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【特集:「在宅ケア」を考える】
座談会: 高齢社会を支える「在宅ケア」の時代

2019/12/05

人的資源を上手く活用するには

 写真を送って、コメントをもらうだけでも、いい関係だと思います。専門職の人はまだ病院にいらっしゃるし、在宅にすぐ出てこられない。医者もそうです。最低限度の研修をしていれば、ネットワークさえあればやっていける。今はICTが発達にしているわけですから、地方の不便なところでも東京に相談してもいいのではないかと思っています。

診療報酬はどうなるか、という話は出てきますが、どの領域でも動画や写真を送ってもらってアドバイスをすれば、研修医や看護師さんに行ってもらってやれると思います。そうすると、地方の医師不足を全部解消しなくても大丈夫なのではないかと思います。

永田 人材がどうやっても完全に充足することがないとしたら、ICTを活用せざるをえないし、それで質が上がることもあると思います。訪問看護だと、そのへんはどうですか。

岩本 うちは全部社内のビジネス用のSNSでつながっていて、地方で、「これ、どうしよう」ということがあれば、訪問先で写真を撮って社内の専門家に相談することができます。法人を超えた時の個人情報や責任の問題はありますが、グループ内であれば実際に今もできています。

地域には医者よりも看護師資源のほうがすごく多いのです。だから、フロントはナースでやるのでお医者さんは夜寝ていてください、死亡確認と、指示がほしい時は連絡します、あとはやります、という対応を連携先とは基本にさせてもらっています。ファーストコールは全部うちにして、先生のほうは患者をたくさん診ていてほしい。

ナースの受け持てる人数は頑張っても2、30人です。医師は基本、100人単位で診ていて、それに緊急対応があるので、全体で見るとすごく効率が悪い。ナースがフロントで対応して、必要なところだけ医師に来てもらうほうが絶対にいいと思います。

でも、たまにとても熱い先生がいて、緊急対応もちょっとした困りごとも全部往診に行くと言う。先生、社会保障費も医師のほうが単価が高いからもったいないです、と言うと、「おまえら、そんなに仕事がほしいのか」と(笑)。

 地域に行くとすべて診療報酬的に動いているから、クリニックは24時間体制で、一応自分たちでやることになっているし、当直を置かないといけないから、置いた以上は行かないと損みたいなところがある。

僕なんて時間外の往診はほとんどしません。夜出かけるのは看取りの時だけです。また、完全に治癒可能な救急は救急車を呼びます。だって心筋梗塞や脳卒中で往診してどうするのかという話です。CTもないし、処置もできない。だけど、往診の数だけを誇ったようなクリニックがときどきある。熱が7度2分で往診とか、医療費がいくらかかっていると思っているのか(笑)。これは資源の無駄遣いです。

岩本 介護のサービスで定期巡回・随時対応型訪問介護看護というのがあります。これは生活に合わせて介護のヘルパーさんや福祉のサービスが入るのですが、とても密に連絡があるのです。

金山 連携を前提とした介護・看護ですね。

岩本 そうです。医師がいて、看護師がいて、さらにヘルパーさんが手厚くいるので、僕らも本当に必要な時だけ行くことができる。さらに必要なときはスクリーニングされて医師が行く。すごく合理的なのです。

永田 そうやって資源を上手に配置する、利用するという方向にいかないと回っていきませんよね。

介護に横たわる課題

金山 皆さんは質の話に焦点を当てていて、うらやましいと思ってしまいます。介護は人材は足りないし、十分育成されていない新任者が現場へ行っているのが現実です。そういう人でも来てもらわなければ回らない。

私は介護職を増やしていくことが本当に必要なのかと思っているのです。施設では、「人員配置基準が国の基準よりも多く、手厚く配置しています」ということを売りにしていますが、これは生産性が悪いということですよね。「人の頭数が質だ」というのがまだ介護の常識で、人の手神話みたいなものがあるわけです。

教育は尊厳とか寄り添うとか情緒的なものを訴えていますが、テキストにはテクノロジーの使い方などは一切書いてありません。介護機器など現場に出て初めて見て、リフトにバスタオルがかかっているという状態です。

認知症の本当に初期で、生活に支障はあるけれど体は元気な人たちがこれからどんどんと増えていく。ところが、そこを支える在宅の介護職は追いついていない。そこに対してコンセンサスのないまま、専門職ではないボランティアさんが地域で見ていきましょうという流れが今の状況なのです。

永田 ボランティアさんというのは、介護の専門性を持っていなくても大丈夫なのでしょうか。

金山 正直なところ、できる、できないというより、やらざるをえないのだと思います。専門性というもので生活の支障をちゃんと見て、適切に医療と連携できるような介護職でやるのであれば、僕はある程度ふるいにかけなければいけないと思います。

下位資格をどんどんつくって裾野を広げていますが、それをすればするほど専門性は薄れます。それならば待遇をしっかりさせた上で、ふるいにかける。そういう人たちがテクノロジーを利用して、生産性の高い介護をすることができればよいと思うのですが、それには原資が必要です。

国民の福祉の負担を増やすのか、という議論がないまま、善意の介護職にしわ寄せが出て、地域のボランティアをつくりましょう、というかけ声だけが進んでいる。その歪みが、今後すごく出てくるのではないかと思います。

医療職の方々が在宅で、イニシアティブを取ってやってくれたほうがいいのではないかとも思うのです。

岩本 でも、それはそれで生活自体のコントロールを管理的に考え始めたりすることもあるのではないかと思います。生活については福祉の人たちはプロフェッショナルだと思います。本人よりも家族のほうが優先されるようなことがあると、医療中心というのはどうなのかとは思いますけれどね。

金山 イニシアティブというのは、在宅における本人や家族を含めて、あるべき姿みたいなものを一緒に考えていくことのできる人材ということです。

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