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【特集:裁判員制度10年】
座談会: 「国民の司法参加」は何を変えたか
──その先の10年を見据えて

2019/10/05

今後の10年に向けて

小池 最後に本日の議論も踏まえ、それぞれのお立場で、今後の10年に何を望むかをお願いできればと思います。

澤田 「裁判って怖い」というのはよく聞く話です。確かに私も有罪かどうかを決めるときは、その人の人生を決めるということですので、間違いが絶対あってはならないというプレッシャーがありました。また、量刑を決めるときもまるで神の領域に足を踏み入れるような怖さがあり、前の日の晩の深夜に目が覚めて、朝まで眠れなかったのです。ただ裁判員裁判は1人ではなく、皆で決めていくものなので、仲間がいるということを知ってほしいなと思います。

裁判員裁判は一般の市民の人たちが、犯罪や被害者、加害者について考え、被害も加害も生まない社会をつくっていくためにはどうしたらいいかを考える重要な場になっていると思いました。裁判員制度は、選挙と同じく一人一人が社会を変える力を持っているものだと思いますので、選ばれたら辞退しないで、ぜひやってみてください、と言いたいです。

牧野 やはり裁判員の体験は素晴らしいものであることが伝わっていないので、次の10年をぜひ裁判員体験がもっと広く伝わり、これから裁判員になる方も、なる前からどういうものかが分かり、皆がやりたがるような時代に、していきたいと思います。

刑事裁判で一番気を付けなくてはいけないのは冤罪を防止することだと思います。その意味では、裁判員裁判が始まり、証拠開示もある程度できてきて、捜査から公判中心になってきたということで、大きな流れは1つできたと思うのです。

しかし、公判と公判の直前はかなり改革されても、捜査、逮捕された後の身柄とその後の取り調べについては、まだ文明以前の段階にあるので、身柄拘束が20日原則ということを改め、弁護人の立会権は認めるような時代にして、裁判員も、きちんとした資料で安心して裁判ができるようにしたいと思っています。

鈴木 裁判って、ある意味「人ごと」ですよね。裁判員は、人ごとであるにも拘らず、自分の仕事や日常生活を調整してまで、見知らぬ誰かの事件に真剣に向き合い、1つの結論を導いていただくというものです。そういう経験を通して、裁判員制度が、ともすれば「自分さえよければいい」という風潮の中で、自分のことだけではなく、社会の一員として社会全体を考えていく機会になればと思っています。

牧野さんの言われた捜査についての問題提起ですが、逃亡や証拠隠滅のおそれがあるものは、身柄拘束せざるを得ませんが、個々の事件に応じて慎重に判断していますし、取調べの録音録画も広く行っています。弁護人の立会権のある国もありますが、他方、無令状の逮捕や捜索が緩やかに可能であるなど、日本では許されていない捜査手法が認められているといった面もありますから、一部の制度だけを取り上げて議論するのは危険かなと思っています。

石田 裁判員の皆さんが、一生に一度の出来事の中で審理中にいろいろなストレスを感じるのは当然のことです。そうであるからこそ審理中あるいは評議中も、私たちは、裁判員の方の様子なども伺いながら、ご不調そうであれば声を掛けさせてもらうことも意識するようにしています。審理では、もちろん必要な証拠調べはするわけですが、無用にストレスをかけないよう意識しています。

制度的にはメンタルヘルスサポート窓口というものを用意しています。評議に参加してくださった裁判員、補充裁判員の方に対しては最後まで責任を持つつもりでやっていますので、裁判員の方にはぜひ安心して来ていただきたいと思います。

制度が本当の意味で根づいたといえるには、私ども法律家が様々な運用上の課題にしっかり取り組まねばならず、それこそが、良い経験だと言ってくださった多くの経験者の方への法律家の責任だと思います。今後とも裁判員制度をどうぞよろしくお願いします。

牧野 今、非常に重要な心のケアということを言ってくださいました。臨床心理士で裁判員経験者という方も裁判員経験者ネットワークに2名いらっしゃるんですが、2人とも、やはり審理中が一番緊張と心の負担が大きいと言います。そのときに臨床心理士かカウンセラーが裁判所のどこかに待機し、問診して「平気ですか」と1日1回聞いてあげたりすると、だいぶ安心するのではないかと思います。

小池 本日は、皆様のご議論により潜在的な裁判員である読者の皆様がこの制度について考える、いいきっかけになったのではないかと考えております。長い間、有り難うございました。

(2019年8月7日収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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