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【特集:「在宅ケア」を考える】
座談会: 高齢社会を支える「在宅ケア」の時代

2019/12/05

脱病院の時代へ

金山 国民の側のお医者さん神話みたいなものがありますよね。文京区は大学病院がすごく多いので、ことあるごとに大学病院へ行かれる方がいます。でも、クリニックでいいんですよね。

 20世紀は病院の時代だったのです。医療というのは病院で行われるもの、教育も病院で行われるもので、僕らもそこで育ったわけです。そちらが本流で、往診は出前と思われていました。お店で食べさせるのが本当で、出前は冷えて味が落ちると。

でも、訪問診療は絶対に出前ではなく、別の料理なのだと思うけど、病院内の特に古い医者は、どこまで病気の人を家で診られるかを学んでいない。30代ぐらいの若い世代は、医学部でもさすがに在宅ケアを教えるようになってきたので話をすれば分かります。しかし、それ以前の医者は連携の話もチーム医療の話も頭にない。すべては医学教育の問題だと思います。

岩本 日本に看護師が200万人ぐらいいて、就業しているのは150〜160万人ですが、訪問看護をやっているのは5万人、約3.4%です。そもそも全看護師中、男性は5%しかいない。掛け合わせると……。

永田 とても少ない(笑)。

岩本 訪問看護のキャリアが本流ではないというのはすごく感じます。不思議なのは、「10年以上のベテランにならないと訪問看護をやってはいけない」と病院の先輩たちは言うけれど、「訪問看護なんてお茶を飲んでお喋りしているだけでしょう」と同じ口で言ったりする(笑)。

だから、無知な上にポジショントークであって、実際には優劣があるわけではまったくないと思います。社会の要請もあり、家に帰る人は今後どんどん増えるので、それを看る人が必要になってくるのは間違いないことです。

永田 在宅看護を教える時、学生たちが訪問看護ステーションに実習に行く前に、どんなことを学びたいかを書いてもらうと、「なぜ家に帰ろうと思っているのか」とか、「療養、治療が必要な状態で、なぜ家にいようと思うのか分からないので聞きたい」と書いてくる学生がいます。

岩本 「君はそうじゃないの?」って(笑)。乖離しているんですよね。「患者」という存在の人がいて、「患者さんって病院にいるものでしょう」と。

 病院で生まれ育ったみたいに思っている。だから「帰る」という発想になるんです。別に帰るのではなくて、たまたま病院に入っただけなのに。

でも、僕も在宅を始めるまでは、患者さんというのは病院に来るものだと思っていました。研修医の頃は病院外を歩いている人は皆、健康だと思っていた。でも、老年内科をやったら、病院に来られない人が多いのだと分かった。また、中途半端に治って病院から帰っていく人がいる。

最初に神経難病の方を受け持った時に難しい診断名だけをつけて、「以上、退院となります」みたいなプレゼンでした。しばらくたって、あの人はどうなったんだろうと思った。

また、当直の時、回診したら元気そうにしているおじさんがいたのです。「先生、帰りたいんだけど、帰してくれないんですよ」と言う。医局に戻って担当医に聞いたら、「あの人はがんの末期です」と言うのです。

30年前だから本人に告知されていないんですよね。「帰りたいと言っていますよ」と言ったら、家族は帰してくれるなと言っていると。医療サイドと家族側による人権無視の時代でした。病院は刑務所みたいだなと思いました。

私は30代で、皆さんと同じぐらいの年齢で在宅ケアの現場に出ました。その時、やはり「在宅に出るのはまだ早い」と言われた。医者の場合も40、50ぐらいまで病院でキャリアを積んで、その後、開業したり、跡を継ぐというのが1つのコースでした。

でも40歳まで待っていたら訪問できなくなるかもしれないから、若いうちにしようと飛び出した。早くやり始めるのが大事です。真っすぐな心を持った医学生のうちは、新鮮に「いいですね」と言ってくれます。それがだんだんすれていってしまうというか。

永田 看護師も病院へ行ってしまうといつの間にかというのがあります。

 病棟実習の前に、在宅の現場に連れていってしまうのがいいと思います。こちらが普通の生活だと。

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