【特集:「在宅ケア」を考える】
病院からの在宅ケアの支援
2019/12/05
健康マネジメント研究科を転機に
私は、急性期機能を持つ、都内の大規模病院(約800床)の看護師として約25年勤めていたが、勤務年数の半分以上を中間管理職として、病院の中で起こり得る様々なことを体験した。当時は、入院患者が自宅への退院を希望しても、地域の状況により、退院ができないことに不甲斐なさを感じてもいた。仕事はやりがいのある一方で、病院の中のことしか知らない自分に偏りを感じ、意を決して慶應義塾の大学院健康マネジメント研究科に入学した。入試面接の際に、その後ゼミで担当いただいた教授に、「なぜ退職までして、受験したのか」とかなり不思議に思われていたことを思い出す。
健康マネジメント研究科医療マネジメント専修での2年間は、病院での経験を振り返っては、理論と結びつけて整理し、実践していたことの価値を問い直すことになった。また、様々な職種の院生が混じり合っての授業内外での議論では、自分の意図が伝わらないことを体験した。今までも発信しているつもりではいたが、看護職以外の様々な職種の人達に伝えるには力不足であったことにも気づかされた。そして、学際的な学びの中で、視野が拡がることの面白さを体得した。また、実践を通じて得たデータを体系化することの面白さを実感し、実務を理論的に示す方策の基礎も学んだ。この2年間の学びがあったからこそ、今なお興味ある仕事につながっていられることを心より感謝している。
研究科修了後は、在宅ケアの分野に飛び込み、在宅療養支援診療所の立ち上げに関わる機会を得た。先駆的な取り組みにマスコミ等にも注目されるようになるこの診療所での在宅ケアの実践の中で、私は、急性期病院内で培ってきた価値観が揺らぐ多くの学びを得ることになった。
在宅療養で過ごす方々は、つらさや不便さはあるとはいえ、病院内で眉間にシワを寄せている表情とは異なり、いつも笑顔で過ごしていることが最も印象的であった。病院では〝医療〟が主軸となるが、在宅療養では〝その方の暮らし〟が主軸となる。当たり前のことではあるが、病院での勤務経験しかない自分にとっては、大きなパラダイムシフトであった。
在宅ケアの立場から病院を見る中で、改めて病院内における課題を強く感じるようになっていたが、2013年、新しいコンセプトで再出発する準備を進めていた九段坂病院で、病院から在宅への移行支援に携わることになった。急性期病院と在宅ケアを体験した自分に、微力ながらも何かできることがないかという想いを抱いての転職となった。
当院は東京都千代田区にある、急性期と回復期機能を持つ中規模病院(251床)である。2015年11月、千代田区高齢者総合サポートセンターと一体化して新たに建てられた病院で再出発をした。移転後の当院は今までとは異なる機能を持つことになったが、それを象徴するのが病院のレイアウトである。千代田区の高齢者総合サポートセンターと当院の医療連携部は、ロッカーによる区切りのみで、壁もドアもないレイアウトとなっている。このような環境で、日々、区の関係者から介護と医療の狭間にある様々な相談に応じ、連携に努めている。また、地域に向けて病院からできる発信は何かを考え、在宅ケア関係者への人材研修や啓蒙活動なども行っている。このような、自治体、地域の関係機関の様々な人達との連携の模索は、私達病院職員にとっても、医療だけに偏るのではなく、介護・福祉・地域活動へと拡大が求められている。
在宅ケア移行へのハードル
在宅ケアを進めるためには、まず、病院での入院治療からどのように移行するかが鍵となるが、在宅ケアへの移行のハードルは何であろうか。
第一に、病院スタッフの意識がある。病院に勤務する医療者の多くは、在宅ケアの実情を知る機会がない。また、できる限りの積極的治療を継続することが最善であり、安全・安心を提供できる環境が病院であるという考えから脱却できずにいる。例えば、急性期の治療後、退院可能と判断できても、今後病状が不安定になることが予測される時には、他の医療機関への転院を考えることが多い。高齢世帯の2人暮らしの場合には、負担が多いことを懸念して、自宅への退院は無理だと決めつけ、施設への入所を推し進めてしまう傾向にある。また、経口で食事を摂ることを本人が強く希望しても、肺炎を起こすからと絶飲食とし、中心静脈栄養管理や胃瘻(いろう)での栄養補給が最善の方法だと思う医療者も未だ少なくない。
末期の治療においても、何かしら医療を施せば、延命ができることを知っている医療者は、医療を提供しないという選択には恐れを抱くものである。しかし、誰にもいつかは、死が訪れる。多くの人にとって、その時までを穏やかに、その人らしく生き切ることが、人生の最期の時において最も大切にしたいことではなかろうか。
在宅ケアの経験は私に、医療・ケアの本来の目的は、安全で積極的な医療の提供に留まるものではないこと、そして何よりも本人の意思決定を尊重することが大切であることを気づかせてくれた。患者のQOL(Quality of life 生活の質)に真摯に向かい合う大切さを改めて切実に実感する機会となった。病院の中では、本人が何を望んでいるのかを本人に聞かずに、家族の気持ちを優先している場面もしばしば見かけてきた。本人の思いを優先するという当然のことも、病気になると、必ずしも優先されないことが起こるのである。
筆者は、病院の医療スタッフに、患者の意識状態が不安定であっても、何度でも本人の思いを伺うようにと伝えている。援助的コミュニケーションやエンドオブライフ・ケアについての学習会、中堅スタッフへの体系的な退院支援研修等にも取り組んでいる。在宅療養支援診療所の見学研修は、暮らしの中での「その人らしさ」を体感する機会となっている。更には、院内の様々な職種の職員だけでなく在宅ケアの関係者にも加わってもらい、入院前から入院中そして、退院後までの経過を踏まえた事例検討会も開始し、「その人らしさ」とは何かを共に考える機会としている。これらの積み重ねで、院内の医療職の意識改革を少しでも図っていきたいと考えている。
2つ目のハードルは、患者・家族の心配である。「また、肺炎になるかもしれない」、「転倒するかもしれない」というような心配から、治療を終えても入院していることの安心感を求める方もいる。このように、病院に依存しがちな風潮は根強いが、安全優先の入院生活を続けた結果、本来その人自身でできることも奪ってしまい、身体機能や認知機能を低下させてしまうこともあるという認識を持つことが必要である。
医療技術が発展しても、治すことのできない病気もあれば、治療の限界が来ることもある。しかし、病院にいることが最善であるという病院信仰のような意識が、在宅ケア移行へのハードルとなっているように感じる。
2019年12月号
【特集:「在宅ケア」を考える】
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高橋 由利子(たかはし ゆりこ)
九段坂病院医療連携部副部長・塾員