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【特集:「在宅ケア」を考える】
座談会: 高齢社会を支える「在宅ケア」の時代

2019/12/05

  • 辻 彼南雄(つじ かなお)

    医療法人社団互酬会理事長、水道橋東口クリニック院長

    1984年北海道大学医学部卒業。群馬大学病院、東京大学病院等を経て現職。東京大学医学部非常勤講師。一般社団法人ライフケアシステム代表理事。専門は内科、老年内科。日本在宅ケア学会理事。

  • 渡邊 宏樹(わたなべ ひろき)

    湘南藤沢徳洲会病院リハビリテーション室長

    秋田大学医療技術短期大学部理学療法科卒業。神奈川県立保健福祉大学大学院保健福祉学研究科修了(リハビリテーション修士)。理学療法士。慶應義塾大学看護医療学部非常勤講師。

  • 金山 峰之(かなやま たかゆき)

    株式会社ケアワーク弥生小規模多機能型居宅介護ユアハウス弥生部長

    日本社会事業大学社会福祉学部卒業。大手介護企業、NPO法人を経て現職。介護福祉士、社会福祉士、介護支援専門員。訪問入浴、訪問介護、通所介護など在宅介護を中心に現場を経験。

  • 岩本 大希(いわもと たいき)

    訪問看護サービスWyL株式会社代表取締役

    塾員(2010看)。看護師、保健師。北里大学病院救命救急センターICU勤務後、ケアプロ株式会社で訪問看護事業を立ち上げる。2016年WyL株式会社を設立し、ウィル訪問看護ステーション江戸川を開設。

  • 永田 智子(司会)(ながた さとこ)

    慶應義塾大学看護医療学部教授

    2000年東京大学大学院医学系研究科単位取得退学。博士(保健学)。東京大学大学院医学系研究科准教授を経て、2017年より現職。専門は在宅看護学。日本在宅ケア学会理事。

身近になった「在宅ケア」

永田 現在、高齢社会が進展し、社会の構造が様々な面で変わっていく中で、医療・介護では「在宅ケア」あるいは「地域包括ケア」と呼ばれるものが国レベルでも推進されています。『三田評論』の読者の中にも在宅ケアのユーザーの方もいらっしゃると思います。今、病院外での「在宅ケア」では医療・看護・リハビリ・介護など、いろいろな実践がされていますが、知られていない部分もあるかと思いますし、技術の進歩や制度改革などでこれから変化していく領域でもあります。

今日は在宅ケアを支え、実践されている、それぞれの専門領域の方に、現在行われている取り組み、また、その課題、さらに将来の展望や可能性などについてお伺いしたいと思います。まずは、それぞれの現場でどんなことをされているか、お話しいただければと思います。

 私の専門は老年内科ですが、在宅医療には1990年ぐらいから、もう30年近く携わっていることになります。外来診療と訪問診療で、特に高齢者の方を千代田区周辺で診ています。

昔話になりますが、1990年頃は、在宅医療は必要であるにも拘らず、まだ何もないという状態でした。しかし、2000年に介護保険制度もでき、他の制度も徐々に整ってきて、今、活発になってきている。皆さんのように若い方々がこの分野に参入してこられることは嬉しい限りです。

当初の在宅医療というのは往診する医師と、訪問看護をする看護師とのペアで始まりました。それが、現在はリハビリテーションや介護の方々、薬剤師や歯科領域の方々も入ってこられています。

これは非常に感慨深いものがあります。私が始めた頃は、訪問医療というのは変わり者がやる完全なアウトサイダーでした(笑)。今、主流とは言いませんが、少しは発言できるポジションになってきたし、国の政策としても主流になり、医療を受ける国民の皆さんにも身近になってきた。このことをとても喜ばしく思っています。

渡邊 私は湘南藤沢徳洲会病院で理学療法士をしています。また、全国にたくさんある徳洲会病院全体のリハビリ部門のマネジメントの長をしており、都市部だけではなく、地方の状況もときどき見に行きます。

徳洲会病院というのは急性期の病院で救急車を断らないのが基本スタンスです。平均入院日数が9日から10日で、救急の患者をすべて診て、ある程度良くして家に帰す、という病院です。

介護保険が始まる前から、当院では訪問リハビリをしていました。これは珍しいことでした。なぜ訪問リハビリを始めたかと言えば、我々が病院で関わった障害を持った人は、退院して家に帰っても障害が治っているということはないからです。

