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【特集:ポピュリズムをどう捉えるか】
座談会:デモクラシーの変容をポピュリズムから読み解く

2020/02/05

日本の動向

岡山 少しずつ、日本の状況にも触れていきたいと思います。稗田さんがこの前出された2017年の都議会選挙についての論文の特徴は、従来、主にヨーロッパの比例代表中心の地域が、特にポピュリストの受容側について研究されてきたのに対して、より多数決主義的な日本の地方選挙に着目したらどうなるかということですね。

稗田 結局、定義の違いに戻るんですね。例えば橋下徹に率いられた大阪維新の会、小池百合子に率いられた都民ファーストの会について、政治戦略的な定義で言うと、明らかにポピュリスト的な動員の仕方です。直接無媒介のつながりを有権者との間でつくって動員するわけですから。

果たしてそういった政治戦略的定義でいうポピュリストたちによって動員される有権者は、ヨーロッパでポピュリストと呼ばれる政党の支持層と同じなのか。政治戦略的アプローチは、カリスマ的なリーダーが現れたら、なぜか無条件に有権者は動員されるという暗黙の前提があるわけです。しかし、なぜ動員されるのかというのは全くのブラックボックスです。

そこで分析してみたのですが、結果としては、政治戦略的な定義ではポピュリストに当たる都民ファーストの会を支持する人たちは、全く平均的な有権者でした。若干、反エリート主義の傾向があるけれども有意ではない。人民主権論的ではないし、「人民の同質性」を信じてなどいない。

むしろカス・ミュデ的な理念的定義で言うと、反エリート主義だったり、人民主権論の傾向を持っている有権者は、この選挙の場合は共産党を支持していました。

つまり、政治戦略的なポピュリズムとイデオロギー的アプローチの定義上のポピュリズムはかなり違うものかもしれないという結果が出たのです。では、なぜ政治戦略的な定義上のポピュリストが大衆を動員し、支持を集めることができたのかということについては答えは出ていないという感じです。

岡山 そこはアメリカのことをやっていると、まあそうだろうな、という気がします。アメリカの2016年の大統領選挙で、共和党支持者は出口調査で見ると9割ぐらいはトランプに入れていますが、みんなが理念的なポピュリズムに感化されたかというと、全くそんなことはないわけですから。

稗田 アメリカの場合は、政党帰属意識がほとんどで、共和党支持者の9割は、誰であろうと共和党候補者に投票するわけです。その前の予備選挙の段階では、オリバーとラーンの研究にありますが、ポピュリスト的態度を持っている有権者は数ある候補者の中から明らかにトランプを支持していました。

吉田 日本では、ポピュリストと呼ばれるのは、小泉純一郎を除いて圧倒的に首長に多いという特徴があります。

実質的に比例代表的な日本の地方議会にはいろいろな既得権益の代表や職能団体の代表がいる。首長は反対に小選挙区ベースで、個別利益を攻撃するという動員戦略が合理的なやり方になります。そうして、都市部に多い無党派層やホワイトカラー層に狙いを定めて政策やメッセージを打っていく。そうすると改革志向型、ネオリベ志向型のポピュリストの首長が生まれるという構図なのではないかと思います。

Ideational(理念的)にポピュリズムと言ったとき、そのideaは時代によって変わります。「反エリート」というところだけにポピュリズムの本質があって、そこにカリスマ的なリーダーがくっつくという、その2つをセットにすればポピュリズムの定義としては事足りるのではないかと思います。ポピュリズムがどう表れるか、そこにどういうideaが内包されているのかは時代と文脈によって大きく変わるのだろうと思います。

三大都市圏でのポピュリズム的傾向

水島 東京都・名古屋市・大阪市という三大都市圏においては、首長も地方議会の最大勢力もいずれもポピュリスト的な勢力が握っていますが、それ以外の地域ではほとんど浸透がない。これは非常に面白い現象だと思います。

そもそも日本におけるポピュリズム的な動きが、ヨーロッパにおける強烈な反移民であるとか、あるいは左派ポピュリズムのように強烈な再分配に対する主張を持たないのはなぜかと考えてみると、日本は相対的にグローバリゼーションにさらされていない、まだガラパゴス的な国であるということが大きいと思います。

日本においては、財政にしても金融にしても国際的な制約が事実上無きに等しい。ヨーロッパであれば、社会保障支出を増やそうと思ったら、一瞬にしてEU・ユーロの課している枠にがっちりはめられて、全然増やせない。結局、そこから反緊縮運動、スペインのポデモスとか、ギリシャのSYRIZAのようなものも起こる。

日本の場合は、特に戦後、自民党政権が「国土の均衡ある発展」という方針のもと、地方への配分はそこそこ行われてきた。そのシステムは今に至るまで、「地方創生」とか、看板を掛け替えながら続いています。

アメリカにおけるラストベルトとか、フランスの北東部のエナンボモンとか、イギリスのイングランド北東部あたりの旧炭鉱地帯のような、いわば見捨てられた地域は、日本で大規模に見出すことはできません。その背景にあるのは、戦後日本における地方への配分システムです。特に地方交付税は非常に強力な平準化システムです。となると、日本においては、地方の側で反既得権益的な、ラストベルト的な運動を起こすモチベーションはない。

他方、この地方への利益配分構造にあずからなかったのが、まさに三大都市圏です。大都市圏では、戦後の自民党政権の下で積極的に利益を得たと考えない有権者は多い。むしろ利益誘導、汚職やクライエンテリズムに結びつく自民党政治と距離を置き、既得権益批判を叫ぶ橋下徹とか、小池百合子のしがらみのない政治といったところに、自民党と比べて相対的に魅力を感じるのでしょう。

以上が日本におけるポピュリズム的な動きの特徴で、地方でポピュリスト的なものが出てこない歴史的背景ではないかと思います。

稗田 反エリートとか、反既得権益というのは出てくると思うのですが、「人民の意思こそが反映されるべきだ」とか、「人民は同質である」という要素が出てくるには強力な敵が必要ですよね。

ポピュリズムというのは、ラズウェル流に言うと、「人民が望むものを、人民が望むときに、人民が望むように得るべきだ」としか言っていない。そうすると、では誰が人民なのか。

そのときに、実際に見える形で移民などがいれば、「移民はわれわれではない」という形で「われわれ」が形づけられる。あるいは経済的に困窮したスペインのような状況にあれば、搾取する金融資本や、緊縮を押しつけてくるEUに対抗するものとして「われわれ」が定義されます。

ただ、都議会自民党ぐらいでは、都民ファーストと言っても、都民の一体感みたいなものはなかなか出にくいですし、大阪の場合も、「大阪人民は」みたいに思っている人は少ない。

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