三田評論ONLINE

【特集:ポピュリズムをどう捉えるか】
座談会:デモクラシーの変容をポピュリズムから読み解く

2020/02/05

ヨーロッパと南北アメリカの違い

岡山 地域によるポピュリズムの違いというところに話題を移していきたいと思いますがいかがでしょうか。


水島
 先ほど触れたように、アメリカや中南米では、ポピュリズムというのは、ネガティブな面があるにしても、基本的に「正しい」ことだという概念があるように思うのです。一方、ヨーロッパでは、近年のポピュリズムには、左派も出てきていますが、そこにはどうしても排外主義的で、ナショナリスティックな部分が付きまとうわけです。

この違いは、吉田さんがおっしゃったように、ファシズムの経験などもあるかもしれませんが、これは私の考えですが、ヨーロッパのポピュリズムとエリート批判というのは、かなり初期から出ていて、少なくとも80年代以降は反移民・反外国人とつながってきたわけです。

それはなぜかと言うと、基本的にヨーロッパ各国の指導層は、80年代以降、EU結成の動きともつながり、各国で左右を問わず政権を握り、かつ政治的にはリベラルで、移民や外国人に対して許容的だった。知識人、大学、そしてメディアによってリベラルエリートは支持を得て、再配分によって外国人や移民に対して一定の手当てをしているように見える福祉国家体制が出来上がっていったわけです。

それに対して南北アメリカは、ジニ係数を見れば明らかなように、ヨーロッパに比べると、再配分が進んでいない地域なのです。現実的に社会経済的な不平等がある場合、反リベラルエリートというよりは、政治権力を握り、経済的にも地主や鉱山主のような、まさに富を兼ね備えたエリートがいて、それに対抗するという面を持つので、ポピュリズムというのは一種の進歩的な傾向を持つとも言えると思います。

ヨーロッパの場合、福祉国家体制の下で配分を行う主体が政治経済エリートと一体化してしまうと、例えば福祉特権のように、「移民は職がなくても福祉のおこぼれにあずかってのうのうと暮らしている」というイメージと、それを許容するリベラルエリートを一体として批判するポピュリズムが90年代にはかなり強くなってきた。これはいわゆる福祉排外主義と呼ばれるものになっています。

南北アメリカのように、社会経済的不平等が明らかにある中での政治経済エリート批判と、一定程度、福祉国家体制の下で所得の平準化がなされた国におけるエリート批判は、出方として、結果的には右か左かに分かれてしまう面があると思います。

岡山 アメリカで二大政党が分極化していくのが1970年代ぐらいからなのですが、同じ頃ヨーロッパでは、官僚による政策決定やある程度の所得再配分が必要だとか、差別はいけないとか、いろいろな争点について落としどころが決まっていった。

この正反対の政治的展開はどこからきているのかと思うのですが、今のお話ですと、ヨーロッパでもいったん落としどころが定まったように見えた後、新たな挑戦がされてきた、ということですね。これは反移民・反外国人というのが一つの転機になったということでしょうか。皮肉なことに、今のアメリカのトランプのポピュリズムで言えば、それこそ反移民・反外国人が要素としてあるので、途中経過は違うけれども、そこは共通項としてあるとも言える。

ポピュリズムが生まれる背景

吉田 ポピュリストが掲げる争点としては移民問題、転じてイスラムが文明の敵という言説もあるし、反EUもある。ただ、いずれにしてもスケープゴートにする存在が必要なわけですよね。確かに移民の数は増えていますが、それが争点となる理由がある。その動態を踏まえない限り、ポピュリズムは理解できないでしょう。

仮説を交えて申し上げるのですが、歴史的にみてポピュリズムは、経済産業構造が大きく変わり、その下での利益媒介構造のあり方が揺らぐ時に起きる傾向があります。

例えば、アメリカでピープルズパーティ(人民党)が台頭した19世紀末は農業が機械化され、さらに工業経済へと本格的に離陸する時です。その少し前にはナロードニキ運動がありますが、ともに農民が主体になっています。ポピュリズムの次の波は戦後のマッカシズムやフランスのプジャーディズムですが、これは都市化と大量消費社会という新しい社会が出来上がり、高学歴化が進み、高等教育に進む人たちが増えていく時期に当たります。