患者さんを帰した後、面倒を見るシステムは、昔はありませんでした。そこで必要に迫られ、「自分たちが行ってリハビリしましょう」と始めたのです。

先ほどアウトサイダーとおっしゃいましたが、急性期病院の中での在宅のリハビリも、最初は「変な事業を始めましたね。それは私たちの役目なんですか」という感じでした。しかし、こちらからしたら「先生、中途半端に治して帰すのですか」ということです。

もともとは茅ヶ崎徳洲会という病院から始まっていますが、病院が古くなって隣の町の藤沢に移ってきました。訪問リハビリとして茅ヶ崎市内で95%以上のシェアを取っています。つまり、訪問リハビリをやっているところは本当に少ない。ここ数年、少し増えてきていますが、全然間に合っていません。私たちは全部で10人ぐらいのスタッフですが、在宅リハビリをできる人を増やすのが目下の目標です。

永田 利用者さんはどういう方が多いのですか。

渡邊 一番多いのは高齢者で特に脳卒中や骨折後に自宅にいる方です。訪問リハビリというのは、病院付属から訪問リハビリに出るパターンか、訪問看護ステーションに所属して、訪問看護の一種として行くしかないのです。

制度上、訪問リハビリステーションというものは立ち上げることはできません。ここに大きな問題が立ちはだかっています。

金山 私は文京区の小規模多機能型居宅介護事業所というところに勤めている介護福祉士です。

介護保険制度が始まる前、税金で介護、医療を全部行っていた「措置時代」には、拘束など今では御法度のケアが普通に行われていました。その時にお年寄りたちに普通のケアをしたい、と有志の人たちがつくった宅老所というものを国が制度化し、利用者のニーズに応じて、訪問と通いと宿泊とケアマネジメントが複合になっているワンストップな事業形態が小規模多機能型事業所です。

私は就職氷河期最後の世代で、福祉職を志して介護の仕事を始めました。訪問介護、訪問入浴、デイサービス、小規模多機能と在宅の支援をずっとやってきました。

今まで、貧困の方や独居の方など、困難ケースと言われるような人たちを見ることが多かったです。今の職場は文京区なので明らかな貧困の方は少なく、主に認知症の方をメインに見ています。半分ぐらいは独居で、そういった方々が地域で生活することを支えています。

岩本 私は自分で会社をつくり、訪問看護をやっています。江戸川区に1つ目を、去年隣の江東区に2つ目をつくり、他に沖縄と福岡と岩手県の一関にそれぞれ事業所があります。看護師たちは全部で60人ぐらいです。

私は看護師になって10年目ぐらいですが、最初の2年だけ北里大学病院の救命救急センターにいて、後はずっと訪問看護をやっています。

救急の看護では、90代の高齢の方が心肺機能停止で運ばれてくる。それで家族がパニックになっている中で、「挿管しますか」と聞き、「全部やってください」と同意をとって、延命治療を行います。挿管したり、強心剤を射っても救命は難しくて、機械だらけの治療室の中で最期を迎え、家族もショックを受ける。これが人生の最期でよかったのかと思うし、看護をしている私たちもここまでやる必要があるのだろうかと思います。しかも、ここにはすごいお金が投入されている。そう考えた時、皆、一生懸命やっているのに誰もハッピーじゃないと思ったのです。

望まない医療をあまりしなくても済むように、その手前から一緒に考える機会があるべきではないか。そう考えると、「それは在宅ケアで、権利擁護をする役割であるナースの仕事なのでは」と思い、在宅看護を始めました。

私たちの訪問看護の特徴は24時間対応だけでなく、土日祝日も365日営業しているところです。そして、「すべての人に家に帰る選択肢を」という理念を大事にしています。「すべて」というのは、「あらゆる疾患」ということです。精神障害の人も、小児も、難病の人も、高齢者も全部です。

永田 それはすごいことですね。

岩本 「子供や精神障害は専門ではないので看られない」と訪問看護に断られてしまい、家に帰れないことがあります。それが悔しいので、僕は全部やる、特に受け皿の少ないところをメインでやりたいと思ったのです。

もう1つ、地方での展開はフランチャイズチェーンの形態にしています。地元でそこに住む人たちをずっと看ていきたいというナースたちがいます。ナースの地産地消という形で、沖縄は今、15人ぐらいのチームで看護師含め全員が沖縄出身です。また、どこのステーションも平均年齢が30代前半で働き盛りの中堅どころのナースが多いのも特徴です。

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