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【特集:福澤諭吉と統計学】
座談会:150年のスパンで「統計学」を見る

2020/06/05

『文明論之概略』に見られる統計的思考

馬場 福澤と統計とのかかわりをより詳しく見ていきたいと思います。『万国政表』では統計データを訳して出版したわけですが、統計的な考え方というものの有用性に、いち早く気付いた1人という面もあるのではないかと思うのです。

大久保 その通りだと思います。先に触れた幕末期の『万国政表』は、各国の国情をデータで示した統計表です。しかし福澤はそこからさらに思索を深め、「統計的な思考とは何か」という課題に踏み込んでいきます。

その1つの成果が、『文明論之概略』(1875[明治8]年)です。良く知られるように、同書で福澤はバックルの『英国文明史』に取り組んでいます。バックルがこの作品で文明史の方法論として導入しているのが、ケトレー統計学です。

バックルはケトレーの統計学により、歴史学の科学化が可能になったと指摘します。バックル『英国文明史』の主題は、膨大な資料を収集し、大量観察を通じて人間社会の精神現象のうちから一定の数量的規則性を導き出す統計学の手法を用いることで、科学的な文明史の叙述を試みることでした。

福澤は『文明論之概略』のなかで、この『英国文明史』を媒介に、犯罪率や死亡率をめぐるケトレー統計学の成果を紹介し、次のように指摘します。「スタチスチク」こそ、「天下衆人の精神発達」を観察・比較し「真の情実を明にする」、「文明を論じる学者」の方法論である、と。

このあたり、福澤はやはり思想家として非常に優れた嗅覚の持ち主であったと考えられます。

馬場 福澤はおそらく自然科学という分野は非常に法則的な世界であるけれど、自然科学だけではなく、社会科学においても、統計的なものの見方をすれば、同じように法則性を見つけられることに気付いたのでしょうね。

それで非常に興奮して、これを使えば社会的な問題も捉えられる、と思った。そこにいち早く気付いて著作の中で紹介したという点が、やはり福澤の先見性だったのではないかと思います。

大久保 興味深いことに、ケトレーはもともと天文学を研究し、そこから統計学に進みました。福澤が学問的基礎とした江戸時代の蘭学も、宇宙の法則をめぐる天文学の分厚い伝統と蓄積を有していました。

「天を測る」天文学から「人間社会を測る」統計学へ。福澤の統計学的営為は、近世蘭学の文化的鉱脈の延長線上に位置づけることも可能ではないかと考えます。

様々な統計学の側面を導入

馬場 福澤は同じ『文明論之概略』の中で、大数法則だけではなくて、婚姻の数が米相場の値で変わるのだという、因果を導くような点も統計学の1つの側面として話しています。また、『時事小言』(1881[明治14]年)の中では、議論としてはかなり粗いですが、士族をバックアップするという趣旨で、正規分布表なども導入して「天才の家系」を紹介しています。

ですから、大数法則だけではなく、いろいろな統計の考え方もかなり読み取って、それを著作の中に入れていたのではないかと思うのです。

椿 欧州における天才の家系の研究というのはダーウィンの従兄のフランシス・ゴルトンがやったんですね。『遺伝的天才』(Hereditary Genius、1869)という著作の中で初めて「スタティスカル・サイエンス」を作らなければいけないということで、相関概念とか分位点の概念を提案してくる。

この流れの中には、ゴルトンの強い影響を受けたカール・ピアソンの、「グラマー・オブ・サイエンス」(『科学の文法』、The Grammar of Science、1892)という概念があります。これは「自然科学のように対象が科学的であるから科学なのではなくて、プロセスが科学を科学とする。どんなものでも科学にできる」ということを前提にしている考えです。

しかし、今のお話を伺うと、福澤先生はケトレーから直結しているかもしれませんし、福澤先生のやっていらっしゃる時期のほうが早く感じられる部分もあります。

大久保 『時事小言』の「天賦の才能」と遺伝に関する正規分布は、福澤自身、実際にゴルトンを読んで紹介したものです。その議論を援用しながら、武士の家系の問題を考察しています。

椿 そうなんですね。

大久保 ここからは福澤が一貫して統計の問題に関心を持っていたことがうかがえます。

福澤は『文明論之概略』で、結婚を取り上げ、出雲大社の縁結びの神説など、縁談を運命のように考える人が多いが「スタチスチク」からみると、それは違う、その年の婚姻の多寡は「米相場」によって決まる、と喝破しています。福澤にとって統計学は、人々の間に流布する偏見や謬説をひっくり返す、最強の学問だったと思います。

それゆえに、ゴルトンを『時事小言』の中で紹介するときは、人間はみんな平等だというけれども、しかし実際には平等ではない、人間の才能は家系によって違いがある、と言うわけです。

ただし実はこれは、福澤の有名な『学問のすゝめ』(初編、1872年)の冒頭の一文、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と矛盾します。

一方で冷徹に一般的事実を解明する統計学を重んじ、他方で人間の平等性など倫理にかかわる規範的な政治哲学を講じる、そうした両義性こそ、福澤諭吉の面白さだと思います。

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