現在の第3の波は、20世紀終わりから、ポスト工業社会が本格的に始動したことと無関係ではありません。金融資本とデジタル経済が成長をけん引する中で、旧来の鉄鋼・炭鉱、製造業に留まる旧中間層・労働者層がポピュリズム支持者となっている。分かりやすく言うと「ラストベルトの労働者」ということになりますが、似た構図はイギリスでもフランスにもあります。そういう人たちがポピュリズム政治の源泉となり、伸びしろをつくっているのだと思います。

では、なぜそういう人たちが生まれてしまったのか。現代のポピュリズムは、トランプ型にせよ、ルペン型にせよ、経済的次元では保護主義的、文化社会的次元では権威主義的の組み合わせです。そこにニッチ市場があるからです。これも仮説を交えて言うと、アメリカ民主党も、フランス社会党も、あるいはイギリスの労働党も、ドイツのSPD(社会民主党)も、90年代に経済政策においてはリベラル化していきます。

クリントン民主党がNAFTA(北米自由貿易協定)を調印したのが93年、イギリスではニューレーバーが97年、ドイツではNeue Mitte(新中道)を謳ったシュレーダー政権が98年に誕生しますが、いずれもかつての社会民主党と異なって市場経済の原則を認めることになりました。フランスも、ジョスパン政権が大々的な、かつての保守政権以上の民営化をやるわけです。

こうして社民政党が、経済政策でリベラル化しますが、対する保守政党の側も、メルケル政権やキャメロン政権にみられたように、相対的に社会文化的次元でリベラル化していきます。

そうすると、ニッチ市場として生まれたのが、かつての社民党が占めていた経済軸での保護主義、もう1つはかつての保守政党が占めていた社会文化軸での権威主義ということになります。その空白を埋めるものとして出てきたのが今のポピュリズムではないかと理解しています。

岡山 アメリカでは、19世紀末のポピュリズムと今日の状況は、格差の大きさとか、いろいろな点でよく似ていると言われています。敵がGAFAに変わったみたいな点で、今の吉田仮説は納得のいくところがあります。

「剥奪感」を感じる人々

稗田 キッチェルトが1995年に出した本では、社会経済的な次元では新自由主義右派、社会文化的な次元では権威主義、これを組み合わせるのが急進右翼政党の「勝利の方程式」と言っていました。ところが、ちょうど本が出た頃から状況が変わって、おっしゃったように、ニッチなところは社会経済軸上は左派で、社会文化軸上は権威主義がブルーオーシャンになった。

私は過去5回分ほどの、ヨーロピアン・ソーシャル・サーベイ(欧州社会調査)の14カ国のデータを分析したのですが、8種類の職業階層に分けて、それぞれの社会経済軸上と社会文化軸上の立ち位置を見ると、例えばブルーカラー労働者はやや社会経済軸上の再分配を求める左派で、かつ権威主義である。この人たちのかなりの部分が右派ポピュリスト政党の支持層にはなっているわけです。実際、職業階層で見ると、下のほうの人たちが権威主義的かつ社会経済軸上は若干左派的な位置に立っている。

ただし分析してみると、そういった社会経済軸上のその人の立ち位置が、右派ポピュリスト政党の支持に影響しているかというとそうではない。影響しているのは社会文化軸、特に移民に対する態度です。

ただ、そうしたイデオロギー的な位置づけを除いて、所得階層で見てみると、もちろん上30%はポピュリスト政党を支持しませんが、下30%も支持しないのです。真ん中が支持する。とりわけ、主観的な経済状況が悪いと思っている人ほど右派ポピュリスト政党を支持している。

だから、ポピュリスト政党を支持する理由は、必ずしも移民が実際に経済的に労働市場で競争相手としてこうした層に被害を与えている、といった理由ではおそらくないのです。実際に競合するのは所得階層で言うと、下30%ですから。

つまり、実際に競合してはいないけれど、何か既存の生産構造、利益媒介構造が変化して取り残されるのではないか、これ以上自分の子供の暮らしはよくならないかもしれないという主観的な将来に対する経済的な不安が、反移民のようなイデオロギーに変換され、それがポピュリスト政党の支持につながっていくのではないか。

