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【特集:『帝室論』をめぐって】
小泉信三が見た皇太子──全集未収録の田島道治宛小泉信三書簡より

2019/05/07

④滞英中、会話を「エンジョイ」する皇太子(昭和28年5月22日)(抄)

(前略)

〔5月〕17日夕、殿下北方〔ノーサンバーランド〕より御皈(き)京。大使と共にキングスクロス駅に御迎へしましたが、日本を御出でになってから、大してお変りになったやうにも拝しませんでした。御変りになったのは、後記の如く外国人の中にお入りになったときに著しく感ぜられました。

翌朝、オクスフォード御見学にお伴といふことで、車を連ねて出ました。(三谷侍従氏も日皈りの予定で参加)途中ヰンザア城〔ウィンザー城〕、イートン校の御見学についてはさしたることなし。ヰンザアでは紅衣を着け熊皮帽を冠った近衛兵の一分隊が殿下の御前に整列してPresent your arms!(捧げ銃)の号令で敬礼しました。(中略)

オクスフォードでの殿下は御立派で、申分なく御行動になりました。上記学生〔皇太子を出迎えた学生〕5、60人との歓談には、殿下の方から進んで彼等の群に投ぜられ、面白さうに御話しでした。それを眺つゝグッドハアト博士との談話にこんな一節がありました。皇太子はgrown ups〔大人〕とのみ囲まれてお出でだから、偶々同年齢の仲間にお入りになると余程お楽しいやうだ。然り、魚が再び水に投ぜられたる如く、云々。(中略)

〔会食が〕終ると今度は学長〔グッドハアト〕邸でのレセプション。大学関係者、オクスフォード市の重なる人々、附近の連隊の士官等、僕は6、70人といひ、他の人々は100人といふほどの男女、男はタクシードオ、女はデコルテエ、女の中には随分若い、美しいと思はれるゝ人々もありました。殿下は一個処に御停りにならず、或時は進んで人々に立ち離り御話になり、人々はワンダフルとか、so naturalだとかdignifiedだとかcharmingだとか、小生にいひました。殿下の英語は御流暢とまでは行かず、ウーウーと唸って、考へられつゝ御話しになるのですが、自由に話題を作って御話しになり、表現には和習を免れませんが、十分会話をエンジョイし、エンジョイさせることがお出来になります。今少しあれをpolishすれば本物におなりになれるやうに思れます。

翌日はOxford, Cambridge独特のtutorial systemを御見学になりました。tutorは、元のイートンの校長の息子だといふ、40前後のAlington(ママ)といふ、ブッキラ棒で愛敬ある人物。指導は彼れの居室で行はれる。電気ストーヴの傍らの安楽椅子に、彼れは寝ソベルといふに近き姿勢、学生2人、ストーヴと相対する長椅子に、幾分姿勢よく座る。殿下はアリントンと相対し、松井と小生は稍々(やや)後の方から傍聴する。学生の1人が準備して来たペーパーを読みかけるとアリンはすぐ口を介(はさ)み、批判し講釈する。問題は議会制度の運用で、委員会制度とか議長の中立性とかいふことがしきりに論ぜ〔ら〕れました。いきなり殿下に御質問したこともあります。Have you been in the House of Commons? 殿下は日本の国会といふ意味におとりになったか、イエスとお答へになり、次いでノーと訂正なされました。無論この学生とのやりとりがお分りになることはあり得ませんが、或程度followされたことは御表情で見られました。この後、学長は午食に、秀才らしい学生を1人招き、殿下のお隣りに座らせ、殿下は食事中、それでもよく御話をなされ、また菓子が結構ですと主婦人にお褒めになりました。(後略)

(解説)皇太子のオックスフォード見学の様子の報告。昭和28(1953)年3月から10月にかけて、皇太子は昭和天皇の名代としてエリザベス女王の戴冠式へ出席するためにイギリスなどの西欧諸国を訪問したが、小泉も吉田茂首相の勧めでこの外遊の時期に合わせる形で欧米視察を行い、訪問先で皇太子に度々面会した。「グッドハアト」は、オックスフォード大学ユニバーシティ・カレッジ学長を務めた法哲学者のA.L.グッドハート(Arthur Lehman Goodhart)。「松井」は外遊に随行した外務省参事官の松井明。

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