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【特集:ポピュリズムをどう捉えるか】
メディア政治とポピュリズム ──テクノロジーの変化が支えるイメージ政治とその構造

2020/02/05

  • 西田 亮介(にしだ りょうすけ)

    東京工業大学リベラルアーツ教育院准教授・塾員

近年、ポピュリズムに関連して、政治疎外や政治不信、またイデオロギーによる「左右」の対立に対して、経済格差に基づく「上下」の対立を強調するなど多様な議論が展開されている(谷口・水島編 2018、水島2016)。16年の米大統領選やBrexit を始め世界中で分断と対立を巡る問題が表面化したこともあり、ポピュリズムに対する関心が再燃している。それらの解決や既存の統治形態を再度機能させるために、この間に喪失された政治的規範を復権させるべきといった思想的、実践的提案もいくつかなされてはいるものの、通説といえるほどのものは未だ見当たらない(Levitsky and Ziblatt 2018= 2018)。ポピュリズム自体の定義も多様であることや、積極的にポピュリズムの肯定的側面を強調する議論も見られるように、評価も幅広いがゆえに厳密な議論を展開するには紙幅がいささか心許ないものがある。

しかし少なくとも、自由民主主義が抱える「自由主義と民主主義の対立」という本質的矛盾が未だ歴然と存在するなかで、様々な対立軸の半強制的な/半自発的な引き直しが近年のポピュリズムとポピュリズムへの高い関心に関係しているということはいえそうである。本稿ではそのような背景をもとにして、メディアと政治の関係に注目する。それではメディアと政治における対立軸の引き直しとはどのようなものになるのだろうか。

本稿で以下において簡潔に述べるのは、新(ネット)メディア/旧(ネット)メディアの技術と影響力の変化が、他の変化とも連関しながら、政治における事実/イメージの力学に変化を及ぼし、半ば否応なしに政治において(も)イメージとそのあり方が重要視される状況を生み出しているのではないかという見立てである。

インターネットコミュニケーションの変化

さしあたり技術動向とメディアの影響力に目を向け、技術の変化としてインターネットコミュニケーションにおける非テキスト化を、影響力の変化として受け手の減少と信頼の低下を取り上げる。これらの変化は社会の共通基盤ともいえる政治や公共性に関連して、「説得の契機」と「共通の情報源」という2つの古典的かつ重要な手がかりの喪失を意味している。

長期間にわたって、インターネットのコミュニケーション手段の中心はテキストにあった。前身のパソコン通信のみならずポケットベルや携帯電話の文字通信においても同様でテキストを用いたコミュニケーションが主流だった。これは回線速度や容量、処理能力、優れたデジタル化と圧縮の手法といった技術的制約に起因していたと考えることができる。結果的にインターネットにおけるコミュニケーションの中心は長くテキストでありつづけてきた。静止画や動画、音楽や音声、位置情報、ゲームといった「リッチコンテンツ」、つまり非テキスト・コンテンツはあくまで従属的な存在であった。

しかし回線速度、容量、処理能力の劇的な向上によって、周知の通り近年状況は大きく変化している。インスタグラムやティックトック、音声入力の普及などを想起してほしい。そこで生じているのはいわば逆転現象である。非テキストのコンテンツこそがコミュニケーションの中心となった。テキストはというとハッシュタグのような形で活用され、入力に手間がかかることもあってか従属的な地位に向かいつつある。

呼応するかのように、ツイッターやフェイスブックのような伝統的インターネットの延長線上にあったSNSでも非テキスト・コンテンツの存在感は大きくなっている。SNSにおけるエンゲージメントやインプレッション獲得においても同様だ。インターネット・アクセスの中心もPCからモバイルへと移行した。モバイルと回線の性能向上によって、そこでも非テキスト・コンテンツが快適に扱えるようになった。

非テキスト・コンテンツは動的かつ直感的だが、その性質上、説得に向いておらず、どちらかといえば脊髄反射的反応を誘発しがちである。さらにフィルタや編集を通じてコンテンツの編集が盛んに行われている。生の情報ではなく、編集された情報がコミュニケーションの主流になることで、ますますインターネットはテキストを用いた議論の空間から、非テキスト・コンテンツに覆われたイメージの空間になろうとしている。

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