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【特集:『帝室論』をめぐって】
小泉信三が見た皇太子──全集未収録の田島道治宛小泉信三書簡より

2019/05/07

⑤皇太子への「適度」な歓迎(昭和28年6月9日)

皇太子殿下には愈々今日午後御出発、パリに御越しになります。御滞英中、オクスフォドで御風邪以外は終始御元気で、御閑があれば御見聞御買物等に外出遊されて御疲れの色なく、やはり青年で入らっしゃると感じました。

戴冠式御参列、その前後に於ける饗宴等への御出席、競馬御覧等すべて滞りなく相済み、殿下はよく御勤めになりました外、相当エンジョイもなされた御様子です。当地では始終御目にかゝってゐましたが、何分スケデュール充溢でゆっくり二人きりで御話をするといふ閑はなく、他日を期しました。三谷侍従長統率の下に御随員一同のティームワークは最もよろしく、誠に愉快に感じました。始め側近者と大使館員中の1、2人の積極的な若者との間に多少のソゴのあったことを、あとできゝましたが、殿下御風邪が却てキッカケとなって融和したさうです。

英国民及び王室の殿下に対する御歓迎は適度・・といふべきであらうと思ひます。殿下が女皇と御一緒に競馬を御覧になってゐる写真を御覧になったと思ひますが、これについても、その経過をきくと、始め殿下は別のボックスで御覧になって御出でになるところへ、宮内官が来て、若し御宜しかったら、次ぎの第2競馬を・・・・・女皇陛下と御一緒に御覧になりませんか、といふ御誘ひがあり、それに応じて殿下が御出でになったといふ次第で、そこに或る限度が置かれてあるやうに僕には感じられました。これは三谷君とも語り合った事ですが、吾々としては心に置いて然るべきことゝ思ひます。右の写真の如きも、日本の新聞が、殿下が女皇と御一緒に競馬を御覧になったことを大した事のやうに取り扱はねばよいが、と案じられますが、多分案じる通りになることでせう。女皇と日本の皇太子の写真を、イギリスの新聞は別段騒がず、日本の新聞だけが大騒ぎするとあっては不体裁ではありませんか。それは兎に角当地の居心地は極めて宜しく、殿下も御同感の御様子。宇佐美君の外遊、是非実現されたきもの。小生来月10日頃パリへ参る予定です。 6月9日朝

小泉信三

(解説)ロンドンより、イギリスにおける皇太子に対する歓待の様子を伝える書簡。「三谷侍従長」は三谷隆信。「宇佐美君」は宮内庁次長の宇佐美毅で、田島の後任として宮内庁長官を務めた人物である。皇太子は6月6日に英国王室一家と共にダービーを観覧し、小泉が述べる通り翌日にはそのことが日本の主要新聞の紙面を飾った。

⑥「終始御立派」なアメリカ滞在(昭和28年9月26日)

シカゴまで皈って来ました。この手紙が果たして自分より先きに日本に着くや否や覚束なく思ひますが、不取敢(とりあえず)寸暇をぬすみ一筆します。殿下には9月21日、ニューヨーク、グランドセントラル駅で、御別れ申上ました。今日はウィオミングのロックフェラア・ランチで御休息の事と思ひます。

米国に於ける殿下の御行動は終始御立派で、幾度かの機会には、実に申分なひ、とも感じました。1月に及ぶハードワークの御健康に及ぼす影響は最も心がゝりの点でしたが、それもさしたる御疲労なく、殿下がお努めになって御出での事はよく分りますが、よくそれにお堪えになったのは難有い事です。アメリカの酷暑が御到着前に去ったのは仕合せでした。しかし随分暑いと思ふ日もありました。

ワシントンで無名戦士の墓前に花環をお置きになるとき、小生は見物人に交ぢって後ろから拝見しました。真に申し分ない、と思ったのはこの時の事です。ニューヨークの大宴会も終始御立派。ボストンの時は小生不在でしたが、多分ニューヨークが第1の御出来ではなかった〔か〕と思ひます(但しヴィニング夫人はボストンの殿下をもひどく御褒め申します)。ニューヨークの時は千数万人の会衆に面し会主主賓等は一列をなしてプラットフォームの上に並び、小生等はその第2列に着席し、ヴァ夫人は小生の一人置いて右に座りましたが、会が果てると人々は夫人に近づき握手を求め、「お祝ひ申します」とか、「定めし御満足でせう」とか、祝詞を呈した事によって殿下の御出来を想像されたし。この夕、新木(あらき)大使、ダレス長官の演説もありましたが、ダ氏のは政治に至りすぎて、言はずもがなの個所もあり、新木氏のは主旨甚だ佳なれども、聴き取りにくい個処もありました。その翌夜ヴァ夫人が小生のホテルの部屋に来て会食。愚妻と3人で遠慮のない事を言ひ合ひましたが、小生、殿下の英語の方が大使のより好い発音ではないか、といひたるに、夫人は例の淑しいが、ハッキリした言葉と表情で、これを肯定しました。2、3日たってジョンロックフェラアに午食に招かれ、食卓を介んで2人きりで話しましたが、その途中、ロ氏は例の癖で、目をパチパチさせ乍ら、「かういってはミスター・アラキに済まないが」と前置きして、僕と同じ事をいひました。僕がヴァイニング同様にこれを肯定したことは御想像通りです。(御内聞々々々)固より米人は小生に向ひ、強いて小生等の喜ばぬことを言ふ訳もなく、また、小生と雖も、そんなコムプリメンツ許りを数へて好い気になってゐる訳ではありませんが、兎に角好い印象を人々に御与へになり、また米人が好い印象を受けたがってゐる心理は、認めてよいと思ひます。一日コロムビア大学教授の人々に招かれて午食を共にした席上、1人の教授小生に問ふて、殿下はアメリカで御覧になって、何に一番驚かれ、surprisedされたであらうか、といふ。小生答へて我が殿下はヴァイニング夫人の御教授もあり、アメリカの歴史制度を一通り御承知であるから、さういふ点では別に驚きになるものも思ひ当らない。強いていへば、オートバイの警官が殿下の御車の先駆をし側衛をして、サイレンを吹き鳴らして車馬の往来を制止する、そのエスコートのあまりにも盛んなる事ででもあらうかといったら、人々は笑ひました。

まづこんな次第です。右の諸項中、上聞に達して差支なきこともありましたら、適当の言葉に御翻訳の上、然るべく御話申上げ被下度(くだされたく)存じます。

明日サン・フランシスコに飛び、出来れば4日間客を謝し、書類も読み、手紙も書き、考へも少しはまとめて、10月1日のパンアメリカンに乗り、3日帰京の予定。遠慮のないところをいふと、日本を立つのも億劫でしたが、帰るのも億劫です。

御健康を祈る。 9月26日 朝ホテル居室

信三

道治老兄
◎御供の人々が到る処評判よく、各地で敬愛をあつめてゐるのは世にも快きことです。特に附記す。

(解説)アメリカ各地での皇太子の様子を報告する書簡。特にニューヨークにおける皇太子歓迎晩餐会での様子を詳述している。「新木大使」は新木栄吉駐米大使。ヴァイニング夫人は既にアメリカに帰国しており、小泉はこの外遊で3年ぶりの再会を果たした。「ジョンロックフェラア」はロックフェラー財団理事長を務めたジョン・ロックフェラー3世(John Davison Rockefeller III)。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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