吉田 ヤン・アルガンという厚生経済学者が面白い有権者分析をしています。1つの軸は、他者を信頼しているかどうか。もう1つの軸は、自分の人生に満足しているかどうかを主観的に尋ねたものです。そうすると、「他人を信頼せず、かつ自分の人生に満足もしていない人たち」が右派ポピュリスト政党を支持している。逆に、「自分の人生には満足していないが他人を信頼している」という人たちが左派ポピュリスト政党を支持している。これはイギリス、アメリカ、フランスの有権者市場の特徴になっているとしています。

私が共訳した『新たなマイノリティの誕生』(ジャスティン・ゲスト著)でも強調されていますが、これは絶対的な所得の問題ではなく、「剥奪感」の多寡で説明できます。剥奪感は相対的なもの、つまり他者との比較から感じられるものです。地域や家庭といった社会資本を喪失した勤労者がリベラルエリートに対して敵意を抱いたことがポピュリズム生成につながっています。従って「エリートがどう行動したか」を見ない限り、ポピュリズムは理解できないというのが僕の意見です。

岡山 トランプの重要な支持層に、中西部等のラストベルトの人たちがいます。いわゆる見捨てられた人たちなのですが、最下層ではないというところが注目されました。ミドルクラスではあるけれど、いつレイオフされるか分からないという人たちです。

ただ、彼ら、中産階級の白人男性が経済的なことだけでトランプを支持したかというと、それだけではない。レイシズムや排外主義と合わさることがトランプ支持の引き金になった。これは、先ほどの稗田さんのお話とほぼ重なる感じがします。

ヨーロッパとアメリカは違うと言いながら、共通の根っこがいろいろ出てくるのが面白いですね。

ポピュリズムと選挙制度

岡山 リーダーも見ないと分からないということですと、どういう形で権力を握るか、あるいは、どういう政治的手段で影響力を及ぼそうとするかという点では、選挙制度のあり方とか政党のつくられ方、あと国民投票のような制度も関係してきますね。

水島 今おっしゃったことは非常に重要で、ヨーロッパで、特に小国からポピュリストの動きが始まって、それが後に大国に波及していったという大まかな流れがあるのは、小国は比例代表制度を導入していることがかなり大きい。

オランダでは、最初は数パーセントの得票率でも議会で会派を作ることができる。そこで、例えばイスラムについて「ブルカを禁止せよ」とか、センセーショナルなイシューを出すことで、一気に支持が広がっていくということがあります。もともとヨーロッパの小国は、少数派保護という意味もあって比例代表制をとっているところが多いわけですが、その比例代表がポピュリストにとっては重要な足掛かりになってきたということがあったと思います。

イギリスは小選挙区制ですが、イギリス独立党(UKIP)が一定の力を持ち得たのは、ヨーロッパ議会選挙という比例代表のシステムがあって、そこで3割取ってしまうと注目度がぐっと上がるわけです。そのような各国の制度を実際に見ていくことは重要だと思います。

吉田 選挙制度の話で言うと、多数派型をとっているイギリスとアメリカとフランスのうち、イギリスとアメリカはポピュリストが実際に政権を取ってしまったわけですね。

アメリカとイギリスでは共通項があります。右の右がいて、そこに対してポピュリスト政党にどう対峙するかという、cordon sanitaire(防疫線)が封じ込めには必要です。ただ、それが可能にならないときにポピュリズムが保守政党の内側に入ってきて乗っ取られるという現象です。

トランプが共和党の予備選(プライマリー)に参加できなかったら90年代の「第三の男」だったロス・ペローのように「変なおっちゃん」で終わっていたでしょう。イギリスの場合は、UKIP党(現ブレグジット党)のプレゼンスがどんどん大きくなっていったところに、日和ったキャメロンが国民投票に打って出た結果、賭けに負けてしまった。

先ほどの「エリートを見ないとポピュリズムは分からない」ということとも関連しますが、とりわけ右派ポピュリズムの場合は、既成の保守政党がどう行動するかが大きい。ヒトラーを生んだワイマール議会の保守政党もそうだったわけですが、既成の政治家の側がポピュリズムを招き入れたという側面があります。

保守政党の側がポピュリスト政治家を懐柔しようとして防疫線を解除してしまうと、危ない状況になる。ブレグジットの場合もそうですが、既成政党の対立軸に馴染まないものを争点化すると、それが政党そのものを分断してしまう。そうなるとポピュリスト政治はもはや留まることがありません。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事