三田評論ONLINE

【特集:ポピュリズムをどう捉えるか】
座談会:デモクラシーの変容をポピュリズムから読み解く

2020/02/05

ポピュリズムのゆくえ

岡山 ポピュリズムをめぐる状況は、今後どうなりそうでしょうか。

水島 ヨーロッパで右派ポピュリストの伸びが、各国でやや落ち着いているのは事実ですが、既成政党がかつてのような地位を占めるのは、かなり厳しいのではないかと思います。2019年の欧州議会選挙でも、欧州人民党と欧州社会民主主義グループの二大勢力が、この40年で、初めて2つ合わせて過半数を割った。かつてはその二大勢力で全体の3分の2ぐらいを占めていたのに、です。

一方では、左派の動向で言えば「緑の党」系の、どちらかと言うと若い人に支持された新しい運動も伸びています。また、マクロン系の中道の自由主義のグループも伸びてきている。かつての二大勢力が政治空間の大部分を握っていた体制から、今は、中道右派、中道左派、真ん中の自由主義、左のほうに「緑」や左派ポピュリスト、右のほうに右派ポピュリスト、という五極体制になっている。その意味では多元化が進んできたとは言えるのではないかと思います。

稗田 「緑の党」の伸長は興味深い現象ですね。ヨーロッパの政党競争空間の主要対立軸が社会経済的な左右軸から、社会文化的な権威主義─リバタリアンの軸に完全に移る中で、イシューオーナーシップを持っているのが「緑」と右派ポピュリスト政党だということですよね。だから支持が集まる。

既存のキリスト教民主党と社会民主党というのは、経済的なところで中道で競ってきたので、今さら移民や環境のことを言っても信じてもらえないわけです。


吉田
 ピエール・マルタンというフランスの政治学者が、フランスを念頭に、今後、先進国の政党の議会勢力は3つに分けられていると指摘しています。1つは左の「緑の党」と社民のブロック、真ん中はグローバル主義と親EUのリベラル派、右にはナショナリズムと権威主義のブロックです。

これは、ロドリックの言ったトリレンマ(民主主義、グローバル化、国家主権)の内政化でもあります。問題は、いずれも安定多数は望めない。そうすると、おそらく安定的な政治は見込めないということになるでしょう。


岡山
 アメリカの話をすると、昔、サミュエル・ハンティントンが『アメリカの政治』という本の中で、アメリカには「アメリカ的な信条」があって、それは自由とか、平等とかいろいろなものですが、建国のときに植えつけられた信条から現状があまりにも離れてしまったと認識されると、抵抗の動きが出てくると言っています。それはいろいろな形を取り得て、学園紛争かもしれないし、ポピュリズムかもしれない。

今のアメリカファーストというのは、グローバル化の波にさらされ、大量に移民が入ってくるような恐れから、アメリカの古き良き小市民的な暮らしみたいなものを取り戻さなければいけないんだ、という情念に突き動かされて動いている人たちがいて、たまたま今、それがトランプさんに代表される形で出てきているのでしょう。

デモクラシーの抱える問題として

吉田 代議制民主主義である限りポピュリズムが政治から完全になくなることはないでしょう。代表する者と代表される者の間のズレは必然的に生まれる。そのズレが伸び縮みする中で、ある臨界点を超えると、ポピュリズムは必ず呼び込まれることになるからです。

もう1つ、中間層が目減りをし、将来展望が見えない状況がこれからも続くことです。アメリカの大統領選、フランスの大統領選で、有権者間で一番コントラストが出たのが将来展望です。

例えばクリントンに投票した8割の人たちは、自分の子供の世代は自分よりよくなると考えていて、トランプに投票した人はその真逆でした。マクロンとルペンが戦ったフランスでも同じ傾向が認められました。その意味では1つの国民国家内で真逆の将来を描いている人たちが併存している状況になっている。それは、戦後の豊かで、安定した同質的な社会構造が壊れていっていることの証左でしょう。

そうした状況にある限り、ポピュリズム政治というのは、具体的な勢力として政治空間の余地はこれからも拡大こそすれ、なくなることはないだろうと思います。

岡山 中間層の目減りは日本でもみられる現象ですね。

吉田 今のグローバル化の中で中間層の社会的な流動性がなくなってしまっています。あるとしたらダウンワード、つまり下降のモビリティしかなくなってしまっている。

社会のハイエンドには金融・IT業界を中心に高学歴の人たちがいて、ローエンドは移民に低賃金・対人サービスのところを奪われ、戦後初めて生まれた過半数の中間層が空中分解の憂き目にあっています。彼らが既成の保革政党の中での政治を担保していたのだとすれば、その余地がどんどん目減りしていっていると言ってもいいでしょう。その深刻さはデモクラシーの問題として考えなければいけないと思います。

岡山 再分配の話でも、実際にどういう形で表に出てくるかというと、宮本太郎さんが「引き下げデモクラシー」という秀逸な表現を使っていらっしゃいましたが、自分にもっとよこせというよりは、ほかの連中が得をするのが許せない、というメンタリティで動いているところがとても多い。

稗田 三大都市圏のポピュリズムの話で言えば、ポピュリストリーダーは改革することによって支出が節約できると言うわけです。

実際、大阪維新の会の場合、豊かな地域、北摂、つまり淀川の北のほうで支持が強かったりする。だから、生活に困っている人がそういった改革政党に動員されるのでなく、逆です。公的な支出に頼る人を、われわれには支える余裕はないので、改革する人たちに委ねたいということなのです。

岡山 「応分の負担」ですね。


吉田
 N国党も反増税運動だと思えば分かりやすいでしょう。突き詰めればもはや負担をしたくないという意識が根底にあるわけで、全く同じ論点だと思います。


水島
 そうやって中間層が弱体化して、中核部分がすり減ってくると、実はそこで頼られるのは「非民主的な正統性を持った存在」ではないかと思うのです。この間の新天皇に対する若者を含めた妙な支持の盛り上がりであるとか、ローマ教皇来日のときも、なぜか信者以外の人まで盛り上がっている。

天皇と教皇は、いずれも民主主義と異なるところに正統性を持つ存在です。およそデモクラシーとはかけ離れた存在が、デモクラシーの国の中で喝采を浴びるというところに、現代のデモクラシーの直面する矛盾が端的に示されている、と言えないでしょうか。


吉田
 実際、イタリアのコンテ政権の混迷の時も、今のベルギーもそうですが、議会が機能不全に陥って、多数派形成できない時に、議会政治の外部にあるアクターが重要な安定装置になる。そうやってデモクラシーが外部から支えられる局面は、おっしゃったように、象徴ではなく機能としても見られるようになりました。そういう時代なのかもしれませんね。


岡山
 お話しを伺ってくると、それぞれのケースで、ポピュリズムの定義の当てはまり方も少しずつ違うという話もあったわけですが、他方で、移民にしても格差にしてもポピュリズムが力を得る理由には、共通の構造があるということが分かりました。

今日は有り難うございました。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事