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【特集:公園から都市をみる】
座談会:公園がそこにあり続ける意味とは

2021/06/07

  • 竹内 智子(たけうち ともこ)

    千葉大学大学院園芸学研究院准教授

    塾員(2008政・メ博)。1994年東京大学大学院農学系研究科修士課程修了後、東京都庁に勤務。東部公園緑地事務所工事課長等を経て2020年より現職。博士(学術)。専門は都市緑地政策、公園の再生整備等。著書に『林苑計画書から読み解く 明治神宮一〇〇年の森』(共著)等。

  • 深澤 幸郎(ふかざわ こうろう)

    株式会社コトブキ代表取締役社長

    塾員(2006商)。2007年に公園遊具等の老舗製造業、株式会社コトブキ入社。ICTを活用した遊具点検システムの構築等に携わり、12年より現職。「パブリックスペースを賑やかにすることで人々を幸せにする」をスローガンに、ハード・ソフト・サービス三位一体で事業を率いる。

  • 石川 初(いしかわ はじめ)

    慶應義塾大学環境情報学部教授

    1987年東京農業大学農学部造園学科卒業。株式会社ランドスケープデザイン等を経て、2015年より現職。登録ランドスケープアーキテクト(RLA)、博士(学術)。専門は造園学。著書に『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』等。

  • 長田 進(司会)(おさだ すすむ)

    慶應義塾大学経済学部教授

    塾員(1991経)。2001年ロンドン大学大学院政治経済学院(LSE)地理環境学部博士課程修了(Ph.D)。京都大学経済研究所COE研究員等を経て2012年より現職。専門は都市地理学、都市経済学。著書に『ジオメディアの系譜』(共著)など。

「三種の神器」の移り変わり

長田 今日は「公園から都市をみる」をテーマにご専門の皆様からいろいろ教えていただきたいと思っています。公園は多くの人に利用されるもので、子どもの遊び場であったり、高齢者の集まる場所であったりします。最近では開園時にはあえてつくり込まず、地域のコミュニティのために整備の余地を残しておく例もあるようです。

まず最初の話題ですが、今、公園からブランコのような古典的な遊具がどんどんなくなって、より安全なものへと置き代わり、それにともない子どもの遊び方も変化しているように思います。株式会社コトブキ代表としてベンチや遊具をはじめ、公園の案内マップやサインなどの製造を手掛けている深澤さん、公園遊具の変化はどのように推移しているのでしょうか。

深澤 都市公園の歴史は明治政府の太政官布達までさかのぼりますが、公園遊具自体は1956年に制定された都市公園法の中で、児童公園への設置が義務づけられたブランコ、すべり台、砂場の「三種の神器」があります。このうち遊べる人数を限定しない多様性に優れる砂場は、依然として特別な存在のように思います。

一方で砂場の代わりに鉄棒を入れたものを「定番の三種類」とすると、これにイノベーションが起きたのは、今、公園によく置かれている複合遊具が登場した時だと思います。これらは最初に米国でつくられ始め、私たちもしばらく輸入していましたが、そのうち自社で製造し、進化させていきました。旧来の定番の三種の神器は1つあたりの使用人数が決まっていたのに対し、複合遊具は平方メートルあたりのキャパシティを指標に効率化を図れる点が特徴です。都市の人口が過密になり子どもが多かった時代は、遊具1台あたりの遊べる人数を増やすことが目指されていました。

今はどうかというと、健康遊具が登場し、さらに「インクルーシブ・プレイグラウンド」と呼ばれる新しい潮流も生まれています。東京都では「インクルーシブ」ではなく、「みんなが遊べる」という言い方をしますが、誰にとっても使用することができるように、遊具にも分断を解消するという意味を持たせる時代になっています。

例えばハンデキャップの有無、貧富の差などにかかわらず遊べるということです。このように現在の公園遊具は、キャパシティが増える時代から、いろいろな目的に対応できるようにセグメンテーションが進んでいる。1つ1つの公園が“エッジを立てようとする、つまり特色を出していく時代に入っていると僕は捉えています。

長田 うちの近所の児童公園でも遊具が入れ換えられ、自分が子どもの頃とは公園の姿もずいぶん変わりました。遊具1つとっても多くの変化が起こっているのですね。昨年まで東京都の造園の専門職として様々な公園に関わってこられた竹内さんはこの変化をどのように見られていますか。

竹内 都立公園でもこの数年、とても多くの遊具の改修を行いました。朝は高齢者が集まり、昼間は子どもが賑やかに遊びまわっていて、同じ空間でも時間によっていろいろな人が使えるのが公園の特徴です。

深澤さんの言うように、小さな公園では「ブランコ・すべり台・砂場」が三種の神器とされてきましたが、数年前に新聞で、新しい三種の神器は「カフェ・バーベキュー・コンビニ」だという記事が出ました。でも私は、現場のニーズを聞いていると、「洋式便所・四阿(あずまや)・健康遊具」かなと思います。これらは最近、特に高齢者からの要望が増えています。

洋式便所は、以前は公衆トイレの便座に座るのは汚くてイヤという声が多かったので、必ず1つは和式の個室を残していたのですが、和式を必要としない高齢者が増え、最近は全て洋式にして温かい便座にしてほしい、という声が聞かれるようになりました。

