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【特集:「在宅ケア」を考える】
病院からの在宅ケアの支援

2019/12/05

縁起でもない話を普段からする

この例のように、在宅ケアは、人生最期の時間を支える役目も担っている。

誰にも必ず死は訪れるものであり、確実にそのゴールに向かって時間を重ねている。そしてある時、突然余命数カ月の段階に直面することもある。それまで様々な選択を自分でしてきたように、その状況に際しても、自分自身で選択できることが望まれる。しかし、人生の最終段階をどのように過ごしたいかを家族と一緒に考えている人は少ないのが現状である。療養場所をどこにしたいかということだけでなく、その時にどのような自分でありたいか、誰と一緒にその時間を過ごしたいか、大事にしたいことは何かなどについて、考えることに慣れていない。日本では、「死生学」や「死への準備教育」に関する授業を受ける機会はほとんどない。宗教を通じて、死を考えるという機会も乏しい。それだけに、家庭でも〝縁起でもない話〟は常に遠くに置かれている、しかし、いざその時に、辛い状況になっている中で、初めて自分の最期のありようを聞かれても、答えることは困難である。家族にとっても、その本人と共に話をすることは難しいことである。

だからこそ、まだ、その時が遠い先だと思えるうちに、縁起でもない〝もしも〟の話をしておくことが重要だと考えるようになった。そのような思いから、2017年に「IKILUを考える会」を有志で立ち上げ、活動をしている。IKILUのLはLifeを表している。

元気なうちから、一人一人が、自分や大切な人の〝もしも〟について、何回でも話し合える場作りとして、誰でも、ふらっと立ち寄ってもらえるようなイベントを開催してきた。区の広報誌への掲載や駅、コンビニの掲示板に案内を貼り、近隣の大学にも広報を行った。会場には、故人となる日野原重明氏や立川談志氏、樹木希林氏の言葉を使ったポスターを作り、琴やヴァイオリンのミニコンサートなども行い、多くの人が立ち寄りやすい雰囲気作りを工夫した。iACP(一般社団法人 Institute of Advance Care Planning)では、カードゲームを通じてもしもの時に自分にとって大事なことを考え伝えられる「もしバナゲーム」の普及を図っているが、当会でも、区民や大学生と共にこのカードゲームを行った。若者の反応に心配もあったが、真剣に取り組む大学生の姿に感動を覚えたものである。

死はやみくもに恐れるものではなく、生き切ったゴールと捉えられないだろうか。地域で暮らす誰もが、加齢と共に低下する心身の機能と付き合っていきながら、前もって〝もしも〟のことを考え、それを周囲の大事な人や医療者やケアを提供してくれる人に伝えられるようになれば、また、そのことを叶えられるように、病院と在宅ケアの職員がつながり、家族とも一緒に寄り添えられれば、もっと穏やかな時間を過ごすことができるであろう。少なくとも「こんなはずではなかった」と眉間にしわを寄せながら、その時を迎える人が、少なくなることを心より願っている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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