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【特集:裁判員制度10年】
座談会: 「国民の司法参加」は何を変えたか
──その先の10年を見据えて

2019/10/05

精密司法から核心司法へ

小池 それでは、刑事裁判が裁判員の参加を得てどう変わってきているかを見ていきたいと思います。まず、裁判のやり方、進め方がどう変わったのでしょうか。

よく言われるのは、「精密司法・調書裁判から核心司法・公判中心主義へ」といったキャッチフレーズです。従来の裁判官だけの刑事裁判は、被告人や被害者、目撃者などが述べたことを捜査官が供述調書にまとめ、その書面が証拠として大量に出てくる。裁判官はそれを持ち帰って読み、細かい事実まで緻密に認定していくものと言われていました。

それに対して裁判員裁判では、その事件で本当に判断しなければならない核心はどこなのかということに絞り込み、その点を基本的には調書ではなく、関係者に法廷で話してもらい、その内容を裁判官と裁判員が、法廷で見聞きしたことから有罪・無罪の判断をするやり方に変化してきています。

牧野 もともと「書面に偏りすぎている」という批判があり、「法廷で丁々発止、生の言葉でやり合ってほしい」ということは以前から言われていました。これがなかなか実現しなかったのが裁判員制度になり劇的に変わった。これは驚くべきことです。市民を裁判員として参加させ、法廷で見て聞いて分かるようにするため、その場で口頭で直接やり合うことが、実現されるようになったわけです。

それからもう1つ、市民は長い期間は法廷に来られないため、集中して法廷を開く必要がある。集中的な審理のために争点をあらかじめ全部整理して、弁護人も最初から主張と立証をしなければいけなくなった。私はここが一番重要な変更点だと思っています。

そして、今までは検察官が法廷に提出する証拠を自分たちで決めて、それ以外のものはなかなか見られなかったのが、ある一定の証拠は事前に見せないと弁護人も準備ができないので、長年の望みだった「事前の証拠開示」が実現したのです。

これは裁判員制度の重大な副産物で、前から「実現するべきである」と言っていたことが、市民が入ることによって一挙に実現したことは素晴らしいと思います。

石田 私が20年前に任官した頃の刑事裁判というのは起訴された公訴事実の書いてあるその事実のみならず、その事案の詳細をできる限り解明することがよしとされていました。「真相解明」と表現され、それが大事だということでした。

それ自体は間違っていないとは思いますが、そこで言われる「真相」とは、捜査の段階で事情聴取をして作成された、被疑者・被告人供述調書あるいは関係者の調書を、しっかりと裁判所に引き継ぐ、という点に重点が置かれていたと思います。

また証人尋問なども、供述調書の内容をすべて再現したもの、という感じの問答がずっと続いていました。一方、これを弾劾しようとする側は、「供述調書にはこう書いてあったけど、今証言でしゃべっていることは少し違うではないか」というような細かい点を突いて攻め込むような傾向があったと思います。

その結果、証人尋問、被告人質問も、長時間にわたり、法廷ではなかなか追い切れなくなってしまいます。そうすると、尋問していたものを後で公判調書という書類にし、期日が終わった後にそれをじっくり読み込むことで心証形成をしてきたと言われています。

小池 そのようなやり方には問題があったということですね。

石田 刑事裁判で真に明らかにされるべきは、犯罪事実があったのか、なかったのか、それが被告人の手によるものなのかどうか、を決めるということでしょう。もしそうではないのであれば無罪になり、有罪だということであれば量刑判断に必要な事情が明らかにされなければいけません。

また、裁判では法廷で的確に心証形成できる審理が行われるべきであるという公判中心主義の理念からすれば、従前のやり方はやはり理想像ではなかったと思います。だからこそ司法制度改革の中で刑事訴訟法改正の動き自体、裁判員制度と同時並行で議論されていたのだと認識しています。

裁判員制度の導入は、刑事訴訟制度の運用をより良くする推進力というような効果を持っていたのではないでしょうか。

牧野 その通りですね。刑事裁判の理念からいけば、今までのように捜査の段階で真相解明をほとんどやってしまい、公判ではそれを引き継いで、その復習みたいな手続きになっているのはおかしい、ということに気付いていたはずなのです。でも、それを直そうとしても、どこから直したらいいのか、あまりに問題が大きすぎて手が付けられなかった。

それが、市民参加があったからこそ、本来あるべき刑事裁判が実現したのだと私は思っています。

小池 そういった核心司法・公判中心主義でやっていく場合、事実を立証していく検察官は、今までのやり方を変えていかなければならない面もあったでしょうか。

鈴木 検察官は公判だけでなく、捜査も行います。起訴権限を持つ検察官は、無実の人を起訴するなど、誤った起訴は決して許されませんから、捜査段階で徹底して証拠を収集し、被疑者や被害者の話を丁寧に聞き慎重に判断しなくてはなりません。徹底して真相解明に努め、誤りのない判断をする、このことは裁判員裁判前後で変わりません。

ただ、裁判員裁判では、初めて裁判に臨む裁判員の方に理解していただく必要があります。そのため、裁判員の方に事件の全体像を正確で的確に理解していただくために、様々な工夫をしています。まずは、捜査の経過を全て法廷に出そうとするのではなく、捜査の結果判明した真相を、どのようにしたら裁判員に分かりやすく伝わるかという観点で、再構築するようになりました。

そして、法廷で、目で見て耳で聞いて分かっていただくため、パワーポイントを利用したり、専門用語を使わず、分かりやすい言葉を用いるようにしています。お蔭様で裁判員経験者へのアンケートでも、検察官の立証は、とても分かりやすかったという評価を多くいただいています。

ただ、裁判員裁判の限られた日数の中でどういう証拠をどこまで立証していくのか、その判断はすごく難しいのです。屋上屋を重ねるような立証は許されない。ただそれが屋上屋なのか、必要な証拠なのかという判断は、ある意味ふたを開けてみないと分からないところもあります。立証責任を負う検察官としてギリギリの判断を迫られることもあり、そういう点に難しさも感じています。

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