四阿も最近は夏が酷暑なので、陽射しが強い季節や豪雨に備える場所としてのニーズが根強く、高齢者だけでなく子ども連れの利用者からも、四阿を設置してほしいという要望があります。健康遊具は、私は最初、誰が使うのだろうと疑問に思っていたのですが、いざ置いてみると背伸ばしをしたり、ベンチプレスみたいなことをやったり、利用者がとても多い。日比谷公園でも背広姿の人が昼休みに鉄棒にぶら下がっていたり、とても人気があります。

長田 近所の公園を通りがかるといろいろな利用者を見かけますが、竹内さんの言うとおり、公園という場所はいろいろな世代に使われています。

石川さんはランドスケープデザインを手掛ける中で、どのような点に配慮して公園の設計に取り組んでこられたのでしょう。

石川 ゼネコンの設計部にいた時は都市公園を設計する機会はあまりなかったのですが、集合住宅や商業施設に付属する比較的小規模の提供公園(マンションなどに付属する一般利用可能な公園)をいくつもつくってきました。提供公園を設計する上で何が大事かというと、“公園のように見えること、つまりパッと見でいかに公園に見せるかということもデザインの課題でしたので、複合遊具の出現は歓迎でした。あれが1台あるだけで一目で公園に見えます。

当時はこうしたことが公園の意匠としては大事なのだと思っていましたが、自分に子どもができて気づいたことは、子どもは遊具ではないところでも遊び回るんだということです。遊具があることで安心するのは、実は親なんですよね。子どもにとって複合遊具と錆びた鉄棒との違いはあまりない。その後登場した健康遊具も、子どもがそれを占領して遊んでいるのを見ると本当に面白い。普通はそう使わないでしょうみたいな遊び方をしますから。

設計者にとっての課題は、公園に来てほしい人や利用者のためにどこまでデザインで表現しなければいけないかということがあります。例えば、最近話題のいわゆる排除型ベンチは、設置する側が使い方を決めている例ですよね。発注者が望む使い方と、使う人が使い方を選べる自由とに折り合いをつけて形にすることが設計の課題です。

都市と自然の中間領域を演出

石川 三種の神器に代わり、最近の公園における三大最終兵器は何かというと、私は「“スタバとデッキと芝生」ではないかと思うのです。

長田 それは、おいしいドリンクを持って芝生にゆったり寝転がったり、緑を見てリラックスしたりする空間というイメージでしょうか。

石川 ええ。学生と話していて気づいたのは、公園は海の家と構造が似ているということです。公園は都市の中でくつろげるように、スタバのような人工物との中間にデッキがあり、その向こうに自然がある、という形でデザインされています。海の家もそれに似て、都市部からやって来た人たちがそこで着替えて砂浜や海に触れ、また戻ってきて帰っていく。都市と自然を媒介しているんです。

長田 ある種、舞台を切り換える役割を果たしていると。

石川 そうです。デッキというのは芝生が象徴する自然と都市との中間にあるもので、手足を汚さずに自然に触れられる場所を仲介する存在です。そういう目で見ると、ベンチもまた小さいデッキ、あるいは縁側みたいなものとして、スタバと芝生を仲介する装置になっています。

長田 縁側に見立てるのは面白いですね。ベンチの面白さは休憩場所としてだけでなく、一度腰かけて会話を始めるとそこが別世界になり、見立て方によっていろいろなことが起こる場所でもあるところですね。

一口にベンチといっても、公園によってどこにどのように置くか、ということも場のデザインですよね。深澤さんはベンチの持つ役割をどのように考えていますか。

深澤 モノには人の行動を制限する部分がありますし、それは必要なことだと僕は思っています。公園のベンチの場合、背付きのものと背無しのもののどちらを置くかという議論がありますが、ゆったり座ってもらうことを考えれば背付きのほうがよい。でも部材が多いのでコストは上がりますし、座面の高さも背無しより1.5倍ほど高くつくられています。

それでも住宅に囲まれた公園などでは、隣の敷地に利用者の視線が向かないために背付きのベンチのほうがふさわしい。このように公園のデザインでは、景観のデザイン上、視線を遮ったり、誘導したり、使う人の行動をコントロールすることがあります。

僕はよく「ベンチはサインです」と言うのです。石川さんがデッキのことを自然と人工的な空間の間の中間領域とおっしゃいましたが、それに近い例で言うと、コトブキでは東日本大震災の時、仮設住宅団地に大量のベンチを寄贈しました。仮設住宅の中は私的な空間ですが、その外側は誰の空間でもない。そこで区切られてしまい、コミュニティが分断されてしまっていたのです。そういう場所が災害直後に多くの団地で生まれました。

そのような団地の中にベンチを置いたのです。それは、もちろん高齢の被災者に休憩してもらうという目的がありましたが、それとともに“ここはみんなの場所という目印をつくりたかったのです。

長田 ベンチが公共空間の中で「座る」という機能性と「座ってもよい、みんなの場所だから」という記号性の両方を担っているのは興味深いですね。

深澤 かつての定番の三種の神器の遊具より、今、ベンチのほうが記号性は高いのです。震災以降、コトブキでも公園の防災機能を高めることに力を入れており、先日は滋賀県で発電用のプラントを公園に設置しました。プラントといっても、大きめの屋根にソーラーパネルを付けた四阿の進化版といったものですが、そこでは充電も給電もでき、Wi-Fiも飛ばせて夏場はミストも出せるようにしました。

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