を占めます。
この部分にアプローチすることにメーカーが果たすべき役割があるのではないかと思っています。
新しいコミュニティをつくるための公園
長田 最後に都市の中の公園のこれからについて、それぞれの関わり方の中から、一言ずついただければと思います。
石川 今日の話で実感したのは、普段公園に関わる中で見ている図面の縮尺がそれぞれ違うんだなということです。それでもなんとなく探り合いながら話が通じるところが面白い。公園というのは都市の中に様々なスケールで現れ、それぞれに異なる姿や意味をもっている。ここが公園の議論の面白いところだと思いました。
私はやはり公園はあくまで制度であって、これからも制度であり続けてほしいと思っています。そのように感じたのは、中野セントラルパークの再開発に関わった時でした。約1.5ヘクタールの広大な土地に、中央の公園を取り巻くように大学の校舎や商業施設が建ち、いろいろなショップやカフェが入る計画でした。
どうすれば賑わいのある場所になるかということを考えながら、スポーツ公園にしようとか、噴水広場をつくろうといろいろな案を描いていました。でも、公園というのは本来何もしなくていいんですよね。集客は商業施設がやってくれるわけです。公園はただ芝生であってくれればそれでいいんですよ。「何もしなくていい」というのは制度に守られている施設でしかありえないことだと思うのです。公園が短期的な価値や意味に対して揺るがないスタンスを都市の中でもち続けることが重要なのだと思います。
竹内 今、これからの公園と思った時に、東京市時代の公園行政を担った井下清さんのことが思い浮かびました。私が尊敬する大先輩ですが、「100年経ったら公園はなくなる」という文章を書いていて、その100年後というのが2028年なのです。
「なくなる」というのはどういうことかというと、普通に自然が保護されている中に人が住むようになるという意味なのですね。井下さんは児童遊園から霊園まで、まさに「揺り籠から墓場まで」つくった方ですが、公園というのは赤ちゃんからお年寄りまで、関わらない人はいないわけです。赤ちゃんの公園デビューから始まり、遊具で遊んで、青少年になったらスポーツをし、中高年はランニングして、最期は霊園で終わる。施設というより生活そのものを温かく包み込んでくれるようなものです。
そう思った時に何が大事かというと、やはりオープンスペースがずっとあり続けることで、いろいろな年代の人の幸せに資するところだと思うのです。建物が多少建ってもよいですが、建物は永続的なものではなく、あくまで人が緑の中で生活していくことを基本とするのが公園の役割なのではないかと思います。
石川 行政の経験が長い竹内さんが柔軟性を強調されて、民間出身の私が頑迷性を強調している構図が面白い(笑)。
深澤 この流れでいくと僕も頑迷性を強調しなければいけませんが、実際にそうだと思います。今は昔のように世間や土地に縛られていた時代に比べて、コミュニティを選択でき、その自由度がますます高まっています。その中で公園が果たす役割は何かと言えば、一定の柔軟性を保つ方向に舵を切りつつも、他の利用者を排除しないところから派生する、新しいタイプのコミュニティを創出する「生き物」だと思うのです。
そのときに僕がイメージするのは一般名詞としてのパークではなく、不定冠詞「a」がつく、「ア・パーク」、ある1つの公園です。パーク全体を考えると抽象度が高くなりすぎてしまいますが、あなたが所属し、良いコミュニティをつくるための場所としてイメージしてもらうことで、公園は役割を果たせるのではないかと思います。
昔は「コミュニティの創出」というと大きな話で、ある程度、画一的なイメージがありましたが、現在、コミュニティはどんどん多様化しています。「あなた」がコミュニティをいい感じにつくろうとした時に、その中心となるのが公園という場所なのではないかと思うのです。
そのあたりに頑迷性というか、ある種のアンカーとしての役割があり、他の利用者を否定できないところが自分の意図しない人たちとの関わりを生んでくれる気がします。
長田 今日は、公園について長期的なスパンでの変化の話や、大小様々なスケールの話、コミュニティや人とのつながりなど、いろいろなことを考えるきっかけをいただき、充実した内容になりました。
本日はお忙しい中、大変有り難うございました。
(2021年4月15日、オンラインにより収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2021年6月号
【特集:公園から都市をみる】
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