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【特集:裁判員制度10年】
心理学から見た裁判員制度

2019/10/05

  • 伊東 裕司(いとう ゆうじ)

    慶應義塾大学文学部心理学専攻教授

裁判員裁判が始まってから10年が経過した。私は、人間の記憶や思考について研究を行っている認知心理学の研究者であるが、裁判員裁判に関する法律ができる以前から一般市民が裁判に参加して行う思考や判断について関心を持ち、認知心理学的な観点から実証的な研究を行ってきた。本稿では、以下の2つの問題について、裁判員制度をよりよいものにしていくために心理学から何が言えるのかについて論じたい。

第1の問題は、裁判員の判断は感情によって不適切に影響されることはないのか、という問題である。人間は感情や気分に影響されやすい生き物であり、裁判においては強い感情を伴うやりとりがなされることが多い。感情に駆られた裁判員がそのために不合理な判断をしてしまうということは、あってはならないであろう。

第2の問題は、認知心理学的研究で明らかになった、人間の考え方の癖に関係する。人間は何らかの仮説を持った場合、仮説を支持するような証拠を求め、仮説に反するような証拠は見ないようにしたり無視したりする傾向(確証バイアスという)があることが知られている。裁判員が判断を行う場合にこのようなことが起きることはないのか、心理学的な検討の結果から考えたい。最後にこれらの問題と関連させて、裁判員制度をよりよいものにするために、心理学的研究ができることについて考えたい。

感情と裁判員の判断

「怒りの感情に任せて、友人にひどいことを言ってしまった。怒りが静まった今考えると、自分の言動は不適切だったと思われ、そのことをとても後悔している。」日常生活の中でこのような状況がありうることは容易に想像できるであろう。同様のことが裁判員の判断においても起きうるのであろうか。「被告人への怒りの感情によって、被告人に過度に重い刑罰を科してしまった。怒りが収まった今では、判断は不適切であったと思い、後悔している。」このようなことが起こったとすれば、被告人にとっても裁判員自身にとっても不幸なことである。

裁判員制度の目的の1つが、市民の感覚を司法に反映させることであるなら、裁判員の感情がある程度判決に反映されたとしても、あながち不適切とは言えないのではないか。このような意見をしばしば聞くこともある。しかし、量刑判断に関してであればこの考え方にも一理あると思われるが、有罪無罪の判断にはまったく当てはまらないと言ってよいであろう。犯人に対する怒りがいかに強くても、被告人が犯人であるかどうかにはまったく関係がない。

私たちの研究グループでは、このような問題に着目し、裁判員の感情を掻き立てる要因の1つとして、被害者の意見陳述を取り上げ、裁判員の有罪無罪判断への影響について実験的に検討を行ってきた*1。被害者やその遺族は、犯罪によっていかに甚大な被害を被ったかなどについて、法廷で意見を述べることが認められている。この、被害者による意見陳述は、犯罪や犯人に対する被害者の感情の吐露の場となり、聞いているものの感情を揺さぶる場合がある。被害の大きさや被害者の被害感情の強さは、被告人が犯人であるかどうかとは関係ないが、裁判員が被害者の意見陳述に触れて怒りなどの感情を掻き立てられ、被告人が犯人であると考えてしまうことがありうるかもしれない。

この可能性を実証的に検討するために、私たちのグループでは模擬裁判員に裁判の概要を示し、被告人の有罪無罪を判断してもらう実験を行った。用いた裁判概要は、病気で仕事もなく生活ができず刑務所に入ることを望んだ被告人により、見ず知らずの若い女性が刺殺されたとされる事件のものであった。提示された証拠に決定的なものはなく、証拠からは被告人が犯人であるともないとも断定できない。この裁判概要を、何の落ち度もない被害者が理不尽に希望に満ちた未来を奪われたことに対する悲しみや怒りを表明し、被告人を厳罰に処すことを願う、被害者遺族による意見陳述とともに示し、模擬裁判員に有罪無罪の判断を行うよう求めた。その結果、有罪判断を下した者の割合は、意見陳述に触れずに判断した者に比べ有意に高かった。また、意見陳述に触れた場合、模擬裁判員は怒り、嫌悪、恐れ、不安などの感情を覚えることが多く、これらの感情を抱いた者ほど有罪判断をする傾向が強いことが示された。

この研究結果は、感情を掻き立てるような法廷でのやりとりが裁判員を感情的にして、その結果本来無関係であるはずの有罪無罪の判断に影響が及ぶことを示している。裁判員も感情的な判断は避けるべきであることを自覚していて、検察官や弁護士が意図して裁判員の感情を煽るような言動をとる場合には警戒心を抱くこともあるようである。しかし、感情を抑えることは一般に困難である場合が多く、裁判においては不必要に感情を煽るような情報は示さないよう工夫する必要があると考えられる。

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